ゲームスタート

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 戦いの火蓋は切られ、山札の一番上のカードがめくられる。一枚目はダイヤの2。 「1、2。次は陽くんの番だよ」  部長に促され僕もカードをめくる。ハートのKだった。  僕は「3」と言ってから、そのまま「12」まで数えていく。 「はい。部長の番ですよ」 「いっくよー!」  その後も淡々と山札の枚数は減っていき、いつの間にか勝負は終盤に差しかかっていた。 「……94、95! さあ、次は陽くんよ。5以上のカードを出したらバーストだからね。さらに4のカードは出尽くしたから、次の引きで99を取られる(陽くんの勝ちが確定する)ことも絶対にない。もうこれは私の勝ちよ!」  高らかに勝利宣言をする部長をよそに、僕は躊躇なくカードを引いた。 「ダイヤの3なので、96、97、98」  部長の顔から先ほどまでの余裕が消えていく。 「まだよ。山札は残り10枚。Aはまだ一枚残ってるから、ここで私がAを引けば……」 「待ってください。ここで僕は『ヒット』をします」 「は!? A以外を引けば敗けなのに!? ここでヒットするのは自殺行為だよ!」 「まあ、見ててくださいよ」  僕が静かに手を伸ばすと、部長の息を飲む音だけが部屋の中に落ちる。その手の向かう先に僕と部長の視線が重なり、期待と緊張が高まる中、それがゆっくりと開示された。 「嘘、でしょ……」  表向きに晒されたカードには、赤いハートが一つだけあった。 「ポイントだったのは山札を赤と黒の二つに分けると僕は言いましたが、どちらをゲームに使うかまでは言ってないところです」  おもむろに口を開いた僕に、部長は困惑の表情を作る。 「どういうこと?」 「つまりですね。僕は山札を二つに分別した時、どちらが赤か黒か分からないように裏向きに置いて、そのうちの一つは自分の胸ポケットに入れました。そして、もう一つは部長に渡してシャッフルしてもらいましたが、実はあれはスペードとクラブのみで構成された黒の山札だったんです」 「え? でも今、ゲームに使ってるのは赤の山札でしょ。じゃあ、私がシャッフルした黒の山札は……それ?」  部長が震える手で僕の胸ポケットを指し示す。 「まさか、そこに入ってるのが本当にそうなの? なら、二つの山札がいつの間にか入れ替わってたってこと? ということは、陽くんは……」  確信を帯びた目で部長は僕の顔をまじまじと見つめた。 「はい。ようやく気づきましたか」 「エスパーだったのね」  いやいや、何故そうなるんですか。 「違いますよ。シャッフルしてもらった後、僕が栞を床に落として部長に取ってもらったでしょ? その隙にすり替えたんです」 「あっ! あれはわざとだったのね!」 「そうです。そして僕は分別しながら赤の山札の並び順を見てたので、何枚目で勝負が決するか分かってたんです」  部長が嫌みっぽく吐き捨てる。 「よくもまあ、私の提案したゲームでそこまで頭が回るね」 「御影部長のお目付け役として当然です」  そう。理事長は信用できる人物に自分の孫娘を任せた。勿論、それは誰でもいいわけじゃない。実をいうと、僕は今年に行われた入試試験でトップの成績を残した新一年生として、理事長にその手腕を買われたのだ。 「まあ、それでも最後の一枚を引く時は少し不安でした。勝負に絶対はありませんから」  一呼吸おいてから僕は言った。 「99。さあ、これで僕の勝ちです。部長の『ラブラブ・スイーツ』をここでは見られないのが残念です」  その時、テーブルの上でぴちゃんと水滴が弾ける音がした。  はあ、またか。  心の中でため息をつく。部長は罰ゲームが嫌なわけじゃない。純粋に勝負に負けたことが悔しいんだ。  僕は部長の顔を盗み見た。長い睫毛が濡れそぼり、くっきりとした黒目の形が涙で曖昧にぼやけている。  これは部長の不在時に理事長から聞かされた話だ。それによると、部長はその昔、かなり荒れていたらしい。近隣住民にも迷惑をかけ、警察の世話にも何度かなったようだ。その頃の理事長もたった一人の孫娘である部長にとことん甘く、彼女の不始末を穏便に済ませてきたらしい。部長の両親に甘やかさないでくれと言われてもやめられなかったそうだ。  そして、一時期、彼女の仲間の中で流行っていた遊びがあった。名は万引きゲーム。店の商品を万引きして、バレなければ勝ちという極めて悪質なものだ。もっとも、部長の場合は失敗しても理事長が何とかしてくれるので、勝っても負けてもリスクのない遊び。部長にとっての人生とは、画面越しで行うゲームのようなものだった。  しかし、そんな時、事件は起きた。珍しく万引きがバレた部長は店員に呼び止められた。親御さんに連絡すると言われても平然としていたが、その日は運悪く理事長は家に不在で両親が電話に出たらしい。両親は激怒し、二人で店に向かったが、その道中で事故に遭い亡くなった。それを知った彼女は真っ白になった頭の中でこう思ったそうだ。 『自分がゲームに負けたから二人が死んだ』と。  その日からだ。理事長が自分の孫娘に厳しく接するようになり、部長も自分の生き方と真剣に向き合うようになったのは。  ふいにあの時の部長の言葉に輪郭が伴っていく。 『人生とはすなわちデスゲーム。我々は命の重さを忘れてはならない』  恐らく、部長がこの部活を設立したのはそういう経緯があったからだろう。ゲームの世界と違って、現実の世界では失敗に責任が伴う。ゲームのように何事もなくコンティニューなんて許されない。部長は罰ゲームを取り入れることで、責任の重さを画面越しではなく、肌で感じてもらいたかった。だからこそ部長はいつだってバカみたいに全力で、僕もそんな彼女のことを放っておけないんだ。 「この際だからはっきり言わせてもらいます。デスゲームに対する熱意は認めますが、御影部長はこういう賭けごとに向いてません」  僕が冷たく言い放つと、部長は服の袖で慌てて目をこする。 「べ、別に陽くんに言われなくても分かってるよ」 「いいや、分かってません。大体、部長はいつも詰めが甘いんです。今回だって、山札をシャッフルする前に中身を確認するべきです。これじゃ、あと100(・・・)戦やっても結果は同じです」  ここで僕はわざとらしくならないように努めて自然な声で「あ」と発した。 「100って言っちゃいました。僕の負けですね」  部長が呆気にとられた顔で口をぽかんと開ける。 「いや、でも陽くんが出したカードはAだから、この番はもう言えないでしょ」 「何を言ってるんですか。Aは『11』とも数えられるルールのはずです。それにしても部長も成長しましたね。100と言わせるために泣いたフリまでするなんて」 「泣いてないってば!」  説得力皆無の赤い目で僕を睨みつけてくる。早くここから退散したほうがよさそうだ。 「別にいいですよ。どのみち、部長がくる前に本を読み終えちゃったんで、ちょうど本屋に行きたかったんです。そのついでにスイーツ店にも寄ってきます」  返事を待たずに退室しようとすると、ドアの前で腕を掴まれる。 「待ちなさい! そんなの認めるわけないでしょ。バカにしないで!」  割りと本気で怒られた。負けたら泣くし、勝っても怒るし、僕に一体どうしろと? 「だーかーらー」  部長の唇がにんまりと薄く引き伸ばされる。ドアの開く音が心地よく耳に響く。 「一緒に行こ!」  僕の腕を掴んだまま、部長は部屋を飛び出す。その強引な明るさに、僕の体は抵抗力をなくしたように引っ張られた。
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