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第十回
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翌日、七郎が染物屋の風磨で食事ーーただ飯ともいうーーしていると鯉のうま煮が出てきた。
「美味い」
輪切りにした鯉のうま煮を肴に酒を飲む七郎。新しく雇い入れたという女中は、彼にいぶかしげな視線を向けていた。
事情を知らぬ彼女には、なぜ國松も小太郎も七郎を丁重に扱うのかわからない。
「これはどうしたんだね?」
「剣術の先生が店に差し入れって」
七郎の問いに女中はむすっとした顔で答えた。二十歳前の娘だ。
「ああ、又十郎か」
七郎は酒を飲む。弟の又十郎が散歩中に漁師の三郎から鯉を買ったのを知るのは、後になる。
「ん、いや何、知り合いさ」
目を丸くしている女中にそう告げて、七郎は風磨から出た。そろそろ夕刻、暗くなってくる頃だ。
漁師の三郎はらしゃを伴い、仲間達と共に居酒屋へと出向いていた。
「おい、三郎! なんで、お前がこんな美人と!」
漁師仲間の嫉妬も、もっともだ。女っ気のなかった三郎の下に、らしゃのような身分も低くなさそうな娘がやってくるとは。
漁師仲間の半分は嫁をもらっているから落ち着いているが、独り身の男は胸を焦がすほどの嫉妬に狂わされていた。
「三郎に乱暴しないで!」
三郎の隣に座っていたらしゃが、漁師仲間の顔に小さな拳を叩きこんだ。その一撃で漁師仲間の一人は鼻血を流した。
「お、おい……」
青くなってたしなめようとする三郎と、頬を膨らませて鼻息を荒くしているらしゃ。
そんな二人を見つめて、鼻血をおさえる漁師仲間は言った。
「気に入らないのが気に入ったー!」
と。なんだかわからぬまま夕食は進んだ。
「ど、どうぞ」
慣れぬ手つきで漁師仲間に酌をするらしゃ。その甲斐甲斐しさに漁師仲間の独り者は感動した。
こういうおしとやかな嫁が欲しいと。男は単純であった。また、江戸の人口の七割が男だったため、独り身は多かった。
その為に尚更、らしゃのような娘を好ましく感じたのだろう。
「三郎をよろしく頼むよ!」
鼻血を流しながら、漁師仲間の一人はらしゃに言った。らしゃは苦笑し、その漁師仲間に酌をした。
「ははは……」
三郎も苦笑して、らしゃと顔を見合わせた。
二人はすでに男女の仲だった。
出会って十日程度だが、二人は前途に明るい未来を見据えていた。
だが、居酒屋の端では三郎達に敵意混じりの視線を向けている一団があった。
浪人である。
江戸には数万人の浪人が集まり、治安は乱れていた。
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