【桎梏と相対せし氷雨の中】

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* * * 「明星街は、賭博とかの観光業で儲けてるって話だが、あれは旅行雑誌にでも載せる、表向きの説明だ」  昨日も歩いた繁華街を歩きながら、俺はハオに話した。 「昨日言った通り、実際は違法取引での収益がメインな」そこの路地に入ろう、と俺は指をさす。ハオは首肯だけして、俺の隣から離れないようにじっと目を向けていた。 「この街に来るヤツらは、純粋な賭博目当てが三割、残りは違法取引が目当て、そんなとこだろ」  ふと壁面を見れば、前まではなかったグラフィティアートが描かれていた。ハオにただの芸術だと言った手前、立ち止まることもできず横目で暗号を読む。――ハオの監視指令であった。しかし、ユウヤと共に行動している場合は問題ない、と言った付け加えがされていた。文章の最後にはトーアと書かれている。どうやら、買収は既に済んでいるようであった。 「俺と、ねぇ……」思わず口に出してしまう。「何のことですか」「ああ、いや、何でもねぇ」行こうぜ、と俺は歩む速度を速める。ハオは黙ってそれについてくるが、しばらくして、俺のパーカーの裾を、指で掴んだ。 「……何だよ」  一瞬警戒してしまったが、敵意がないということはすぐに分かった。 「……ユウヤさん」  申し訳なさそうにハオは裾を離す。 「……教えてください。ここは……どうして、明星街なんて呼ばれてるんですか?」 「それはまた、何でいきなり」 「……ユウヤさんの家から帰った後で、商店街の道を通ったんですが」  確かその通りを真っ直ぐに行けば、人身売買の競りが日夜行われている劇場があったはずだ。裏路地を奥の方に入っていけば、かつてドゥーショのヒットマンが経営していた店もある。明星街の通りの中で、恐らく最も混沌とした通りだろう。 「通り過ぎる人みんな、楽しそうなんです。――その根底に見えるものが、すごく黒いモノなのに」 「……どこが、夜明けの街だ、って言いたげだな」 「はい……」 「昨日も話したが――」  俺は天を仰いだ。ビルの隙間から見える曇天、鈍色。アナーキー社会に蔓延する狂気。退廃的であるはずのこの街に冠された、明星の文字。――いつ考えても、皮肉的だ、と俺は少し笑い、近くのゴミ置きの上に座った。ハオも、隣に腰掛ける。 「暁闇街」 「え?」 「お前も見ただろう。暁闇街の様子を」  山岳地形に建てられた城砦のビル群。九龍城砦には劣るが、それでもなお多くの人間と戦争兵器の残骸を残すその街は、暁闇――日の出前の明るい闇、転じて夜明けの来ない街――、そう、揶揄されていた。 「実は、『明星街』って名がついたのは、この街が観光業として成立してからなんだよ」大体四十年くらい前か、と付け加える。 「元々暁闇街があって、そこに明星街ができた。暁闇の中で唯一、夜明けを迎えた街――それが、明星街ってことだ」 「でも、実際は」 「ああ、明星街も、本質をつけば未だ暁闇の真っ只中だ。明星なんて昇ってさえいない」 「……皮肉ですね」 「それを言うなら、『鴻業城』っていうのも皮肉しかねえよ」 「ですよね……」  誰もやろうとしなかった偉業、と口ずさむ。ふざけた命名だ。しかしこの皮肉さえも、明星街を最も体現しているように思える。 「……誰がこんな名前、つけたんだろうな」 「ある意味センスを感じます」 「そんなセンス、違うところで活かせって感じだがな」  最後は少し自嘲気味になってしまった。少しではあるが、雨が降り始めたようである。行くか、と俺は立ち上がる。ハオも立ち上がり、お願いします、と言った。 * * *
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