嫌と好

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嫌と好

 連休明けのこの日は憂鬱だ。もちろん休みの間にだらけきった心体が通常運転のペースについていけないからでもあるが、俺の場合は、それだけでは無かった。 「千早くん!これ」  名前も覚えていない、おそらく別のクラスの生徒だと思うのだが、彼女はそわそわと、それを俺に差し出した。 「ありがとう」 「お誕生日、おめでとう!」  飾り立てるような、そんな笑顔に俺も、どう返せば正解なのかが未だに分からずにいる。曖昧な心持ちで見せたこの顔も、俺の好かないそれと大差無いのだろう。それでも彼女は、笑顔のふりをしたこの、貼り付けた表情に満足して去っていく。だったらこれで良いのかもしれない、けど。騙しているみたいな嫌な後味は少しずつ降り積もって、そろそろ底が抜けそうだ。  トイレに行こうと廊下を歩いていたのにこの調子で、こういう言い方もぞんざいだが、また荷物が増えてしまった。仕方なく、つるっとした紙袋とやけに光るリボンの飾られた包装紙を持って、教室に戻る。この顔をつくるのは思いの外、精神力を削る。日は昇りきっていないというのに、もう身体が重い。 「お、千早、今日何があったと?」 「いいーなあ、全部女子から?」 「お前さっきも貰っとったっちゃろ!俺にもわけろ!」 「うっさいなあ」  何が面白いのか知らないが、囃し立てるクラスメイトに一睨みきかせると、どっと笑い出す彼らの声が背中にストライク。それにまたむっと来て、自分の椅子を荒っぽく引きどっかり座った。ここは不本意ながら、今井のすぐ後ろの席だ。 「今年も盛況、おもてになりますなあ」  にししと声が漏れそうな、分かりやすい顔で振り向いて、俺の机を一部、腕で占領すると体重を乗せてくる。 「お前やろ、女子にばらしたの」 「訊かれるとよ。いつなんって」 「なんで」 「さあ、いつも一緒におるからっちゃない?」 「俺は今井の誕生日なんか訊かれたこと無いとにな」 「なんでそーゆー残酷なこと言うとー?」  こいつは声も喧しければ顔も煩い。口を尖らせて文句を言うなんざ、可愛い子でなければ絵にならない。 「トイレ行きそびれたやんか」 「それは知らん」  その口で、口笛を吹く真似をしながら目を逸らす。どうせ吹けやしないくせに。  クラスの男子は羨ましいとか好きに言って騒ぐが、奥行きの無い笑顔にその場しのぎの笑顔で返し、染み込んだ気持ちごと渡されても何も返せない俺には、重荷にしかならない。これを彼女たちの気が済むまで背負って歩かなければならないのだ。俺の意思で拒否することも途中で置いていくことも、できない。それこそ罪悪感に倍返しをくらう。  前の休み時間に渡されたものだけでもういっぱいいっぱいだった。机の中にも収まりきらないこの箱のやり場に困り、鞄や机の周りをあちこち触っていると。 「千早くん!」  俺の机にスカートをべったりくっつける勢いで、すぐそこにやって来たのは去年同じクラスだった北川さんだった。俺にしては珍しく、名前がすぐ出てくるのは、苦手なものほど記憶にしつこく刷り込まれているからだなんて、皮肉なものだ。 「どうしたと?」 「良かったらこれ、使って。中に有紗からのお誕生日プレゼントも入っとうけんね」  両手でずいと差し出されたのは、これでもかというくらい大きくて、マチの広い不織布製のバッグだった。 「おめでとう、千早くん!」 「ありがとう」  受け取ると何やらずっしり重かった。質量だけの問題ではないことは、もう気づいている。 「本当はね、去年のクリスマスにって思っとったっちゃけど、間に合わんかったけん」  きつく巻いてある髪を、さらに指でねじりながら、彼女は弾丸のように喋り続ける。俺はまた、さっきと同じ顔を呼び出して相づちを打つ。これを愛想笑いと言うのだろう。今対している彼女の笑顔以上に俺は、自分のそんな表情が嫌いだ。 「ね、お祝いに今日の放課後、遊びに行こ?」  派手な髪を何度も、揺らす。そのたび振り撒かれる女っぽい香りが、上から支配しようとする。でも、俺には効かない。ここまでは攻め込ませない。紛い物の睫毛の下の、飾り立てた目を大きくしばたたかせたって、不自然な瞳を一杯に開いて見せたって、いつも思うことは一緒。  俺の「好かん」を詰め合わせたそれも、彼女にとっては最上なのだろうから、この先はもう分かりきっている。 「ごめん、予定あるけん」 「えっ、うそ、デート?」 「…違うよ」 「そうなん?じゃあ、残念やけどまた今度ね!」  チャイムと共に、彼女は走り去っていく。いっそ好きとか、言ってくれればはっきり言える。一番重いものを、早く手放したいのに。そんな自分本位なことを俺は、けばけばしい笑顔に思った。
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