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辿り着いたのは、高層マンションの最上階。この方角だと、部屋から警察本部が良く見えるはずだ。やはり何か企んでいる。ここまで来たのだ。あたしは大人しく企みに乗ることにした。
「さあ、どうぞ。そういえば、この部屋に招待する人は、きみが初めてだよ」
玄関のドアを開けて、彼は一歩身を引いた。
「そうですか。お邪魔します」
そう言いながら足を踏み入れた。
玄関に他の靴は見当たらない。ゆっくりとヒールを脱ぎながら神経を集中させる。あたしたち以外、人の気配は感じられなかった。今はこの男一人だけのようだ。彼はさっさと靴を脱いで、先を歩き始めた。玄関を上がってすぐに真っ直ぐに伸びる廊下がある。廊下の左右にはドアがあった。バスルームなどがあるのだろう。
彼の数歩後ろをついて歩きながら、そっとジャケットに触れ、内側に仕込んであるエアウェイトを確認した。万が一の場合に、コンバットマグナムもバッグの中に入っている。
前を歩く高垣翔がふと足を止める。振り向いて、ふわりとした笑顔で微笑んだ。
「そうそう、できれば物騒なソレは使わないで欲しいな。あと敬語も」
「え?」
この男、あたしの行動を読んでいる? ここで始末するべきか。いや、この男の背後にはもっと大きな組織がありそうだ。隙のない身のこなし。恐らく一人では太刀打ちできそうもない。尾行する前、みんなに相談するべきだった。とりあえず、今は大人しくしておこう。隙を見て連絡すればいい。
「まぁ、そう緊張しないで」
廊下のつきあたりにある部屋に招き入れられた。ごく普通のワンルーム。ソファとローテーブル、ベッドがあるだけの空間。ソファに座り、周囲を観察する。実に殺風景な部屋だった。テレビもない。オーディオもない。本棚もない。仲間との連絡所のようだ。
そんなことを考えていたら、併設されたミニキッチンにいた彼が、マグカップを二個、持ってやって来た。
「どうぞ。冷めないうちに飲んで。アプリコットティだよ」
奴は微笑みながら、ローテーブルの上にマグカップを置いた。確かにいい香りがする。けれど、こんな怪しいもの誰が飲むか。マグカップを一睨みして、尋ねた。
「あの、あたしをここに連れてきた目的ってなんでしょうか」
ショウが苦笑いする。
「だから、その敬語。もっとフランクに話してよ。それに緊張しすぎだよ。お嬢さん」
クッと小馬鹿にしたように笑われて、カッとなる。深呼吸を一つして、冷静な口調で尋ねた。
「それじゃあ聞くけれど。この部屋は身上書の何処にも記載されていない。あなたの住所は、本部近くにある上層部向けの官舎だった。その名前、高垣ショウも偽名じゃないかと睨んでいる。この場所はいわば、秘密の隠れ家のようなもの。あなたは何か大きな組織に繋がっているんじゃないの?」
言い過ぎたか。この男は何と答える? じっと奴の目を見た。彼もあたしを見つめている。けれど、その目に敵意は感じられなかった。
「そうだね。さすが僕の事をよく調べている。実際、きみがこの部屋に来た初めてのお客さんだよ」
「だから、そう言う事じゃなくて」
「確かに。こんな夜に男が女性を部屋に招き入れるという事は、どう言う事か分かるかな?」
彼はぐいと距離を縮めた。顔が近い。思わず身構える。
「ちょっと、何の真似?」
何なんだこの女たらしは。思わず身を固くしたあたしを見て、奴はまた嬉しそうに微笑む。
「なんてね、冗談だよ。実は、きみを僕の秘書にしたいかなって思って。その話をしようとここに呼んだんだ」
「は? 秘書?」
いきなり飛び出した秘書と言う単語に、思考回路が追い付かない。秘書って、あの秘書だよね。それとも何かの隠語で、仲間になれってこと?
「あの。秘書って社長にくっついて、スケジュール管理や書類の整理をする、あの秘書?」
「そうだよ。他に何の秘書があるんだい? 僕のポストだと、秘書を一人つけることが出来るらしい。それを君に頼もうかなって。きみは優秀だ。もちろん裏の顔でも。そうでしょ、どんな銃でも使いこなすレイラさん」
「だから、あたしは……」
「いいよ、今更隠さなくても。僕には全てわかっているから」
どうして素性が分かったのだろう。組織のメンバーは警察のトップでも一部しか知らない。
「あなた、誰?」素直に尋ねる。
「さぁ、誰だろうね。とりあえず僕の要件は終わったよ。明日から僕の秘書として働いてもらうから。警務部にはもう話を通しているし。ああ、冷めないうちに飲んで、って警戒するか。何も入ってないんだけどなぁ」
残念そうな顔でマグカップを覗き込んでいる。
「あの、とりあえず帰ります」
「ああ、そう。じゃあ明日から宜しくね」
立ち上がれば、特に気にするふうもなく彼も玄関に向かった。部屋を出る前に、ローテーブルの下に小型盗聴器を仕掛けた。
「そうだ、家まで送って行こうか」
「結構です!」
「まぁそうだよね。キミにボディガードは必要ないか」
彼に見送られマンションを出た途端、どっと疲労が押し寄せてきた。あんなやりにくい対象者は初めてだ。
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