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宝田光の事情 1
待ち合わせのカフェの自動ドアをくぐり、目を泳がせると、窓際に座る音無さんを発見した。私が軽く頭を下げると、音無さんは小さく微笑んで片方の手を胸の高さに持ち上げた。
カウンターでいつものカフェオレを注文し、受取口から再度窓際の方に顔を向けると、コーヒーを口に含んでいる姿が見えた。先ほどとは違い薄暗い表情をしている。
なにかあったのかな、と思う。
音無さんは私よりも7つも上の27歳。仕事はハードだし、今日の休みだって急に時間を作ってくれたみたいだし……、疲れているのかもしれない。
この後映画に誘おうかと思ったけど、やめたほうが良いかな。
モヤモヤと考えながら「お待たせしました」と言って、彼の向かいに座った。
「いや、光は時間通りだよ。大丈夫」
音無さんはいつも暖かい笑顔をくれる。それは陽だまりのように優しくてほっとさせてくれる空間で。でも今は影がさしているようにも見える。
「音無さん、もしかして疲れてます? 今日大丈夫でしたか?」
私がそう言うと、彼はますます表情を暗くした。
「いや、俺から呼び出したんだから。来てくれてありがとう、光」
私は首をゆるく振った。なんだろう。本当に元気がない。
「どう、し」
「あのな、光……」
私達の声が重なった。私は黙って音無さんの次の言葉を待った。
音無さんは、苦しそうに見えるほど眉間に皺を寄せていて、絞り出すように少しかすれた声を出した。
その声は、ゆっくりと私の耳に届く。
「別れてほしいんだ」
え? 音にならずに喉で止まった。
「ごめん……」
頭を下げる彼をスローモーションで見ているように感じる。今なんて言われた? 別れる? ごめん?
すぐに反応できなくて、耳から入った言葉を頭の中で何度も繰り返した。
音無さんは頭をあげて、私を痛々しい顔で見ている。
どうしてそんなに辛そうな顔をしているんだろう?
「えっと……、私、なんかしましたか?」
この人をいつ傷つけたのだろう、そんなふうに思った。じゃなきゃ、音無さんはこんな顔しない。こんなこと言わない。こんなことにならない。
「光は悪くない。俺が全部悪い。本当に…、ごめん」
「悪い、って何がですか? どうして音無さんが悪いんですか?」
頭で考える前に、言葉が勝手に出てきた。どうして?どうして? って……
「す、好きなやつができたんだ。だから……」
「あぁ……」
そっか……。
またか。
また私はフラレたんだ。
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