第十一回

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第十一回

 この時期、江戸には数万人の浪人がいたという。先の三代将軍によって全国に改易の嵐が吹き荒れた結果だ。  慶安の変の影響により、浪人の救済は少しずつ行われているが、救われぬ浪人が圧倒的に多い。  そんな浪人達は静かに三郎達の酒盛を見つめていた。  静かではあるが、彼らの目は冷徹な爬虫類のようでもある。  じっとして騒がず、三郎らに気づかれぬように様子を伺う浪人達。  やがて三郎らが店を出ると、彼らも店を出た。  一合の徳利を五、六人で飲んでいたようだ。彼らはあらゆるものに餓えている。  暗く成り行く江戸の空の下を、三郎とらしゃは帰路に着く。 「気にするなよ、あいつらも口が軽いだけだからさ…… もしも、らしゃに変な事したらぶっ飛ばしてやるけど」 「うふふふふ」  らしゃはよく笑う。笑うとなおさら可愛らしい娘である。三郎の仲間達が嫉妬するのも当然だ。 「お、俺は、お前となら……」 「え?」  三郎とらしゃの会話はそこで途切れた。  二人の後ろには浪人達がいた。浪人達は三郎達の後をつけていたのである。  浪人達は餓えた獣のような目で三郎とらしゃを見据えている……  三郎とらしゃは揃って血の気が引いた。 「らしゃ!」  三郎はらしゃの手を引き、駆け出そうとしたが遅かった。  駆け寄ってきた浪人が一人、三郎に殴りかかった。  更にもう一人が背後から三郎を羽交い締めにした。そして三人目の浪人も三郎を殴りつけた。 「三郎!」  らしゃの悲鳴は途中で遮られた。らしゃを囲んだ三人の浪人が、彼女に抱きついた。 「いや、離して!」 「ら、らしゃ!」 「うるせえ!」  一人の浪人が三郎を殴り、別の浪人がらしゃの顔を平手打ちにした。  三郎もらしゃも顔は蒼白だ。江戸では浪人の犯罪が多発しているため、町民に小太刀の携帯を認めていた。  それは即ち「自衛せよ」という意味だ。奉行所の者達だけで江戸の治安を守れるわけがない。 「金を出せば命まで取らぬ」  一人の浪人は三郎の耳元で囁いた。 「男を助けたければ、わしらの相手をしろ」  らしゃに抱きついていた浪人は、らしゃの耳元に囁いた。  三郎もらしゃも顔を蒼白にして見つめあった。  先に待つ展開に、三郎もらしゃも生きた心地もせぬ。  らしゃは三郎を生かすためなら、浪人達になぶられるのも辞さぬ。  が、三郎はらしゃを浪人達に抱かせるくらいならば、抵抗して殺されるのもかまわない。  二人の視線が交錯し、いかなる答えを出すかーー  浪人達は二人の答えをじっと待っていたが、それが油断に繋がった。 「ーーたわけ」  らしゃに抱きついていた浪人は、背後に声を聞いて振り返った。  その拍子に、浪人は鉄扇で額を打たれ昏倒した。 「な、なにやつ!」  らしゃの側にいた浪人が叫ぶのに構わず、謎の人影は組みついた。  そして左手で浪人の右手首をつかむや否や、体を反転させている。  浪人の体が宙に舞い上がり、背中から地に落ちた。  後世の柔道のような、豪快にして鮮やかな投げ技だ。  浪人を地に投げ落とした人影は、右目の潰れた隻眼の異相であった。
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