白バラの君(クラウル)

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白バラの君(クラウル)

 暗府の長として最も大事な仕事の一つに、顔つなぎがある。  暗府の隊員というのは国中を必要とあらば動き回り、新たな厄介ごとの情報を拾ったり調査したりしている。その為、万年人不足と言っても過言ではない。  その為足りない手を、外部協力者に頼んでいる事がある。  地域の有力者や、顔の広い人物、人の出入りの多い場所に協力を要請して情報を得ている。  見返りと言ってはなんだが、彼らの生活を守る事と厄介ごとの収拾をつける事は率先してやっている。あちらもそれで安全に商売ができるのだから、互いに利のある話しだ。  新年三日目、クラウルはこうした外部協力者の所を変装して回っている。  程よくくたびれたズボンとシャツにロングコートを着て、腰位置でベルトを締めて。  そうして回るのは下町関連の場所ばかり。最近ランバートが間に入ってくれた事と、下町の厄介事を騎士団が間に入って収めている事もあって協力してくれる人が多い。  そうした人と切れてしまわないように、定期的に顔を出して様子を聞き、他愛ない話をするのも仕事の一つだ。  物流のドン、フォックスと軽く酒を飲みながら会話をし、武器屋の老人とも酒を酌み交わす。他の者達とも少し飲みながら挨拶と感謝、そして今年も変わりなくとお願いをして回り、最後の花街に行く頃にはすっかり遅くなっていた。  下町の花街は西の花街に比べて活気がある。娼婦達も明るく、嫌々この仕事をしている様子はない。おそらく売られてきた女性というのが少ないからだろう。  その下町花街の中でも一番大きな娼館の女主人が、今日最後のお相手だ。 「ようこそおいでくださいました、クラウル様」 「ミス・クリスティーナ、ご無沙汰しております」  かくしゃくとした小柄な老女は、年齢にして相当なのはわかっている。だがそんなもの一切感じさせない毅然とした雰囲気がある。  若い頃はさぞ美しかっただろうと誰もが疑わない。  彼女は白くなった髪をきっちりと結い上げ、自らの足で危なげなく立ち上がり、クラウルの前に立っている。 「ご無沙汰くらいが丁度よいのですよ、クラウル様。立場ある貴方がしょっちゅうこのような場所に出入りしているとあっては、何かとよくない噂も立ちましょう」 「そのような事は無いと思うが」 「娼館にきて女を買わない殿方に、こちらは用はございませんよ」  ピシャリと言われ、クラウルは苦笑しか出てこなかった。  場所を奥の応接室へと移したクラウルの前に紅茶が出される。正直、一日中酒を飲んでいたから今日はもうお腹いっぱいになっていた。 「助かります」 「構いませんよ、どうせ他で散々飲まされてきたのでしょう。人の上に立つこともなかなかに難しい事は、身に染みてわかっているつもりです」  果物の砂糖漬けに、甘くないストレートの紅茶。これを摘まみながら、クラウルはクリスティーナと向き合った。 「そう言えば、アネットはどうしていますか?」 「元気にしておりました。昨年女の子が生まれ、今は子育てに奮闘している様子です」 「そう、よかったこと。娼婦が貴族の奥方になると聞いて、苦労も予想しておりましたが。そう、上手くやっているのですね」  厳しい表情の多いクリスティーナの目に、ふと優しい光が宿る。厳しい言葉をかけるが、心配もしている。それがわかる表情に、クラウルも穏やかに微笑んだ。 「本当なら親代わりの貴方に子を見せたいと、昨日言っておりました」 「いけないと言ってくださいませ。あの子は今は貴族の奥方。その立場をわきまえなければ。過去を切り捨てても今を大事にしなければなりません」 「わかっていると、言っていました。貴方ならそう言うだろうと。子がもう少し大きくなったら肖像画を描いてもらうつもりなので、それが出来たら見せたいと言っていました。僭越ながら、俺が運ばせていただきます」 「そう」  素っ気ない言葉。だが彼女の瞳は柔らかく、とても嬉しそうだった。 「それで、最近の様子はどうですか?」  紅茶を一口飲み込み、話しの流れとして問いかける。だが、返ってきたのは少し厳しい視線だった。 「少し、気がかりな事があります。建国祭の辺りに、この辺を縄張りとしていた娘が二人ほど姿を消しました」 「え?」  思いもよらない報告に、クラウルは目を丸くする。ここ最近、新年の当たりが悪い。これがもし続くようなら、大きな事件になる。  それにしても、人が二人消えたのだ。どうしてもう少し早く彼女は騎士団に知らせなかったのか。 「何故、消えた時に知らせてくれたかったのです」 「流しの娘でね。二~三日姿を消すのはよくある事らしいのよ。私もこの辺を仕切ってはいますけれど、流しの子までは把握していません。この事だって、たまたま家の子が数人顔を見知っていたから分かった事ですよ」  流し。つまり、店に所属していないフリーの娼婦はそもそも特定の寝床を持っていない事も多い。客の家に転がり込むか、安宿を使うか。裏路地などを寝床にしている娘もいるくらいだ。  そうなると確かに、人知れず現れて消えて行く事もある。それが何か事件に巻き込まれたのか、自らの足でこの地を離れたのかも分からない。 「ただ、気になる事を言っていました」 「気になる事?」  クリスティーナは静かに紅茶を飲み、クラウルを見る。その目は意味深な光があった。 「消えた子が言っていたそうです。若いけれど、素敵な上客ができた。いつも優しくしてくれて、こんなに大事にしてくれるなんて初めて。いつも私に会うとき、白い薔薇を一輪くれるのよ」 「白い薔薇!」  ドクンと一つ、嫌な感じに心臓が鳴った。  娼婦、白い薔薇。この二つの符号で、クラウルは数年前の嫌な事件を思いだしていた。  おそらくクリスティーナも同じ事を思ったのだろう。瞳が暗くなっている。 「妙な死体が上がったとも、妙な人を見たとも聞きません。ですが、またあのような事件が起こっては娘達が怯えます。店に入っている娘達には注意をしましたが、流れの娘まではこちらも注意しきれません。何とかしてくださいますね?」 「明日、すぐに議題に上げる。早急に見回りの強化をしよう」 「ランバートに言って、近くのアパートを開放するよう迫りなさいな。あの子、この辺の建物いくつか持っていますから。そこにとりあえず、流しの娘を匿えば幾分把握しやすいでしょう」  ランバート、あいつこんな所にも根を張っているのか。やっぱり暗府に欲しい人材だったか?  そんな事を思いながらも、クラウルは翌日最初の朝議について考えながら娼館を出た。  外に出ると、雪が降り始めていた。薄着の時によりにもよってと、クラウルはコートの前をたぐり寄せる。  嫌な事を聞いてしまった。しかも、嫌な予感もする。これは過去の事件と何か関わっているのだろうか。  だが、過去の事件は終わったはずだ。犯人は既に死んでいるのだから。  そんな事を思いながら、人通りの無くなった花街を歩く。そこで、何か陰が動いてクラウルは足を止めた。  路地の奥、暗がりに誰かいる。目をこらしてみたクラウルは、倒れて雪に半分埋もれている女性に気付き足早に近づいていった。  薄いドレスは場末の、流しの女性が好んで着る露出の多いもの。薄い金色の髪は僅かに汚れて絡まっている。寒さに赤くなった肌が痛々しくて、クラウルはその女性に手を差し伸べた。 「大丈夫っ!」  気配が、なかった? 目の前で倒れている人に気を取られすぎていた? 雪が、僅かな音を消した?  ジワリと熱が背を伝う。気配が、背に張り付くくらい近い。僅かに首をそちらに向けると、剣呑とした暗い瞳がフードの隙間からこちらを見ていた。 「なっ、ぐっ!」  グリッと、柄まで刺さっているナイフが捻られる。痛みで頭がフッと浮いた。そして、急激に熱が奪われていく。刺された部分はこんなにも熱く感じるのに、体が震える。  目の前の人影が動く。クラウルを見下ろす人物に、クラウルは息を飲んだ。  嫌な予感ほど、当たるものだ。  目の前に立った人物が手に剣を握る。それを動けないクラウルめがけて振り上げた。 「っ! なめるな!!」  後ろに張り付いている男を乱暴に振り払う。ナイフが、入ったのとは違う角度で抜けてより傷を広げたのがわかった。  だが目の前の剣を握る手を掴み、手刀で叩き落としたクラウルはそのままその人物を捻り上げた。 「兄さん!」 「バカ! 逃げろ!!」  女性の格好をした人物が組み敷かれながらも叫び、後ろから襲ってきたフードの男は逃げていく。 「っ!」  この傷で、この状況で、両方は無理だ。  クラウルはすぐにコートのベルトを外し、それで後ろ手に女装男を縛りあげる。細い体が、為す術もなく縛りあげられた。  ここから、どうするか。時間的に見回りは二時間後くらいか。それまでここにいたら、流石に凍死の危険がある。それにさっき逃がしたフードの男が仲間でも連れて戻ってきたら、流石に対処できない。  いや、仲間などなくてもこの傷で改めて武装した人物を相手にはできない。 「っ!」  視界が霞んで、体がふらつく。力が、入らなくなってきている。  ここにいてはまずい。クラウルは後ろ手に縛った男の紐を引き、来た道を戻った。ここから知っている者を頼るなら、一番近いのはミス・クリスティーナの店だ。  縛られた男は歩こうとはしない。だがまだ、クラウルの方が力がある。この男が非力過ぎるくらい痩せているのもある。  ずるずる引きずるように、クラウルは雪道を歩いた。その道にはボタボタと血が落ちる。点々ではなく、結構な量が落ちていく。  そうして出てきた娼館に辿り着く頃には、倒れる寸前だった。  ノッカーを握り、どうにか叩く。そうして出てきた警備の男を見たら、一気に気が抜けた。 「うわぁぁ! どうした旦那!」 「すま、ない……コイツを拘束、と……騎士団に、連絡を……」  これを伝えるのが精々だった。
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