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逃げ(ゼロス)
――クラウル様との関係って、お前はどう思ってるの?
ランバートの質問に、ゼロスは答えられなかった。
クラウルの様子が気になっているのに、部屋に行くのを躊躇う。今あの人に会うのが、怖いんだ。
ランバートは翌日すぐに動けるようにと、今からオーウェンの所に話しを通しにいくらしい。夕食を終えたら時間が空いた。
処置室の隣の部屋は空いていたから、エリオットの所に向かう。すると、もう緊急性はないだろうから病室に移したと言われて部屋番号を伝えられた。ついでにそこに泊まれるよう、簡易ベッドも運んでくれたそうだ。
病室の前で、ゼロスはなかなか動けなかった。頭の中はずっと、ランバートの問いかけばかりだ。
クラウルとの関係は、恋人で間違いない。困った部分はあるし、がっつかれて体の痛い日もあるし、溺愛が過ぎて酔うとあれこれ話す癖は正直直してほしい。けれどそんなのは些細で、許してしまえるものだ。
けれど未だに、様をつけて呼ぶ。敬語のままでもいる。それは一つ、ゼロスが引いている線。
逃げ道だ。
好きで、憧れで、尊敬。西の戦いで死ぬ気で戦って、ボロボロになって見たクラウルの姿にどれだけ安堵したか。どれだけ、嬉しかったか。
きっとゼロスは死ぬ瞬間まで、クラウルの事を考えているだろう。そういう予感がする。
けれどクラウルが自分と同じというのは、思っていない。だから倒れた時に自分の名を呼んでいたと聞いた時、驚き過ぎて真っ白だった。
そんなに思われていたのかと、腹の底から沸くような嬉しさがジワッとこみ上げてきた。
ダメなんだ、この感情に気付いたら。いつでも手を離す準備をしておかないと、怖いんだ。この腹の底から沸く嬉しさや愛おしさを無視出来なくなったら、逃げ道がなくなってしまうんだ。
病室の前、何度か深呼吸をしてノックをする。応対がなかったら自室へ戻ろう。思っていたのに、中から声がした。
ドアを開けるとベッドに寝たままだが、クラウルは起きてこちらを見ていた。朝よりも顔色がいい。そんな些細な事に気づけるくらいには、この人を見ている。
「どうした、ゼロス?」
「あ……いえ」
重い足取りで近づいていって、サイドの椅子に腰を下ろす。手が伸びてきて、頬に触れた。
「俺は大丈夫だ。まだ動けないが、随分楽になった」
「顔色、朝よりもいいですね」
「普段通りとはいかないが、食べられているからな」
何でもない会話のはずなのに、落ち着かない。自分で引いた線を越えられない。それが苦しい気がする。
気付いている、とっくにこんな線引き無意味になっているんだと。今はただ、意地になっているだけなんだと。
「ゼロス」
優しく名を呼ばれ、手が触れる。温かい、血の通う手。その手を包むように触れたゼロスは、苦しくて言葉が出なかった。
「……一瞬でも、悪い事を考えるものではないな」
「え?」
「今朝お前が泣いて心配してくれたとき、俺は内心嬉しかったんだ。普段絶対に泣く事などないお前が、俺を案じて涙を流してくれている。それがとても、嬉しかったんだ」
黒い瞳を閉じて、ほんの少し嬉しそうに笑うクラウルを見下ろして、ゼロスは顔が火照るのを感じた。あの時はただ、クラウルが目覚めた事に安堵して色んな感情が止まらなかったんだ。
「だがやはり、俺はお前の笑っている顔が好きだ」
「え?」
「どんな笑みでも、その方がいい。なんなら叱り飛ばしている姿だっていい。苦しそうに、泣きそうな顔をしているのを見るのは、俺も辛いんだ」
穏やかに伝えられる言葉の全てが染みてきて、ゼロスは今度こそ顔を真っ赤にした。恥ずかしいけれど嫌じゃない。それと同時にとても穏やかな表情でもの凄く惚気られて、いたたまれない気持ちになる。
「ゼロス、悪いな。お前の家に挨拶に行こうと話していたのに、暫くは無理そうだ」
とても残念そうな顔をするクラウルを見下ろして、ゼロスは控えめな笑みを浮かべた。
「怪我が治って動けるようになってから、ですよ」
「あぁ、約束だ」
伸ばされた手が引き寄せる。従って前屈みにすると触れるだけのキスをされる。まるで「愛している」と告白されているような、そんな甘いキスだった。
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