プロローグ

3/5
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
長い歴史の中で、常識は幾度となく変わってきた。 鋼鉄の翼で空を飛び、地球がまわっていることを証明し、圧政に強いられた国を解放する。そこに居合わせるのはいつも人だった。 非常識を常識に変える人間、尽きることのない欲望と願望を叫び続けた人間が必ずいた。  大衆には彼らが奇人に見えただろう。  奇行に思えただろう。  理想論、机上の空論、妄言だと嘲笑ったことだろう。  だが、その愚かな希望と信念を叫び続けた彼らは、まさに奇跡と呼ばれるほどに、想像を超える現実、偉業へと昇華しえたのだ。  勇者は大地を強く踏みしめる。  世界を守る? そんなたいそうな理由ではない。愛するたった一人の女を守りぬく。ただの自己中心的な願望のために、男は不敗神話の怪物に挑む。だが、その信念を糧にして彼は爆発的な加速で怪物に迫った。  世界は変わろうとしている。  雷のごとし加速は怪物の攻撃を回避して、ついに射程距離である怪物の懐に飛び込んだ。 「我が嫁エリーシャに捧ぐ」  煌々に輝く剣を掲げると、勇者は猛々しい咆哮と共に大剣を振りぬいた。  辺りが光に包まれる。  静寂の後、光が和らいで徐々に輪郭を取り戻した空間には、体に三本の線が刻まれた怪物と、剣を振り切った勇者の姿があった。  数多の豪傑を沈めてきた不敗神話の怪物の巨躯が、今まさに、うめき声と共に光の粒子となって雲散した。  息を切らせる勇者は、一瞬の勝利の余韻をかみしめる。 ついに、ついに倒したのだと。 右手の拳に力を込めて立ち上がろうとした瞬間、その高鳴りを一瞬で冷ますように額に冷たいものが突きつけられた。  そして、先ほどまでの鉛のように重い怪物の声ではなく、鈴の音色のような心地よい声が空間に響く。その声は美しく、そして残酷だった。 「結論、やはり無駄なあがきでした」  恐る恐る視線を上げた勇者の瞳には、漆黒の外装に金の装飾が施されたアサルトライフルの銃口。そして、その奥に水色の瞳で自分を映す少女が立っていた。  全力をとして倒した怪物を操っていた真の敵である。黒いローブで身を隠し、艶のある黒髪に色白の肌。感情の乏しい表情がまるで女神像のように神秘的だ。 「どうやらあなたはそうとう毒されているようですね。現実と虚構の区別がつけられないほどに。私があなたの目を覚まし救済しましょう。あなたに嫁なんて存在しません」 「エ、エリーシャは存在する!」  少女は表情を変えないまま、勇者に哀れみの目だけを向けた。  そして、まるで朗読のように冷酷な言葉が続く。 「まずあなたがすることは一つ。今すぐそのライトノベルとかいういかがわしい本を閉じてください。エリーシャという少女は二次元のキャラクターであり、創作物であり、インクでできた存在であり、あなたの願望です。それを嫁とのたまい、自分の欲望を恥ずかしげもなく語るあなたは、自分の恥部を他人に見せたがり強要する、露出狂の変態ですね」 「そんな、俺は本当にエリーシャを――」 「反論。あなたは自分が一番エリーシャを愛していると思っているようですが、そう考える人はあなただけですか? 少なく見積もっても数千人多ければ数万にも及ぶ人物が、自分が一番だと信じている。しょせんあなたの愛は有象無象と同じ数万分の一程度の価値なのです。井の中の蛙さん、そろそろ現実が見えてきましたか? 自分が特別だと妄信する時間はもう終わりです。大人になりましょう」  淡々と鋭く突き刺す少女の言葉に呼応して、彼女の体には黒いオーラが纏っていく。 煙のようなオーラは生き物のようにうねり、アサルトライフルの銃口に集まっていった。  それと同時に、勇者というハリボテを被ったただの高校生の目には涙が溜まっていく。心をぽっきり折られた彼は、セコンドからタオルを投げ込みたくなるほど哀れな姿になっていた。  そんな彼を不憫に思ったのか、彼女はきゅっと口を結んで捨て犬を見るような儚げな表情で言った。 「少し無駄口が過ぎました」  同時に銃声が一発、静寂の空間に鳴り響く。額を撃ち抜かれた勇者は弾き飛ばされるように後ろに力なく倒れて消滅した。  少しの静寂のあと、大歓声が起こる。 「勝者、Sランク『審判の魔女』美甘未夜(みかもみよ)、二千四百八十八勝無敗。なお、今回の討論により、歴代無敗記録まで残り百勝となりました。それではみなさん、シーユーネクストアゲイン。解説のティアでした」  電脳プログラム『ティア』の勝利宣言を聞きながら、少女こと美甘未夜は何事もなかったかのように踵を返して歩き出す。そして、「無駄な討論でした」と呟いた。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!