【神さえ見下した街】

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* * * 「ディール。覚悟はできているのか、イタリア人」 「あ、ああ。今度こそ、勝ってやる……」 「精々、祈ってろよ」  血走った目でルーレットに臨む外国人と、それを嘲笑する男たちを横目に、オネはワイングラスを傾けていた。他の卓ではポーカー、ブラックジャック、スロットなどに興じる客の姿もあるが、中には茫然自失としている客もいた。  裏カジノの景品は、単純な金だけではない。ちょっとした可愛らしい小物から近代兵器、世界でトップクラスの殺し屋への連絡先、国家機密の情報など、明星街の上層でも売ってないようなもののほとんどが揃っている。中には、茶目っ気というべきかなんというべきか、明星街の建物の一部などというものもあった。  もちろん、そのような危険に手を突っ込むのだ。万が一破産したとき、自らがどうなるのかというのを覚悟の上で来るべきである。 「あの客、連れて行って」 「日本人ですか」 「イタリア人の方も、見ていなさい」 「オネさんが言うなら、違えねえですね」  オネは微かに口角を歪め、そして取り巻きにそう言った。取り巻きは短く返事をして、三人がかりで外国人を囲んだ。彼の、光を閉ざされたような表情を見てオネは更に嬉しそうに笑った。 「よォ、随分と優雅じゃねぇかよ」  オネはその声の主に、目をくれることはなかったが――少しだけ嫌な顔をし、しかしすぐにその感情を隠した。 「何の用? 上納金は今まで通り払ってるわよ」  オネは不快そうに言った。 「アンタが来るとロクなことがない。利子つけて払うから、帰ってくれる?」 「別に、そういうんじゃねェんだが」 「じゃあ、何かしら」  そこで初めて、オネはシドを見た。シドはわざとらしく降参のポーズをとり、諭すように言った。 「おォおォ、怖いヤツだな。そう睨むなよ」 「睨んでなんかいない」 「美人なのによォ、もったいない」  イタリア人の卓で、何かを叩いたような音がした。シドが横目でそれを視認し、それから興味もなさげに欠伸をした。イタリア人は、その場で腰を抜かし、必死に逃げようとは思うものの、それを取り囲む男たちが、そうはさせなかった。 「案の定負けちまったな」  取り巻きの男が嘲笑を含ませてそう言った。そこに同情といったものは感じられない。イタリア人の男はそれを見て一層血の気が引いていた。 「オネさァん、コイツどうしましょ?」男の内の一人がオネに言った。 「掻っ攫って借金返させてやりなさい。煙草も吸ってないから、高く売れるわよ」 「そッスね、そうしまッス」  そして、狼狽するイタリア人は両腕を掴まれて、更に下層へと続いている階段を降りさせられて行った。無駄な抵抗する彼の後ろ姿が見えなくなってから、シドが口を開いた。 「ソレ、いいワインだなァ、俺にも寄越せよ」 「これは毎月の献上品として上納してるわ」 「知ったこっちゃねぇ。全部ザノに持ってかれてンだ」 「それこそ私の知るところじゃないわね」  それから、イタリア人が連れて行かれた階段の方を一瞥した。 「アイツ、どうなンだ」 「気になるの?」 「ただの好奇心だ、オッサンになると色々気になって仕方がねェ」  シドはそう言ったが、彼は三十前後に見える外見をしている。オネは憎たらしそうに彼を見やったが、すぐにいたずらに笑った。 「さぁてね。私の知ったところじゃない」 「悪女だなァ」 「アンタに言われるなんて、心外だわ」  シドは豪快に笑った。オネはそれに構うことなく、続ける。 「それにしても、よく私がここにいるって分かったわね」間髪入れず、シドは返答する。「グラフィティアートは万能だなァ」 「アレには私の居場所なんて描かせてないはずだけど」  精々が借金を踏み倒して逃亡した者の情報くらいだ――オネは心の中でそう言って、ワイングラスを空にした。  シドは腕を組んだ。適当なことは言うもんじゃねえな――そう言って、両手をひらひらと振る。 「ネグドに訊いたんだよ」 「そうなの」オネは適当に聞き流した。  そうじゃなくとも、明星街の至る所にその目はあるのだから――オネは立場的にはドゥーショの幹部格、特にカジノや地下競売の支配人を任されていたが、まだ加入して間もないため、一時的にドゥーショ監視下に置かれていた。  彼女は組織に縛られるのは好きではなかったが、明星街で生きていくには仕方のないことであると半ば割り切っていた。 「それで、何の用? 私だって暇じゃないの」 「そうだった、ザノからの命令だ」  シドは胸ポケットに手を突っ込んだ。そうして一枚の紙を取り出し、オネに渡す。彼女はそれを一瞥してから、シドの言葉の続きを促した。 「要は、中国から報道記者が来た。もしここに来たら教えろって話だ」  現在、地下施設の約九割はオネの管轄下である。つまり、明星街の地下において、オネに勝る情報家はいない。地上にはネグドが統括している案山子がある――それらは監視カメラなどという文明の利器よりも確実性があった。だが、あくまでも「確実」なだけで、「絶対」ではないのは、シドもオネも、あるいはザノも重々承知していた。 「それにしても、記者一人に中々厳重じゃない? ドゥーショの取引先情報でもすっぱ抜かれたのかしら?」  それならば監視ではなく始末命令が出るか。オネは自分でそう結論づけた。 「監視なら、案山子だけで十分じゃないの?」 「暁闇街に案山子はねえからな。地下なら、案山子と会うこともなく明星街に出入りできねえこともねえ」そこで珍しくシドは苦笑した。「あそこを通る奴はそもそもいねェと思うがな」 「なるほどね」  オネは紙を机に置いて、ワインを注いだ。シドに取られると思ったのか、グラスの縁までなみなみと、である。 「結局、リーダーは記者を監視したいだけなのかしら? まさか、捕まえて売っぱらっちゃうなんてことしないわよね?」 「さァな。だが、もしかしたら死体くらいにはなってもらうかもしれねえ」 「へぇ……。それはまた、酷いことを」  そう言ったオネは、先ほどまでとは違い、ほんの少しの悦楽を含んでいた。シドはいつものように無邪気に笑った。 「まァ、ザノには殺すなって言われてるんだがな」 「そうなの? 先にそれを教えてほしかったわ」  オネは分かりやすく落胆した。シドはそれを見ながら、愉快そうに諭す。 「だからお前は、幹部になれたンだよ」 「何のことかしら」  オネは肩を揺らした。 「それで、実際のところこれは遠回りな抹殺計画? それとも中国政府への宣戦布告?」 「いいや、マジで単なる監視だ」 「中々、度を過ぎてるような気もするけれど」 「そこにユウヤが関わってンだ」 「ユウヤ? 透明人間って子?」  オネは顎に手を当てた。名前くらいは聞いたことがある――確か、ドゥーショから半監視されている、体質者の少年だったか。そう考えてから、そういえばシドがよく話していたな、と思った。 「俺はソイツを、ドゥーショに戻してえ」  それからシドは、目の前に手を持ってきて、何かを掴むような仕草をした。 「引き抜くか、殺してやる」  彼は本気とも冗談とも言えないトーンで続ける。オネはその様子を見ながら、興味なさげな素振りをしながら口を開いた。 「リーダーはその記者を、結局どうしたいのかしらね」  シドは先ほどまでの雰囲気とはうって変わって、オネの言葉に興味がなさそうに応える。 「なんて言ってたか、鴻業城を生かすんだってよ。俺も同じ気持ちだぜ」  しかし、本当は心にも思っていないことだろう。彼女は、それを承知の上で問うた。 「それは、誰のためにかしら」  あるいは、何のために、か。彼女は物静かながら、しかし正体の知れない、暗い灯火を目に宿すザノを思い浮かべた。  その問いにシドは、ただ舌を出して、おどけるだけである。 「さァ、な」  オネは渡された紙を握り潰し、半分ほど中身が残っているグラスの中に捨て、そのグラスごとシドの方に移動させた。紙はワインを吸って、赤紫色になっていく。 「なんだ、やらねぇのか」 「リーダーの命令だから、やるわ」 「俺の命令ならやらねェのか」 「当たり前よ」  組織的に上の者にしかオネは従わない。幹部という位では、担当こそ違うものの、オネもシドも同格であった。食えねえ奴、とシドは拗ねた物言いをする。  やがて、イタリア人の連れて行かれた方向から怒号と悲鳴が聞こえてきた。しかしシドはさして驚きもせず、あるいは気にすることもなく、オネに差し出されたワイングラスを手に取り、一息に飲み干そうとする。途中、中に入れられた紙が邪魔だったようで、結局四分の一程度残した。 「……アレ、防音にしないと他の客に迷惑じゃねえのか?」 「そんなことないわ、みんなそうなるかもしれないのを承知で来ているもの」 「あァ? じゃあなんであんなヘタレがいんだよ」  オネは頬杖をついた。 「娘に臓器が必要だったらしいわね」  それから、楽しそうに笑い飛ばした。 「へぇ――それは、それは」  シドの口角が大きく歪んだ。 「大層な喜劇じゃねえか」  そうして、ポケットから煙草を取り出した。火をつけて、その煙を大きく吸い込んで――気持ちの良さそうに目を細めた。 「そうね」  内心ではいけ好かないと思っていながらも、オネも同じように笑ってしまう。結局、ドゥーショ幹部を務める人間というものは大半が似たり寄ったりなのだ。 「じゃァ、頼んだぜ」 「嫌よ、厄介事は」 「その割には、楽しそうに見える」  そう残して、シドは降りてきた階段を昇っていった。イタリア人の声と、賭けに興じる音の中、至極楽しそうにオネは笑っていた。  シドは階段を上りながら、ユウヤの写真を見ていた。とは言っても、彼自身は見えていないため、中身のない空っぽのパーカーとマスクが宙に浮いているだけのように見える。彼はにわかに笑ったかと思うと、咥えていた煙草を吐き捨て、乱雑に踏みつけた。 「ユウヤはドゥーショのモンだ」  それはユウヤへの侮辱をなかったことにした、一言である。過去の過ちをなかったことにするその性格は、おおよそドゥーショでは重宝されないものだろう。それでも、シドが組織のトップ二、三を争うほどの幹部にまで上り詰められたのは、その自由奔放さのお陰だろうか。  表通りに出て、右左と目線を動かす。人の往来はいつもと同じだ。煌びやかな衣装、屋台から鳴るファンファーレ。ちょっとした催し物でもやっているのだろうか。しかしシドはそれに構うこともなく、裏通りへと入っていく。壁には極彩色のグラフィティアートが描かれていた。シドは近場のゴミ袋を漁り、中からスプレー缶を何本か取り出す。それから、躊躇いもなく既に描かれたソレの上に新たな絵を描いていく。  数分の後、シドは少し退いて全体に目を通し、それから一つ頷いて、満足気に裏通りを奥の方へ進んでいった。 **********
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