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第七回
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昼である。七郎は江戸城から程近い九段の染物屋「風磨」にいた。
その広い庭で、七郎は庭木の太い幹に縄を巻きつけ、組討技の修練に励む。
「せい!」
縄を引き、体を回転させる七郎。庭木を投げ落とさんとする気迫に満ちていた。
彼が今、庭木にしかけているのは、後世の柔道における背負投であろう。柔よく剛を制すを体現した芸術的な技である。
「ほう、精が出るな」
屋敷の縁側から七郎の修練を眺める男は、染物屋の小太郎である。彼は忍者の子孫だという。
「新たな敵が現れたか」
小太郎の隣で精悍な眼差しを七郎に注いでいるのは、染物屋の主である國松だ。彼は兵法においては七郎と同等か、それ以上の使い手でありーー
江戸に有事あらば、小太郎らを率いて働く手はずになっていた。事実、由井正雪の乱を未然に防いだのは、七郎と國松・小太郎の手勢であった。
「うちの者を貸すぜ」
小太郎は不敵に笑った。染物屋の旦那としてより、影から江戸の町を守る事が小太郎の喜びだ。
「うむ、頼む」
七郎は全身に汗をかきながら小太郎と國松に振り返った。左の隻眼は輝かしい光を放っている。
捨身必滅の気迫ーー
七郎は最高の一手に命を懸けている。
それでこそ真の将軍家剣術指南役だ。役を退き弟に譲ったのは、隻眼ゆえに己の技を未熟と恥じての事だ。
だが、その精神性と真剣勝負の経験ならば、七郎は又十郎をはるかに越えている。
「よーし、今日は久々に稽古でもすっか!」
「七郎、余が胸を貸してやろう」
小太郎と國松は顔を見合せて笑った。この二人は、かつて七郎と命を懸けた戦いに挑み、そして敗北した。
七郎に命を拾われた彼らは、心を改め、江戸の町を影から守る役目を担ったのだ。
七郎には感謝している。小太郎も國松も、七郎の為ならば一肌も二肌も脱ぐだろう。
同時に江戸城御庭番衆の育成にも励んでいる。幕末にペリーの黒船に忍びこんだという「最後の忍者」という御庭番衆は、小太郎や國松の血を引いているかもしれない。
「ギャ……」
七郎はひきつった笑みを浮かべて小さくつぶやいた。小太郎にも國松にも彼は勝った。
が、二度とやりたくないというのが七郎の本音だ。それほどの相手であった。
陽が沈んだ頃、実戦さながらの稽古を終えた七郎は染物屋・風磨を出た。
借りてきた提灯を手にして、帰路に着く。長屋の自室に戻ると、七郎はばたりと畳に突っ伏した。
(まあ、ありがたい事だ……)
七郎は隻眼を閉じて苦笑した。國松と小太郎の手の者は、常に江戸を見張っているのだ。
奉行所や同心らだけで広い江戸の治安を守れるわけがない。幕閣でも知る者の少ない隠密部隊を率いる國松と小太郎は、七郎には頼れる仲間であった。
ーーす
七郎は己の額を撫でる優しい手のひらを感じた。女の柔かな手の感触だった。
慌てて七郎は身を起こすが、部屋の中には彼以外、誰もいるはずがなかった。七郎は再度、畳に突っ伏した。
(女は…… 傷つき倒れた男の味方か……)
そんな事を思いながら七郎は眠りに落ちた。この部屋には何かがいるのだ。
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