スターリー・ナイト・ファンダンゴ

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スターリー・ナイト・ファンダンゴ

 とても100円とは思えない。何せタワーマンションの最上階だ。とは言え一望できる東京の夜景は果てしない闇に包まれている。それよりも夜空に煌めく星が美しい。手を伸ばせば、あの星のどれか一つくらいなら指先でつまめそうだ。その代わりエントランスで初めて会った彼女に財布からつまみ出した百円玉を一枚渡して、それで僕はこの部屋を買った。この部屋で僕は世界の王になった気がしたけれど、僕に従う人間に今のところ会ったことがないので、僕は王ではない。王ではないけれど悪い気はしない。こんな気持ちで、もっと人と話せたら良かった。  日本政府の少子高齢化社会対策としてなし崩し的に推進された移民政策を真に受けて地獄を見た女性の腹から、僕は生まれた。事実上の奴隷制だったとして国際司法裁判所でつい先日審理が始まったばかりの「外国人技能実習制度」によってベトナムから来日したのが僕の母親だった。彼女はボートピープルとして日本に逃れた親戚の伝手を頼って東京で二度目のオリンピックが開かれた年に日本に来た。そして日本人の男と知り合って恋に落ち僕を身籠ったが、僕を産む時にはその男は既に韜晦していた。二人が出会ったのは医療器具の検品の工場だったらしい。日本で育った僕には、派遣社員として働く工場に日払いのアルバイトで同じく派遣された、生まれながらに日本国籍を与えられた三十路過ぎの男とセックスをすることでベトナムの農家からはるばる海を越えてやって来た二十歳を超えたばかりの女が「幸せ」になれる蓋然性は極めて低いことが分かる。それは統計的な話だ。もちろん中にはそうした状況でも相手に見出す自分の欲望と相手から欲望される自分の像との距離感を探りながら他者との関係を構築しようと努力する男もいるだろう。けれどもそれは、砂漠に寝転んだら指に針が刺さった、というような御伽噺めいた偶然であって、現実に出会える可能性は限りなく低い。少なくとも僕の母親は出会えなかった。その結果として、僕が生まれてしまった。  彼女は異国での暮らしの困難や寂しさの埋め合わせを得ようとするかのように僕を愛した。けれど彼女に愛されれば愛されるほど、僕は愛というものが結局は人を救いはしないのだという事実をこの身体で思い知っていった。彼女の愛は本物であったし、だからこそその事実を誤魔化す余地はもうどこにも残されていなかった。別に欲しいおもちゃを無際限に買い与えられた訳じゃない。僕はガンプラが好きだったけれど、買ってもらえたとしても千円台のHGがやっとで、MGを組んだことは一度もなかった。  その代わり彼女は小学生だった僕に、六年間毎日「その日学校であったこと」の日記を書かせ、提出させた。それはあらゆる意味で理に適っていた。彼女自身の日本語力の向上のため、何より僕自身の学習の為に実用面では大いに役立ったし、そのようにして彼女は僕の成長を把握することができて、そうすることは異国で母子二人の心細い暮らしを送る彼女の心理を大いに支えただろう。けれど、僕にとってはそれは必ずしも良いことではなかった。毎日「書く」ことを強いられた分、僕は僕を客観的に見詰める視点を多分クラスメートたちよりも早く持たざるを得なかった。結果、僕の子供時代は遅くとも小学三年生の頃にはすっかり終っていた。そういう訳で、中学に上がると同時に僕は家を出た。  それから今日に至るまでの十年を、僕は日本の落日とともに歩んだ。最初は新聞配達をしながら本を読んだ。ある程度自立の目途が立ってくると、僕は僕の遺伝的な父親である男がそうしたように日払いの派遣バイトに出たりしながら通信制の高校に通って、卒業後は奨学金で大学に入った。飲み会でチョンが、と吐き捨てる軽音サークルでドラムを叩いている先輩を横目に日本人というのは本当に気楽な身分だと思ったりしたけど、僕はその気楽さに殺される側なので黙っていた。とは言えそれはむしろ空元気であって、彼は彼で自分が思うよりは気楽でいられなくなってしまった空気を言葉以前に肌で感じていて、その焦りが言葉になった時、それは「チョン」と発音されたのかも知れない。しかし僕には日本人の男に同情してやる義理などなかったので、やはり黙っていた。黙ったまま僕は大学を卒業し、文具メーカーに入って営業の傍ら新商品のデザインなんかをやるようになった。その間にも少子高齢化は進み、日本の国際競争力は下がり続けた。にも関わらず日本政府は依然として外国人労働者を単純労働力としてのみ認め、一人ひとりを尊厳ある個人として尊重し共に社会で暮らしてゆく為の移民政策を採らなかった。選挙権のある日本国民の大半はそうした政府の態度に積極的な反対の声を上げず、結果として消極的に支持し続けた。よって、遂に日本政府はベトナム、中国、ミャンマーなどの国々によって国際法廷の場で提訴されることとなった。  けれどそんな日本の落日は、奇妙に人類全体の落日とも符合した。いや、より正確に言うなら、日本が牛歩で歩んでいた落日への道程の、そのゴール手前で人類社会全体が追い付き、追い越してしまった。結果、日本の落日は人類の落日と見分けが付かなくなってしまった。この一ヶ月で、全人類の99%が滅んだと言われている。最早国境も政府も意味がなくなった。未知のウィルスのパンデミック。そんなことが今更有り得るのかと思うけれど、別に世界は人間の都合で存在している訳ではないのだから有り得るだろう。僕と同じような数少ない生き残りがネットに流した真偽不明の情報を、とりあえず僕は信じることにした。だって死体は、目の前にあるのだから。東京は戦争の後のように、至る所に死体が横たわり、横たわるままに腐っている。爆撃の結果死んだ訳ではない彼らの身体は燃えないのだ。僕はその腐り、爛れた街の中を自由に歩ける。何故かは知らない。もしも本当にウィルスのパンデミックだったとしたら、僕も確実に感染しているだろう。ただ今は平生どおり身体は動くし、意識も自覚できる限り明瞭に保たれている。いつかは死ぬのかも知れないが、それはウィルスが発現しなくたって同じだ。そしてそのいつかがいつかなのかを、何れにせよ僕は知ることができない。  一先ず食料には困らなかった。都内には無数の無人のコンビニがあり、そこに備蓄された保存食糧だけでも数年は暮らせるだろう。何より、争う相手もいない。適当な一軒家の窓を割って中に入った。幸いその家には空気清浄機があったので、元の主人の死体を道路の角のゴミ置き場まで引き摺って、割った窓をガムテープで目張りして一歩も外に出ずに暮らした。  このまま世界が終るまでこの部屋に居ても良かったけど、今日の僕はちょっと外に出て街の腐臭を嗅ぎたい気分だった。そういう訳でマスクもせずに家を出たのだけれど、とは言えそれ程の衝撃はなかった。空気清浄機をいくら回そうが、一ヶ月も部屋に篭って居たら部屋の中の空気と外の空気との区別など付かなくなっていたのだろう。僕はとっくにこの世界に適応していた。期待した刺激は得られなかったが、このまますごすごと家に引き返すのも癪だったから少し散歩することにした。別に家に帰る必要もない。どこに引っ越したっていい。そんなことを考えながら車の一台も通らない大通りを歩いていると都心に近付いて行った。明治通りと昭和通りの区別が未だに付かない。もう区別を付ける必要もないのだけれど。  巨大なビルの前を通り過ぎてから、あれ、と思って引き返すと、階段を数段上った先のエントランスに立つ少女と視線が合った。間違いない、視線が合った。ということは、彼女は生きているということだ。 「こんにちは」  と近付いて僕は声を掛けてみたが、反応はない。その代わり彼女はジーンズのポケットから取り出したスマホに何やら入力して僕に付き出した。 「ここの最上階の部屋、今100円で売ってるけど、買う?」  買う、と答えたのが五時間前のことだ。一ヶ月脱いでいないジーンズのポケットに財布が入っていてよかった。開くと丁度百円玉が一枚と、五円玉が一枚に一円玉が三枚入っていた。札はなかった。そういう訳で僕はぎりぎりタワーマンションの最上階の部屋を買うことができた。  けれど今、僕は窓の割れた赤いスポーツカーの運転席に居る。助手席には僕に部屋を売ってくれた少女。見付けた時には深紅に輝いていたスポーツカーも、既にバンパーが凹み、ヘッドライトは右側が割れた。勘違いしてほしくないのは、僕が意図的に車に付けた傷は窓を割ったことだけだ。それ以外は、つまり僕が免許を持っていなかったという不運によって引き起こされた事態だった。彼女はここらの不動産王の隠し子だったらしい。言葉が喋れないのか、それとも喋る気がないのか分からないけれど、僕が「乗る?」と書いたスマホの画面を差し出すと首を縦に振った。その結果として、彼女は今誰とも分からない男の運転する、誰のものとも分からない車の助手席に座っている。どこに行く必要もないけれど、必要がないということで言えばそもそも僕らはここに居なくたっていいのだ。僕はハンドルを両手で握ってアクセルを踏んだ。死体を次々に轢きながら、生まれて初めて僕は生きていると思った。
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