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第1話-4
兵庫県警察本部は、高架下の居酒屋でどっぷり出来上がったおっちゃんたちで賑わう神戸市の元町駅から、緩やかな坂を登ったところにあった。道路を挟んで兵庫県庁と向かい合って立っており兵庫県の”頭”と”身体”が揃って仁王立ちしている姿は、それなりに見応えがあった。その警察本部の廊下を闊歩するスーツの男がいた。左手に電子タバコを握り締めていることから、喫煙所に向かっているのだろう。歳は三十代後半、肩幅が多少広いが、大きいと周りに言われることはない程度の身長で、あまり体格に特徴はない。ただ、顔だけ見れば百人中九十人はヤクザと疑い、残りの十人は脱獄囚がいると通報してしまうだろう。そんなヤクザな彼が喫煙所に辿り着き扉を開けると中のベンチに細目の中年男が座りながら一服していた。
「お疲れ様です。会議もう終わったんですか」
ヤクザくんが中年男に軽く会釈しながら話しかけた。
「お疲れ。課長が集まってグダグダ喋るだけの集まりにそんな時間割きたくなかったからな」
「しっかり仕事している一課長からすれば、くだらない会議ですか」
喫煙所には二人以外姿はなく、両者共に歯に衣着せぬ物言いだった。
「そういや昨日非番やったんやろ。どっか出かけたんか」
灰皿にタバコを放り投げながら、捜査一課長が尋ねた。
「組対と一課で三宮にボルダリングしに行きました。三十代のおっさんチームは後半疲れ果てて、飲み屋に逃げ込みましたけどね」
「お前はヤクザ顔だけあって組対と仲ええな。捜査一課から組対への移動も近いんやないか」
「勘弁してくださいよ。俺はまだまだ課長のもとで働かせていただきます。あっ、そういえば」
顔から笑顔を消してヤクザくんが話し出した。
「組対から聞いたんですけど、龍兵会が解体されたそうです」
龍兵会は神戸に本家を置く、全国でも有数の暴力団組織である。第二次世界大戦後の闇市で、露店を本職にするテキ屋業から愚連隊などを吸収し、大きくなっていった歴史の長い組織だ。先ほどから話に出ている組織犯罪対策部、通称組対は暴力団関連の事件を扱う部署だ。
「あの龍兵会が解体か。内部分裂でもあったか」
「いえ、単純に資金繰りができなくなったそうです。普通の企業で言うところの倒産ですね」
「暴力団が金儲けできん世の中になって来ているとはいえ、あんなデカイ組織まで潰れるか。暴力団が解体されることは単純に考えれば良いことやけどな、神戸での半グレの犯罪が増えるやろ」
「あれだけ大きな暴力団が潰れたということは、行き場のなくなった構成員が大勢いるでしょうから。今いる半グレの抑止力がなくなるだけでなく、半グレそのものの数が増えるでしょう。頭の痛い話です」
半グレは暴力団に所属せずに暴力団のようなことをしている奴らのことだ。組織として確立したものがない分、無法者が好き勝手に犯罪行為に手を染めるので暴力団よりもタチが悪い。
「もちろん犯罪が起きる前に止めることができればそれが一番ええんやけどな。せめて起きたものを解決することに全力を尽くさなあかん。また忙しくなりそうやな」
先ほど火をつけた二本目のタバコの火を睨みながら呟いた。
「お前にも頑張ってもらわなあかん。頼むで」
「はい。生まれ育った県の犯罪が増えるのは心苦しいですからね」
地元が姫路市のヤクザくんが力強く言った。
「ではお先に失礼します。今から加古川の連続殺人の帳場に顔出さないといけないので」
「おう、お疲れ」
ヤクザくんが出ていくときに入って来た空気が、一課長のタバコの煙を激しく踊らせた。
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