3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
数取り
穏やかな午後の空気にコーヒーの知的な香りが混じり合う。僕は文庫本を片手に、カップの縁を口元へと運ぶ。
「やっぱり、コーヒーはブラックに限るなぁ。あとはここに甘いお菓子があれば最高なんだけど」
最後の一口を啜りながら、苦味の中に隠された仄かな酸味を味わう。それを一気に飲み下すと、頭がすっきりと冴えた。
「さて、いよいよクライマックスだ」
この高校の一年生である僕は放課後の部室で読書に耽っている。昨日から読み始めた小説がようやく佳境を迎えたのだ。しかし、だからといって僕は文芸部ではない。ただ単に、部員が全員集まるまでの時間潰しに本を読んでるだけだ。まあ、この部活は僕を含めても二人しかいないのだけど。
かれこれ三十分もすると、本を読み終える。読後感に浸る暇もなく、ドアが勢いよく開け放たれた。
「あはははは! 今宵も欲望と血にまみれた人間同士の騙し合いを楽しもう! 狂乱の宴の始まりだ!」
高笑いと共に入室してきたのは誰もが知ってるあのキャラクター。長い鼻が印象的で、あどけなさの残る少年のような顔立ちをしているが、その肌には木目の模様が浮き出ている。
そう。そいつは童話に出てくるピノキオ……ではなく。
「陽くん、びっくりした!?」
ピノキオのお面を被った人間だった。
「してません。それよりどうしたんですか?そのお面は」
僕は本を閉じると、至って平然に答えた。
「これは演劇部から貰ったの。中々似合ってるでしょ」
スカートの裾をつまんでくるりと回った人物は、この学校の制服を着ている。胸元の青のリボンは二年生の証で歴としたこの学校の生徒なのだが、様々な問題を抱えた悩みの種だ。
「きゃっ!」
調子に乗って転んでしまったらしい。その拍子に、彼女の顔からお面が外れた。
「いたた。でも本当はドラキュラのほうが欲しかったんだけどね」
ピノキオとは違う意味で人間離れした妖艶な面貌。まるで日本人形を連想させるが、今のようなドジな一面を併せ持つ彼女の雰囲気は、どちらかといえば可愛げのある座敷童子に近い。
「はあ、それで駄々をこねてたら、理事長に説教されてたわけですか。三十分以上も遅刻したのはそれが理由ですね。御影部長」
僕が呆れてため息を落とすと、部長は明らかに図星をつかれたような顔をした。
「だって、演劇部には他にもたくさん衣装があるからいいじゃん。そう言ってたら、いきなりおじいちゃんが来たの。絶対に演劇部の奴らがチクったんだわ」
もはや周知の事実だが、彼女の祖父はこの高校の理事長。生徒だけでなく、教師ですら彼女には逆らえない。
「いや、それはどう考えても御影部長が悪いですよ。ちゃんと謝ったんですか?」
勿論、その理事長から直々に彼女のお目付け役を任された僕を除いては。
「ちゃんと謝ったよ。心の中で」
とは言え、彼女はひねくれた性格の持ち主でもあるので僕も相当手を焼いている。
「って、そんなことはいいの、陽くん。それよりも、私のことは部長じゃなくてゲームマスターと呼んでと何度も……」
少しは反省したかと思えば、全く懲りてない。部活が部活だからその呼び名に拘ってるようだが、ここで議論していたら時間の無駄だ。なので、そうなる前に、僕は不本意ながらもさっそく本題に入ることにした。
「えー、では部員が全員揃ったところでデスゲーム部の活動を始めましょう」
「待ってましたー!」
元気に飛び跳ねる部長と乗り気でない僕。言っておくが、僕だってすき好んでこの部活に入部したわけじゃない。この部の設立にはやむを得ない事情があるのだが、理事長も問題児である自分の孫娘を下手に放置しておくよりも、信用のできる人間に任せたほうが都合がいいと考えたのだ。僕も進学面で色々と便宜を図ってもらえるという条件でそれを了承している。
「デスゲーム♪ デスゲーム♪」
見ての通り、部長は三度の飯よりもデスゲームが好きという変わり者だ。一度だけ『デスゲームじゃなくて普通のゲーム部でいいじゃないですか』と部長に抗議したことがあったが『人生とはすなわちデスゲーム。我々は命の重さを忘れてはならない』と訳のわからない言い分で一蹴されてしまった。確かに、人はいつか必ず死ぬのだから、人生はデスゲームだと言えなくもないのだけど。
「ところで今日はどうします? 昨日に引き続き、新しいゲームの製作でもしますか?」
この部活では新しいデスゲームの開発、及びそのゲームに必要な資材の調達などが主な活動内容になっている。だから、さっきのピノキオのお面は、ゲームの進行役として欠かせないゲームマスター用の装いを見繕ってたのだろう。
「それもいいけど、陽くんが二日前に出したゲームの企画書はどうなってるんだっけ?」
「ああ、あれですか。あれはコストがかかるのでボツにしたと言ったはずですよ」
「そうだっけ。なら、その前のあれは?」
「あれも同じです。確かにあれは大規模なわりに機材などを必要としないのでコスト面の心配はないですが、場所と人員が確保できません」
「じゃ、じゃあ、私が先週徹夜で考えたあれは?」
「論外です。何度も言ってますが、部長の考えるゲームはルールが複雑なんですよ。相手は子供なんですからもっと簡単にしてください」
この学校では奉仕活動の一環として、年に数回、地域の子供たちとの交流を深めるためのレクリエーションが催される。それこそが僕らの部活の成果を披露できる唯一の場だ。
「あー、もう! せっかく私の考えたゲームであの悪ガキどもを懲らしめられると思ったのに! その為に激辛デスソースを箱買いしたら今月のお小遣いがなくなったんだからね!」
一体いくらつぎ込んだんですか。
「そういえば、この前、罰ゲームのバリエーションを増やすって意気込んでましたけど、それのことだったんですか。部長もよくやりますね」
「とーぜんでしょ! 罰があってこそのデスゲームだもん!」
当たり前のことだが、デスゲーム部とは言え、負けたら本当に死ぬわけではない。その代わり、死ぬほど痛い目にあってもらう。
「だったら陽くん。今日は実践訓練をやろっか」
「え、またですか」
実践訓練とは、テストプレイを兼ねた、単なるお遊びのことである。
「何で。嫌なの?」
気色ばむ部長を見て、僕は失言だったと後悔する。
「だって、いつも僕が勝つじゃないですか。やるならせめて、罰ゲームは無しにしません? そうでないと、僕が弱い者いじめしてるみたいなんですけど」
「ダメ。それだけは絶対にダメ」
その声には断固とした響きがある。普段はだらしない先輩だが、こういう時になると急に威厳を出してくるから困る。
「分かりましたよ。で、何のゲームをやるんですか?」
仕方なく折れると、部長の目に不敵な光が躍った。
「100を言ったら負けゲームよ。ちなみに私が先攻ね」
「却下です。だって、それって『数取りゲーム』のことですよね」
「ぐっ……」
部長の顔に焦りの影が差す。
「確かルールは、二人で交互に1から順に数字を数えていき100を言ったら負けで、自分の番に言える数字の数は3つまで。ですが、これは必勝法を知ってれば先攻が勝ちます。『100』の場合なら、まず最初の番で3、再び自分の番で7、次に11というように+4ずつした数字で止めていけば『99』を確実に取れるので必勝です。僕の小学校でもすごい流行りましたよ。まさか部長は今頃それを知って、僕に勝負を挑んだんですか?」
「ち、違うし! 陽くんが知ってるか試しただけだし! だから少し待ってなさい。今から新しいゲームを考えてやる!」
完全にムキになってしまった部長だが、すぐに名案が舞い降りたらしい。スカートのポケットからトランプを取り出す。
「なら、ブラックジャックの要素を混ぜてみたらどうかな」
「いや、その前に普通にポケットから出しましたけど、トランプをいつも常備してるんですか?」
という僕のツッコミを華麗に無視して、部長は続ける。
「ブラックジャックも21を超えたらダメなゲームでしょ。それが99になっただけ。自分の番にカードを一枚だけ引いて、その数字ぶん数えていく。これなら運要素が混じるから必勝法は使えない。そして、これを相手と交互に繰り返して『バースト』したら終了。つまり100を言った人の負け。簡単でしょ?」
「でも、それだとカードを引いてくのをただ眺めてるだけじゃないですか。駆け引きの要素がありません」
その反論を予想してたかのように部長は人差し指を横にふる。
「大丈夫。これはブラックジャックだから『ヒット』のルールを採用すればいいの。つまり、それを使えばカードをもう一枚引けるってこと。ただし、使えるのはその番に一度だけ」
「なるほど。それなら、ヒットをするかしないかの選択で勝敗が大きく変わりますね。そういう選択肢を設けることで、駆け引きを発生させるわけですか」
「うん。だから、同じ理由でAは『1』か『11』のどちらかで数えるルールも採用するわ。あと、別の理由で絵札のカードは『10』として数えるルールも」
「まあ、それは採用しないと、終盤で絵札とか引いたら簡単にバーストしちゃいますからね」
それで、と僕はここで肝心なことを聞く。
「今回の罰ゲームは何ですか?」
「ふふ、最近駅前にできたスイーツ店があるでしょ? 甘いものに目がない陽くんなら知ってるよね」
「はい、知ってます。この前、テレビでも取り上げられてたそうですね。でも、なぜ僕の好物を知ってるんですか。からかわれると思って、部長には隠してたのに」
「だって、陽くんって部室でコーヒー飲んでる時、いつももの寂しそうな顔してるよね。甘いものが恋しいように」
この人はなぜ、その観察力を勝負の中で活かせないのか。
「要するに敗者はそれを今から買ってこいってことですか」
「そう。しかも敗者の奢りでね。あと、今なら店員さんに『ラブラブ・スイーツ』と言って手でハート型を作れば半額券も貰えるキャンペーンもやってるみたいね。それも追加するわ」
「あんたは鬼ですか」
いくら罰ゲームとは言え、それだけは死んでも嫌だ。これはまさにデスゲームである。
「恥ずかしいのはお互い様だよ。じゃ、さっそくやろ!」
やる気まんまんの部長を制して、僕はテーブルに置かれたトランプを手に取った。
「ルールと罰ゲームの内容はそれでいいですが、使う山札は半分にしませんか?」
「ん? それは1から13のカードを2セット。つまり26枚だけで? でも、それだと『100』に届かなくない?」
「いいえ。カード52枚の数字の合計は300以上あるので、むしろ半分で丁度いいくらいです。だって山札が少ないほうが、残りのカードを推測しやすいし、その際の計算も楽でしょ?」
「確かにね。採用」
「ありがとうございます。では、わかりやすくスートの色で分けましょう」
つまり、ハートとダイヤ、スペードとクラブというように赤と黒でわけるということだ。
僕は手際よく分別していき、カードを裏向きに伏せて重ねていく。三分もすると、テーブルの上に同じ高さの山札が二つ並んだ。
「よし。出来ましたので、この山札をシャッフルしてください。それで、もう一つのほうは邪魔なので僕のポケットにしまっておきましょう」
山札の一つを部長に渡し、残ったほうを自分の胸ポケットにしまう。
やがてシャッフルを終えた部長がテーブルの真ん中に山札を置く。
「では、準備が完了したので始め……あっ」
読み終えた本を片付けようとした僕だったが、栞を床に落としてしまった。
「すみません。そっちにいったので取ってもらえますか」
反対側の席に座る部長が渋々と腰を上げると、テーブルの下に頭を突っ込む。
「ほら、あったよ」
立ち上がった部長から栞を受けとり、僕は「どうも」と頭を下げた。
「先攻後攻はジャンケンでいいですか?」
同意を得て、その結果、部長が先攻になった。
「よーし! ゲーム開始!」
最初のコメントを投稿しよう!