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とりあえず何か飲みたいと、俺とハオで意見が一致した。しかし下手に適当な店に入れば、ほとんどの確率で裏取引の現場に遭遇し、かなり面倒なことになる。最悪、戦闘になることもあるだろう。俺一人ならなんとかなるが、今はハオがいる――成り行きとはいえ、彼を面倒ごとに巻き込むのは気が引けた。ならば、と少々不本意ではあったが、店が立ち並ぶ、明星街中心に近い場所の裏路地に入った。
丁度、酒屋の店主が大きなゴミ袋をいくつも裏口から出しているところであった。しめた、とハオとともに壁に身を隠しながら思う。ハオが透明化しないんですか、と訊いてきたが、それは体力の消耗が激しいので、素早く対処できなかった場合やもしもの時以外は使わないようにしていた。
店主が店に戻るのを見届けてから、ダストボックスに近づいた。厳重に南京錠で施錠されている。面倒だ、と近くに置いてある木の棒をダストボックスの蓋との間に挟み、梃子の原理でこじ開ける。
金具が軋む音がしたが、先ほどの店主が戻ってくる様子はない。俺はそのままダストボックスを漁る。遅れてハオも、若干申し訳なさそうに漁り始めた。
「い、いいんですか、こんなこと……」
躊躇いもなくゴミを漁る俺に、彼は不安げにそう聞いてきた。
「ンなもん、勝手に臓器売るだとか、兵器を密売するだとかよりかは全然マシだろ」
それに比べればこんなもの、犯罪にもならない。生きるために必要な行為である。もっとも、鴻業城で違法行為など、飽和するほどありふれたものだ。
木を隠すなら森の中。犯罪を隠すなら――なんとやらだ。
「それでも……本当に、いいんですか?」
「まァそうだな、見つかったら死ぬと思え。生きたいなら死ななければいい」
「……嘘、ですよね」ハオが願うようにそう言った。それから、周りを気にしてかぐるりと見渡す。
流石にダストボックスを漁っただけで消されるなんてことはないが、ハオには常に用心おいてほしいところである。急かすように、ハオを呼んだ。
「ほら、早く漁るぞ」
しかし中から出てくるのは、割れたビール瓶、闇取引の暗号文、野菜の皮、鶏ガラ、どこの部位かもわからない何かの肉片、その他のゴミ。ダメだな、と呟いて裏口の周りを散策する。ビールケースが三つほど、山になっていた。
「これ、いいな」
「……どうするんですか」
「意外かもしれんが、一本丸々入ってても、捨てるヤツが結構いたりするんだよ」言って、一つずつ中身を確認していく。ハオも一瞬の躊躇の後、それに倣ってケースを漁り始めた。六、七本ほど中身が入っているものがあったため、それだけを取り出す。
「結構、ありましたね」ハオがそれらを抱えようとするのを、俺が制止する。
「中身、よく確認してからにしろ」
「えっ?」
「たまに廃油とか薬物とか、他にもヤベェもん入れてるヤツがいる」
言うと、ハオの顔色が一気に悪くなっていく。「よくあることなんだ、確認は大事だ」普段の仕事にも言えるんじゃねぇか、と流石に今回ばかりはフォローを入れる。「ちょっと……今は見たくないです……」ハオがそう言うので、中身は俺が確認することにした。
半分程度残った酒が二本と、未開封の炭酸飲料水と、あとは――。
「……これは……捨てておこう」残りは何も見なかったことにした。ハオも、好奇心からか横目でこちらを見たが、すぐに目を逸らした。
結局、その三本の瓶だけを持って帰ることにして、残りは全てダストボックスの中に突っ込んだ。今更ゴミの分別などやるだけ無駄である。
「ところで、どうしてわざわざ家に持って帰るんですか?」
ハオが尋ねる。持ちます、と言って瓶を二本、代わりに持ってくれていた。
「言ったろ、その日暮らしだって。ストックはあればあるほどいい」
「お酒、飲むんですか」
「いや、これはランプにする」
「アルコールランプですね」
ただ街へ観光しにきたのならば多少の手荷物は気にしなくてもいいかもしれないが、仮にも俺はドゥーショから目をつけられている身だ。少しでも装備は軽くして、すぐにでも対処できるようにせねばならない。
少しでも何かを手に入れたのならば、一度持って帰る。馬鹿らしいが、このような日々の面倒な事の積み重ねが、今日まで俺を生き永らえさせてくれている。
他に何が必要だろうと考えて、できれば、と無意識のうちに頭をもたげた願望は、孤独という現実の前には無意味であった。それに気づいて、どうにも甘い、と思った。
俺はハオを見て、溜め息をついた。――こいつじゃなくて、俺の方が毒されてきているみてえだ。
「……なァ、ハオ」
「なんですか」
「……お前は、街に慣れるなよ」
ハオは俺の言っている意味が分からないと言った表情をしたが、最終的に分かりましたと頷いた。
――それにしても、どうせ捨てるものを盗んではいけないとは、馬鹿な話である。ならば、一度捨てた仲間をもう一度拾うことはどうなのだろう。一瞬だけ頭をよぎった問題に、俺は頭を振った。そもそもシドを一度でも仲間と思ったことがあるのかすら、自分の中では曖昧であった。
シドは雄弁家ではあるが、仲間を――他人を思いやることはほとんどない。いや、この街に生きる者ならば大概はそうであるが、シドのソレは少々度が過ぎているように感じる。
ハオに言って、元来た道を戻っていく。なるべく中心部にはいたくなかったため、少しでも早くここから抜け出したかった。なるべく案山子がいない道を通る。それでも見つけてしまった場合には、ハオに隠れるように言って、俺は全身を透明化し、こちらを見れないように案山子を横に倒していった。
――俺は、シドが嫌いだ。否、憎しみさえ抱いている。孤独をつきつけ、背中を押して、独りに突っぱねて――、当の本人はドゥーショの中で、幹部として悠々と生きている。苛立ちはしたが、報復しようとは思えなかった。そもそもあの組織に立ち向かうとして、そのレジスタンスの人員が俺しかいないというのは、あまりにも少なすぎる。
それに、報復が成功したとして、そのことでシドが動じるとは思えなかった。
アイツならば、仮に自らの命の危機に瀕しても楽しむのをやめないように思える。
しかし、何にせよそれをするにはもう遅すぎたのだ。フェンはドゥーショの中で生きている。キアは街を出て行った。他の体質者は生きることだけに貪欲である。このような混沌とした、裏の街で生きるなど、それこそ死んでいるようなものだ――これも、誰かからの当てつけであった。
「……ユウヤさん?」
「え、……ああ」
ハオに呼ばれ、家に戻ってきたのだと気づく。道中ハオとどんな話をしたのかは覚えていなかった。どんな顔をしていたのだろう、と訊きたかったが、すぐに自分の表情は見えていないのだと気づく。クソ、と己の境遇への恨み言を、口の中で転がす。
「……なァ、ハオ。俺は……――」
自分の顔も皮膚の色も、俺は知らない。それ以上を続ける勇気は、俺にはなかった。
「どうしたんですか」
「あァ、いや、なんでもないんだ。忘れてくれ」
ハオは、そう零した俺に疑問符を浮かべただけだった。
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