棚卸

2/4
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
 しかし、一度口火を切ったおかげで気持ちに弾みがついていたのか、篠原先生はさくらが口を開くより前に動いてしまったのだ。 「下山先生はいつもそうやって人を馬鹿にしますね。そういうことをやっていて、何が楽しいんですか?」 「ふっ、あなたこそ何をムキになっているんですか。私は思ったことを言っただけですけど」 「その言い方で傷つくんですよ。いい加減やめてください」 「あなたは『こんなふうに女の子を守れてカッコいいなボク』って自己満足してるだけでしょ。みっともないからそっちこそやめてください」  篠原先生が口ごたえするほど下山先生の冷笑もどんどんヒートアップしてきて、さくらには割り込むこともできなくなってしまった。  どうして篠原先生は今日に限って真正面から歯向かってしまったのだろう。  さくらはそれが不思議だったが、すぐに理由に思い当たった。  ……ああ、そうか。今日でちょうど一年経つから、履歴書にも一年経たずに辞めましたと書かなくて済むんだ。  別に就職の一周年記念として鬼婆と対決しよう、なんて思っているわけではないだろうが、もうそろそろ辞めても大丈夫、と心の片隅で思い始めたせいで、いつもより気持ちが大きくなっているのかもしれない。  でも、相手はあの鬼婆どもなのだ。一筋縄ではいかない口の達者なおばちゃん二人を相手にして、若い男の子が口論で勝てるわけがない。  現に、威勢の良い言葉とは裏腹に、篠原先生は完全に腰が引けている。握りしめた拳は小さく震えていて、とてもこれ以上は耐えられそうになかった。  さくらはとっさに休憩室へ走った。そして自分のロッカ-からスマホを取り出すと、震える指で画面を操作したのだ。 「はい。しらなみ薬局公園前店、妹尾です」  電話口から妹尾先生のはきはきとした声が聞こえてきた瞬間、さくらの目には不覚にも涙が滲んでしまった。 「あぁ、妹尾先生ですね。丘町店の須田です。お願いです、助けてください」  普段の丘町店の様子をよく知っている妹尾先生は、さくらからのSOSを非常に重く受け止め、すぐさま夫へ連絡をしてくれた。その結果、他店で棚卸中だった妹尾マネージャーが丘町店へ飛んできてくれたのだった。 「みんな、お疲れ様。棚卸は順調かな? 近くへ来たから差し入れ持ってきたぞ」  手土産のプリンを片手に笑顔で登場したマネージャーは、調剤室に流れるとげとげしい空気に顔を強張らせつつも「いやぁ、みんな疲れた顔してるなぁ。ちょっと休憩した方がいいかな。一人ずつ奥で食べてくれよ」と持参のお菓子を口実にして、全員から話を聞いてくれたのだった。  最初に入った下山先生と篠原先生はそれぞれ、さすがに小さな声で話をしていたが、ただ一人、十川先生だけは休憩室の扉を閉めているのに丸聞こえになるほどの大きな声で喚き散らしていた。 「だって、仕事中に二人でいちゃついているんですよ。そりゃあ注意したくもなるでしょう。大体、あの二人は仕事に対する自覚がなさすぎるんです。私はほら、仕事に関してはきちんとしたい性格だから、あぁいういい加減な子たちは本当に許せなくて!」  マネージャーの声は聞こえない。どうやら話を聞きつつ、宥めているらしい。しかし十川先生の怒りはこの後も鰻登りで、最終的には「あぁもう! こんな店で働き続けるなんて耐えられないわ。こうなったら、あの子たちを辞めさせるか私の首を切るか、どちらか選んでくださいよ!!」とまで叫んでいた。 「……あーあ、可哀そうに」  休憩室から響いてくる甲高いわめき声にさくらが怯えていたら、背後を通りかかった下山先生が独り言を装って呟いてきた。 「こんな時に差し入れ持ってきちゃうなんて運が無い人よね。もしこれが誰かに呼び出されて来たのだったら、きっとその人のこと恨んじゃうわ」 「……」  下山先生はさくらがマネージャーを呼び出したと分かっているのだ。だからわざわざこんなことを言っている。 「どうせマネージャーの力じゃ、どうにもできないってのに」  ま、お手並み拝見といきましょうか、と言わんばかりに下山先生が冷笑を浮かべた時、さんざん騒ぎまくっていた十川先生がようやく休憩室から戻ってきた。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!