【世界の片隅からの幕開き】

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 この明星街に来るヤツは好奇心か、闇取引か、あるいは何かしらの事情ありきか、あるいはどこから知ったのか、暁闇街に住む体質者狙いか、何にせよ一度外から来た人間が来訪しないということは十中八九あり得ない。忠告など、言うだけ無駄である。  そもそも、最初からこんなところには来ないのが正解なんだが――。俺は傘を拾いに行くこともなく、路地の奥の方へと歩み始める。  その時である。ジャリ、と背後から足音が聞こえた。  反射的に全身を透明化してしまう。それからゆっくりと振り返って、その音の主を見る。二十代後半ほどの男であった。男は急に姿を消した俺を探しているのか、無用心にあたりを見回している。右手にデジタルカメラを持っている――報道記者だろうか。俺は小さく溜め息を漏らした。  建物で多少小雨になっているとはいえ、下手に動くと存在がバレてしまう可能性があった。結局、面倒事は嫌いだ、と言わんばかりに俺はその場で無視を決め込む。 「……あれ、どこ行ったんだろう」  男はそのまま、大して警戒するわけでもなく、堂々と路地に足を踏み入れる。気絶しているとはいえ大の大人三人が倒れている路地に、よくもこう躊躇いもなく入ってこれるのか。勇気があるのか、あるいは単に、この街の危険を知らないだけなのか――恐らく、後者だろう。一体何をするつもりなのだ、と俺は男を見つめる。男は独り、呟いた。 「さっきの人、取材したかったんだけどなあ」  取材。やはりどこかの国の――髪色や目の色を見る限り、アジアの人間だろう。男が俺の目と鼻の先を通り過ぎる。下手に動くと返って危険であるため、一切動かない。仮に少しでも触られたら、壁面から所々飛び出しているパイプをよじ登って逃げようと思った。後頭部を殴りつけて気絶させるのでもよかったが、直接危害を加えられたわけでもないため、それはそれで気が引けた。必要以上の殴り合いなどはなるべくしたくない。 「……この三人、どうしようか」  放っとけ、と言いそうになった。依然として三人が立ち上がる様子はない。当たり前だ、油断している時に急所を狙われたのだから。男は辺りを見回し、軽く頭を掻いた。  今までも明星街を取材したいという人間は何度か見かけたことはあるが、俺自身、それに応じようとは一度も思ったことがなかった。無論、今回もまたしかりである。  そもそも、テレビなぞ出ようものなら――この体質のせいである――一時的にではあるだろうが、かなり大々的に取り上げられるだろう。前提として人の前に出る気がないのだ。他人に見えないものとしては皮肉なものだが、物珍しいという意味では、透明人間とは注目されるものである。  世の中には透明人間以外にも珍しい人間はいくらでもいるわけだが、本土では中々いないのものなのだろうか。そういう類の人間は、ここに辿り着く運命であるだけなのだろうか。  更に男は路地奥へ足を踏み込んでくる。一見誰もいないように見えても、スクラップボックスの影やビルの屋上に誰かが潜んでいる可能性もあったため、それ以上はあまり賢明な行為だとは言えなかった。 「いないなぁ……」  早くどこか行けよ、と見て見ぬ振りをする。しかし、やはり声には出さず、心の中に留めておく。焦らずに待つことが、大抵の危機を乗り越えるための最善策である。案外、豪胆に構えるだけでも多少の問題は乗り超えられるものである。 「……まぁ、いいか」  諦めたのか、男は踵を返して繁華街に消えていく。その背が再度ネオンの灯りに消えていくのを確認してから、ゆっくりと透明化を解いた。違法行為の蔓延する街の雑踏に紛れてみるのは、記者として貴重な経験だろう――そう嘯いた。  それから、肩が凝ったと一度伸びをし、改めて裏路地を奥に進んでいこうとする。――しかし、すぐに俺は彼を、正直なところ外からの人間だという理由で甘く見てしまっていたことに気づく。 「やっぱり、いた!」  振り返って――油断したと、見えもしない顔を覆いたくなってしまう。男の持っているカメラのシャッター音が、路地に響いた。 **********
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