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【神さえ見下した街】
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劇場の舞台では、派手な衣装を着た数人の女性が踊っていた。三原色のバックライトを浴びながら、しかしどこか虚ろな表情で、何かに媚びを売るように。シドは、客席を軽く一瞥し、そして一番右端のブロックの最前列に向かった。大音響を流すスピーカーの真ん前であるため、シドも負けじと大きな声を張り上げる。
「トーア」
シドが、その席に座っている男に声をかける。六十を超えた風貌の、トーアと呼ばれた男はゆっくりとシドを見据え、そして口を開いた。
「シドか……」
「なんだよおい、つれねェな」
「なんだ、仕事の依頼か?」
「あァ、そうだ。頼んだぜ」
シドが懐から煙草の箱と一枚の紙を取り出し、彼に渡す。「……洒落たモン吸ってんじゃねぇか」トーアはそれらを掴み、箱を開けて中身を確認する。そして少し頷いてから、紙に目を通した。
「ふむ、なるほどな……」
「引き受けるか?」
「あまりやる気は、起きない」
「まァ、こっちも駄目元だ」
「そんなんでいいのか」
「他の始末屋はあてにならねえ。隠れて逃がされるよりは、最初から『逃します』って言われてた方がいい」
「無茶苦茶だな」
「ビジネスの一環だろ」
言って、シドは頷いた。トーアは僅かに顔をしかめたが、すぐに元の表情に戻った。
「ならいいが……しかし、こういう仕事は俺の専門じゃないだろう」
「だな。だが、ヴェルデはいなくなったんだ――いいじゃねえかトーア、てめぇ荒稼ぎできるだろ?」
「あくまで俺は裏の処理係だ。名実ともに、ヴェルデこそが最高の殺し屋だった」
そう言って、その老齢の男は、舞台に目をやった。そこに札束が投げられるのを見て――溜め息をつく。それがヴェルデという人間を思い出してのことか、この街の汚さについてなのかは判断できなかった。
「私には、何の価値もない」
トーアはそう、吐き捨てた。
バックライトがひときわ大きく揺らめく。客たちが湧き上がり、更に大金が投げられた。富豪、政治家、マフィアの幹部――一体どこから来るのかは分からないが、共通して彼らの目は血走り、人生の勝ち組を謳歌していた。否、この生活が普通と思っているのだろうか。
「あの子らに、価値がつけられるものでもなかろうに」
「だが、どんな大金を出してでも、あいつらは買いたがる」
「金にも、女にも困ってないはずなのに、か」
「冗談キツイぜ、トーアよ」
お前もかつてはその内の一人だったろう、とシドはトーアを見やる。トーアは少し居心地の悪そうに足を組み替えた。
「……いいよなァ」
不意にシドはそう呟いた。トーアが横目で彼を見やるが、相変わらず嫌な笑みを浮かべているだけである。シドの中身はいつだって読めない。
「あいつら、死ぬときはどんな面ァするンだろなァ?」
嗜虐欲と言ったものだろうか。シドは前のめりに壇上を見て、そして右から左へと視線を動かした。
「俺が買っちゃいけねェなんてルールは存在しねェからな、買ってやろうか」
「お前に狙われちゃ、生きた心地がしない」
「訳の分からねえ国に連れてかれるよか、明星街で暮らせる方がマシじゃねェのか?」
「どちらにしろ、狂気の沙汰だ」
トーアは両手をひらひらと振りながら、降参の態度をとる。そのまま立ち上がり、劇場を出ようとする。途中、シドを振り返って、控えめに呟いた。
「確認だが、他の仕事との合間にやる程度になるが――それでもいいな?」
シドは舞台に視線を向けたまま、薄く口角を上げて応える。
「別にいいさ。ただ厳重に監視しろ、とは言ってたな」
「愛娘が待っている――早く終えようじゃないか」
そう言って、トーアは扉を開けて出て行った。シドはそれを嘲笑うように笑みを浮かべる。
「愛娘、ねえ――」
遠い昔の話だろうに、とシドは舞台をぼんやりと見つめる。客席の真ん中のブロックでは、中国語とも英語ともつかないような怒号を放ち、唾を飛ばしながら各々が指を立てていた。
「百万、いや二百万」
「倍だ、四百万出そう」
「四百五十万」
「六百万だ」
「八百万で」
「一千万」
おお、と観客の数人は声を漏らした。シドはそれを見て、小さく込み上げてくる笑いを堪えた。落札したのは、確か日本で拉致問題に取り組んでいるとか言う政治家だ。お前自身が害悪だろうに――世も末である。
「……もっと金を落としていけ」
シドはそう呟いて、煙草を咥える。一千万を超える大金を出すような奴は流石にいなかったのか、周りは静まりかえってしまった。つまらねえな、と彼は煙草に火をつけた。
それから、オネはどこにいるんだか、と天井を仰いだ。紫煙が伸びていく先には、いくつも照明が設置されている。しかしその中で機能しているのは半分程度しかない。誰も直さないため、何年も放置されているようだった。
「……おっと」
灰が重力に従って落ちてくる。あちち、と間抜けな声を出しながらシドは視線を落とし、顔についた灰を払った。煙草を床に捨てて足で揉み消し、気怠そうに立ち上がる。
「……ん?」
ふと、彼は鼻を動かして周りを見回す。札束と唾を吐き捨てる乗客の中に一人、煙草らしきものを吸う客がいた。――しかし、漂ってくる香りは煙草のソレではない。シドはその客を見定めると、一直線に歩み寄って、彼の隣に立った。
「よォ、お客サン」
シドは嬉しそうに笑って、客の肩に手を置いた。客は怪訝そうな顔をして、彼を見上げる。
「誰だよ、てめぇ」
「俺が誰だろうが関係ねェよ。問題なのは、お客サンが吸ってるモンだよ」
ちょいちょい、と彼は指で客の煙草を示した。「変わった匂いがすんだよなァ」そう言った彼の言葉には、無邪気な欲望が含まれていた。
「お客サン、ここではそういったものはお断りしておりましてェ」
「あァ? なんでだよ、お前もさっき吸ってただろうがよ?」
「煙草はいいんですがねェ、でもウィードは御法度なんですよ」
「あァ? どっちも大して変わらねえだろうが」
「いやあ、そう言われましても規則でしてェ」
「うるッせぇなさっきから!」
客が勢いよく立ち上がり、シドの胸ぐらを掴む。周りの客も何事かとこちらに目を向けた。舞台の上の女性たちも、踊りをやめて不安げにシドを見つめている。騒がしかった競りが中断され、スピーカーからの音楽だけが劇場を支配していた。客の血走った目がシドを睨む。シドはニヤニヤと笑みを浮かべていた。「ナメてんのかお前!」それに激昂した客がシドを殴りつけた。
「……お客サン」
シドが俯いたまま、うわごとのように言った。前髪で目が隠れていたが、口角だけはつりあがっているのが見えた。
「てめえ、面白え玩具じゃねェか!」
シドは客の腹部に蹴りを放ち、彼が怯んだ隙に後頭部を掴んで、シートに叩きつける。丁度手すりにぶつかったようで、鈍い音とともに鼻血が吹き出した。「今時の玩具は血が出るんだなァ」それから彼の股間を蹴りあげる。小さな悲鳴、そして意識が飛んだのか、力なくだらりと客の腕が垂れた。
シドはそれを確認してから周りに向き直り、無邪気に笑った。
「やァ、お騒がせしたなァ。劇場でのヤクは商品の質を下げちまうから、吸うんじゃねえぜ」
続けて、と舞台に投げかける。一瞬の静寂ののち、何事もなかったかのように、また踊りと競りが始まる。しかしシドを警戒してか、先ほどのような活気は失われたように見える。
「これからも金を落としてくれよ、大衆諸君」
そう言って、彼は気絶させた客をそのままに劇場を出て行った。
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