第1話

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第1話

 阪急塚口駅南口からJR尼崎駅へまっすぐ十分程歩いたところにあるお世辞にも綺麗とは言えない立派な病院で俺は産まれた。頭は悪いがプライドだけ高い愚かな父親と男を見る目が腐り果てている母親の長男として産まれた。父親の転勤で尼崎から離れ、弟が産まれた後も戸籍上父親のカスに頭を悩まされる人生を送るはずだったが、俺が小学生の時に父親は歯茎の長い茶髪の愛人と栗拾いに行き二人仲良く栗の棘が頭に刺さり、病院に運ばれた二日後に呆気なく死んでしまった。時同じくして母と弟と母の不倫相手を乗せた車が高速道路の分離帯に突っ込み乗車していた人間全員が即死した。俺はその日たまたま体調を崩し、その車には乗らず家で寝ていて助かった。未成年にして一気に肉親全員を失った俺は尼崎市に住む親戚に引き取られその家の子供たちと本当に隔てなく育ててもらった。  これから語る話は俺が尼崎に戻ってから数年後、高校入学の時からはじまる、どこにでも転がってそうなアホで騒がしい学生時代の物語だ。  新年度の始まりを祝うかのように咲いた桜の木を小さな毛虫がいつか空を飛ぶことに想いを馳せながらもぞもぞ登っていた。その毛虫から十時の方向にあるマンションの一室で十年ほど前に流行った夏の恋を歌ったコマーシャルソングがけたましく鳴っていた。携帯電話のアラームを消し、時計を見ると待ち合わせの時間まであと二十分足らずだった。急いで朝ごはんをかきこみ家を出た。待ち合わせ場所は阪急塚口駅南口なので家から五分少々で着く。待ち合わせのときには十分前には着きたい性格なのでちょうどいい時間だった。家から出てすぐのところにあるコンビニで飲み物を買ってから駅に向かって少しだけ早歩きで進みだした。  春先ということもあり朝の空気は鋭い冷たさを投げつけてきたが、気が遠くなるような年月をかけて太陽が降らした気持ちのいい日光によって、その鋭さが心地よく感じた。駅に着くまでの街並みを眺めながら歩いていると、小学生の頃に戻ってきたこの街も今や胸を張って故郷と言えるまでに愛着が湧き、街も受け入れてくれていると思った。引っ越した当初は久々の関西で戸惑うことも多く、新しい環境に打ち解けるのも時間がかかるだろうと思っていた。しかし、同じクラスになった吉田雄基と浜田聖斗がそんな不安を消し飛ばしてくれた。子供の頃から論理的で冷静な雄基と誰よりも情熱的で飛び抜けて明るい聖斗の二人と居ることが名古屋にいた頃には味わえなかった充実感を俺に与えてくれた。      二人との関係が始まったのは引っ越してきてから初めての大きな行事であった王子公園への遠足のときだ。いじめられっこ気質であった俺は糞投げに定評のある象さんの檻の前でいじめっ子たちに囲まれていた。  「お前んとこ父ちゃんも母ちゃんもおらんねやろ?余所者の貧乏人が俺たちの小学校来んなやー!」  「親おらんくても貧乏ちゃうし!おっちゃんおばちゃんがおるもん!俺生まれたの塚口やから他所もんちゃうわアホ!」  「うっさいわ!お前のオバハンなんかが作った弁当なんかどうせまずいやろ!象の糞のところに捨てたるから貸せや!」  ガキ大将ぶってた八木君がそう言ったのを合図に取り巻きの連中が俺の持ってた弁当を奪おうと飛びかかってきた。  「おら!やっちゃんが貸せ言うてんねん!貸せや!」  「やめろや!てかお前口臭いねん!お前の弁当こそ捨てろや!」  おばちゃんが入れてくれた俺の好物ばかりの弁当。単純に取られたくない気持ちと朝おばちゃんが弁当を作ってくれているところを思い出し抵抗しながらも涙が出そうになってきた。泣いたらこいつらの思うツボだと思い我慢していたが、もうそろそろ涙袋が決壊すると諦めかけたとき、後ろから声が聞こえた。  「お前らサブいことしてんなやコラぁ!象さんが鼻で笑うで!象さんだけに!」  「うまないねん。」  声のした方を見ると季節的に少々気の早い半袖短パンの聖斗と小学生にしては大分背伸びしてる春先のジャケットを着た雄基が並んで立っていた。  「お前ら関係ないやろ!どっかい······!」  八木君が言い切る前に聖斗が八木君の平べったい顔にドロップキックを食らわしていた。あわれ八木君は勢い余ってそのまま象の檻の周りについてる手すりを鉄棒の要領で回ってしまい檻の隅にあった糞に尻餅をついてしまった。  「なーっはっはっは!ケツうんこまみれやんけ!人の弁当捨てようとするからバチ当たっとんねん!」  聖斗が嬉しそうに飛び跳ねながら言った。  「お前らこんなことしてええおもてんか!先生に言うぞ!」  「せやせや!先生に言うぞ!」  「言うてもええが、お前らが先生に言うなら俺らもしっかりこうなった経緯を先生に説明するで。悪いことをした訳でもなく、お前らのいちゃもんにも丁寧なほどに受け答えしていた龍一が怒られる理由は何もないし、その龍一を助けた俺らも同様や。せやけど、お前らの方はどうやろな?」  雄基の淡々とした状況説明に取り巻きのアホたちの先生に言うぞコールは完璧に消え失せ、その場には青ざめた顔で俯いているアホたちだけがいた。声を出してるのは尻が変色し、うえうえ言いながら涙を流している八木君だけだった。  「龍一、一緒に弁当食うやつおらんねやったら俺らと食うか?」  「それええやん!食おや龍一!」  雄基の言葉に反応した聖斗が楽しそうに俺に飛びついてきた。  「うん、食べる!ありがとう!俺の名前覚えてくれたんやな。」  「当たり前やん!同じクラスの友達やし!それになんとなく仲良くなれそう思てたからな!」  聖斗の言葉にちょっぴり泣きそうになったが笑ってごまかした。  「よし、じゃあこんなとこ離れてちょっと高台になってるとこで食おや。あっこ眺めええし女子もあのへんで食ってるやつ多いみたいやで。」  「女子おるん?ええやん!こころちゃんおるかなぁ!」  「お前さんほんまあいつ好きな。たしかに可愛いけど。」  「せやろ!俺はいつかこころちゃんとチューするねん!」  聖斗は情熱的だった。  「好きなだけチューしたらええがな。龍一は誰か気になる子おるん?引っ越してきてまだひと月ぐらいやけど」  「うーん、梨村さんかわいいと思うけど気になるとかじゃないな。」  「梨村は俺らの学年のアイドルやからな。でも梨村は龍一のこと気になってるみたいやで。お前自己紹介のときダウンタウンが好きって言うてたやろ?梨村もダウンタウン好きやねん。」  「ほんま?じゃあ仲良くなれそうやなー!」  「やろ?今日遠足終わったら俺の家で遊ぶねんけどお前さんも来いよ。梨村も来るで。」  「えっ行きたい!行ってええん?」  「来てほしなかったら誘わへんで。」  そう言いながら優しく笑った雄基を見て俺は幸せな気持ちになった。さっきまでは最悪な日だと思っていたのに今は引っ越してきてから一番の幸せな日だと思っていた。今からのお弁当も楽しいだろうし、何より放課後に遊ぶ約束が出来た事が俺の気持ちを豊かにしていた。お弁当を食べるために向かっている高台への坂道は昨日降った雨がキラキラ光り、坂道の先の空は夏が会いにきてくれたのかと思うほど青く、笑っていた。      
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