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テレビでは、今話題の女優が崖の上に立って、何かを叫んでいた。
それを視界の隅で眺めながら、ひとりソファに座り、缶ビールをあおった。
あのあと、どうやって帰ってきたのか、記憶がはっきりしない。
たぶん何も言わずに、何も訊かずに、ただ席を立って、家まで戻ってきた、と思う。
帰ってくるなり癖になっているテレビをつけて、冷蔵庫に残っていた音無さん用のビールをテーブルに並べて……
そうして今、――目の前には空き缶が3本。これさえ捨ててしまえば彼の存在の証拠はなくなる。
なにも。はじめからいなかったみたいに。
なのに……、心の中の存在が色濃く主張する。彼は確かにここにいる、って。今でも、この中にいる、って。
私の『恋人』だった。
一緒にいるだけで、心が温かくなって。
彼の空気に包まれているとホッした。
同じ気持ちだと思っていた。
ずっと傍にいてくれるって、信じてた。
どうして信じられたんだろう。
こんなにもあいまいで、脆いものなのに。
人の気持ちなんて変わってしまう、って知っていたはずなのに、今度は大丈夫だなんて。どうして思えたんだろう。
「私、ばっかみたい!ははっは……」
鼻から抜ける乾いた笑い声がビール缶の中で響いて、変な楽器みたいな音がする。
声にもならない、変な音。
それがだんだん湿り気を帯びてきて、もう缶の中だけじゃあ納まらなくなって、悔しくて、情けなくて、缶をテレビに投げつけた。
画面の中の女優は、追いかけてきた恋人に抱きしめられて、エンドロールの脇で幸せそうな顔をこちらに向けている。
現実は、そう簡単にいかない……。誰も追いかけてなんか、来ない。
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