嫌と好

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「北川さん美人やのに、何がいかんと?」  午前の授業が終わって昼休みに入るなり今井は、また同じようにこちらを向く。その向こうからは、ギイと床を擦る音と、机や椅子のぶつかり合う音が鳴き出す。皆一様に、待ってましたと弁当を広げ始めていた。 「…距離感」  俺が机の横に掛けてあったコンビニの袋を取り出すと、今井もそれに続く。 「…まあね。でも綺麗やん」  クッキーメロンパンの薄い包装をさくっと、開ける前に甘い香りが飛んで来る。見れば今井もまったく同じものをすでに一口、齧っていた。別のを買えば良かったと、舌打ち気味に悪態を付く。 「…。今井、ああいうのが好みと?」 「そういう千早はどうなん」  質問に質問で返されたことへの不平より何より、瞬時に思い浮かんだ姿をどう隠そうかということにまず、意識は持っていかれる。窓からはこっそりと入り込む風、後ろ髪をさらっていくカーテンに肩を叩かれ、慌てて声を発する。 「…知らん」  少し目が泳いだだろうか。頭の処理が遅れて言葉を詰まらせた。パックのオレンジジュースを吸い込んで誤魔化す。この間が今井に付け入る隙を与えてしまう。 「え、なに?おると?好きな子おると?」 「おらん」  たまらず逃がした目を追うように、今井も顔ごとびったり付いてくる。 「いや、おるときのやつやん」 「…は?」  精一杯強がってはみるが無駄な足掻きということは、長い付き合いでもう分かる。俺が嘘をついても、こいつはいつもすぐに見破る。鋭く、目を爛と輝かせた今井が最後の一口を放り込みつつ、ぐっともうひとつ身を乗り出すのと同じだけ、俺も上体を後ろへ逸らす。 「誰?誰?」 「…言わん」 「なんで!やっぱおるやん!」 「おらん」 「いーや、今『言わん』って言ったし!ってことはおるし!」  じりじりと追求が最大火力で迫ってくる。躱そうにもこの距離だ、時間稼ぎにしかならない。おかげで食の進まない俺のパンはまだ半分も減らない。早急な席替えを望む、いっそクラス替えを。 「…」 「…頑固やな」 「そっちもな」 「…千早いまだに特定の彼女、つくったことないっちゃろ?」 「それが何」 「いや、意外やなと思って」  じいっと動かなかった両目は諦めたのか、今井が急に横に向き直る。自分の机に一瞬顔を向けて、置いてあった炭酸飲料を手に取りキャップを開けた。プシッという音とともに、この圧迫感も抜けていく。今井は喉を鳴らし出す。一呼吸。やっと、のんびり息もできる。 「べつにそうでもないやろ」  つっと体を前に戻す。咀嚼しながら、教室中の、高いテンションを片耳で受ける。薄い梔子色のカーテンが、俺の背中を飛び越えてその翼を広げて見せた。五月の伸び伸びとした風に運ばれて逃げゆく、そんな取り留めの無い談笑の塊。今井の間合いは、絶妙だった。 「今まで好きな子、おらんかったわけでもないとやろ?」 「…さあ」  それは本当によく分からない。どこからを好きと言うのかが、自分の中では計れない。以前にも可愛いなと思った人くらいはいたかもしれない。ただ、ふとしたときに誰かのことを考えるなんてことは、ついこの間まで無かった。はっきり言えるのは、ろくに言葉も交わせていないのに、こんな風に思い浮かんで、あんな風に欲しいと思うのは、初めてだということ。 「…見た目に似合わず奥手なん?」 「知らん」  少し語気が強まる。心当たりの正体が分かっているから、なおのこと。今井に詰め寄られる以外で、あんなに言葉が思い付かない、発せないなんて。分かっている。俺を瞳に映す彼女を、この目におさめることに高揚し、耽っていたから。渡り廊下での一件。二度あることは三度ある。この次も同じようにただ見つめ合うだけに終わったら、今井の指摘も認めざるを得ないのだろう。  思い出している今、自分がどんな顔をしているか知れない。とにかく見られたらまずい気がして頬杖で口元から覆い隠す。 「ふーん?試しに積極的にいってみいや」 「なにが」 「その好きな子に」 「やけん、」  記憶の中の彼女が去り際、見せた顔がちらつく。 「…おらんって」  だから否定が弱くなる。 「そんな深く考えんと軽い気持ちでさ、ほら!練習のつもりで」  俺が認めなくても勝手に、いる前提で話を進めてくる。そこはいかにも今井らしいが、彼女を軽んじているような言い方にはカチンと来た。声が低くなる。 「お前今、割と最低なこと言っとうな」  今井は、二つ目のパンを頬張ろうとして、止める。取り繕うつもりはなさそうだが、気を悪くした俺に最低限の格好は示す。 「え、やっぱし?…でも失敗したくないやん?本命の前では」  口の横についたパンくずをぺっと払う。 「それには練習が要るっていうか」  今井はお預けをくった犬のような顔で、手にするウインナーロールを見つめている。そういうものなのか。まだピンと来ないのなら俺のこの気持ちは、好き未満なのかもしれない。 「でも確かに千早の言う通…」  でも。 「俺は、」  これは紛れもない本心。 「練習も本番も、好きな子とがいい」  カーテンは翼をゆっくり折り畳んでいく。 「お前今、かなり大胆なこと言っとうよ」  風が折り返して来る。 「…うるさい」  後から急激に恥ずかしさが襲ってきて、この呟きもこの赤も、俺もろとも一緒に窓の外へ投げ出してくれと、風に願った。
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