結末

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「あと三人くらい死ななきゃ、会社は本腰を入れてマネージャーの労働環境を改善する気にはならないですよ。ううん、どれだけの人数が死んだところで、因果関係があるとは言い切れないって逃げてしまうだけかも」 「……」 「お義母さんには労災の認定を目指して戦うべきだ、って言われてますけど、私は泣き寝入りしようと思ってます」  妹尾先生はぐずってきた末っ子をあやしながら、すっかり飽きてきた顔つきでその場にしゃがみこむ長女にラムネを差し出していた。 「社長が見舞金に色を付けることと、私の給料を上げることを約束してくれたんですよ。3人も子どもを抱えて、いつおりるかも分からない労災認定を請求するのは、現実的に無理な話ですから」  妹尾先生だって、納得はしていないだろう。しかし、彼女には残された子どもたちを養う使命がある。勤務時間などで、ただでさえ制限の多いシングルマザーに、ここで会社と対立して転職を選ぶ度胸は無いはずだ。  だからこそ、就職保証とわずかなお見舞い金を引き替えにして、夫を死に追いやった会社に一生養われる道を選ぶことにしたのだ。  さくらはもう一度、社長らの集団に目を向けた。難しい顔で話し込んでいると思いきや、その口元には笑みがこぼれていて、妹尾マネージャーの死について、上司としてどこまで責任を感じているのかは甚だ疑問だった。  その地位にふさわしい皺ひとつない立派な喪服を着ているものの、その中身は、人を人とも思わないクズばかり。  やるせない気持ちが、さくらの胸いっぱいに広がっていくのだった。  直属の上司の死は、丘町店のスタッフたちの気持ちを少なからず動揺させる結果になった。  中でも一番影響を受けたのは、篠原先生だった。 「僕は仕事をやめます。この会社がつくづく嫌になりました。今まで頑張ってきた妹尾マネージャーを見殺しにして何も思わないような会社になんて、希望が持てませんよ」  彼が思い詰めた顔でそんなことを言い出したのは、1月も末のことだった。 「気持ちはわかるけど……でも、今は他の調剤薬局もなかなか雇ってくれないですからね」  一時の感情で動くことをさくらが心配すると「薬剤師にこだわらなきゃいいんです」などと言い出した。 「え? でも薬剤師以外っていうと、どんなことを?」 「実は今、薬膳料理の勉強をしていて、そういう店をやれたらいいなって大学の友達とも話をしていて」 「へぇ……」  薬剤師にこだわらない、と言いつつ、やっぱり薬から離れるのは怖いらしい。  なかなか因果な資格だなぁとさくらは思った。  妹尾マネージャーの死に対し責任を取ろうとしなかった鉄槌が下ったわけでもないのだろうが、2月に入ると社長らを衝撃の事態が襲うことになった。  2020年4月からは調剤報酬を大幅に減額するという通達が出されたのだ。  理由はもちろん、無資格調剤を許可したから。調剤の担い手が薬剤師でなくなった分だけ人件費が削減できたはずだから調剤報酬も下げて当然、ということなのだろう。膨らみ続ける社会保障費を抑えるためなのだから、国にはためらいなんて全く無かった。  薬局の収入はこの調剤報酬で全てが決まってしまうのだ。どれだけ介護事業やOTC販売に力を入れたところで、収入の9割以上が処方箋調剤という事実は変わらない。ここを削られては、ちょっとやそっとの営業努力ではどうにもならない。  しらなみ薬局の経営者らだって、この調剤報酬の減額を予想していないわけではなかったが、減らされ方がここまでひどいことは読んでいなかった。このままでは薬局を維持していくのは困難だというレベルだ。  そこで彼らは大手チェーン店への身売りを決意した。  これはしらなみ薬局に限った話ではなく、他の薬局でも同じ判断をするところが多かった。ここまで減らされてしまった調剤報酬で経営できるのは、薬の納入からレセコンなどの情報機器まで、全て統一することでコストカットを図れる大手だけだったからだ。  店舗スタッフへの報告はメール一本で済まされた経営権の委譲のおかげで、翌年にはしらなみ薬局丘町店の看板が付け替えられることになった。それと前後して下山先生はクビになる。  買収後一年間はしらなみ薬局での雇用形態を維持するから安心してください、と新しい経営者は言っていたのだが、翌年以降のための雇用契約書に書かれた下山先生の年俸はゼロ。  どうやら一定以上歳を喰っていた薬剤師は、彼女に限らず軒並み首を切られたらしい。  戦力外通知だなんてプロ野球みたいね、とメンタルの弱い山下先生は弱々しく微笑みながら、薬局を去っていった。  今ではさくらだけが同じ薬局で働き続けている。  新しくやってきた薬局長さんはまだ若い女の子で少し頼りないところはあるがとても親切だから、さくらは仲良くやっている。この地域を統括するエリアマネージャーさんも良い人。いや、良い人をアピールしないと職を失うから、無理やり微笑んでいるのかもしれないけれど。  結局、あの騒動は何だったのだろう、と薬を拾いながらさくらはふと思うことがある。  これまでの薬剤師が調剤の担い手として調剤業務を独占してきたことも、その仕事を失ったことも、全ては国の方針だった。  薬剤師はそれに振り回されただけ。  そもそも専門性などろくに必要のない、薬を拾い集めるだけの調剤業務に六年間もの勉学を課してきた厚生労働省の非も追及するべきではないのだろうか。  今では薬科大への入学希望者は定員割れが続いているそうだ。すでに入学してしまった学生は悲嘆にくれながらバカ高い学費を払って勉強させられている。4年制から6年制になるのに合わせて新規に作ってしまった薬科大学の多くも、この先はつぶれていくことになるのだろう。  まさに栄枯盛衰。  そんな薬剤師らを哀れと見るか、冷笑するか……なにはともあれ、自分が薬剤師免許を持っていないことを、さくらは今、心底喜んでいる。 おわり
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