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「二人には不快な思いをさせてしまって本当に申し訳ない、この通りだ」
妹尾マネージャーが冒頭から頭を下げるものだから、さくらはびっくりしてしまった。
「や、やめてくださいよ。マネージャーが悪いわけでもないのに」
「それで、どうなさるんですか?」
篠原先生はマネージャーの詫びに、むしろ顔をしかめていた。彼がこの後述べる言葉を察したからかもしれない。
「うん……このままじゃお互い働きづらいだろうと思うんだ。二人には他の店舗へ移ってもらえないだろうか」
「え?」
さくらは耳を疑った。さくらたちの方を異動させるということ?
違和感はもちろん篠原先生も感じたようで、彼は大きく眉根を寄せた。
「僕らは悪くないとマネージャーも思っているんですよね? それなら、悪い方を動かさないで、被害者の方を動かすというのは筋が通っていないんじゃありませんか?」
「十川先生はパートだから、異動ってのは無いんだ」
「須田さんもパートですよ」
「申し訳ない」
マネージャーもそこの矛盾を分かっている。だからこそ、いの一番に頭を下げたのだ。
篠原先生は深い息を吐きだした。
「百歩譲って僕らが出て行ったとしても、あの二人は余計に調子に乗って、また同じことを繰り返しますよ。どこかでピリオドを打たないと、永遠に良くならないと思います」
「あぁ……分かっている」
「僕が配属になる前だって、同じことがあったんですよね? あの二人に耐えきれなくて辞めた人がいて、でも怖がって誰も代わりに異動してくれないから、急遽新入社員の僕を配属したんですよね? あの時、マネージャーもおっしゃってたじゃないですか。右も左も分からない新入りじゃあの二人にイジメられる可能性は高いけど、そういうことにならないよう二人にはよくよく言い聞かせておくし、本当に耐えきれないことが起きたら自分の責任でなんとかするから、とにかく頑張ってくれって」
さくらは篠原先生の言葉に目を丸くした。つまり、鬼婆二人と組ませることで篠原先生がひどい目にあうことは会社側も重々承知していた。にもかかわらず、他に異動を了承してくれる人がいないから、文句を言い出しづらい新入りを配属した、ということ。
「これまで、僕だっていろいろ訴えてきましたけど、結局『まぁ、お前はキツく感じるだろうけど、先輩ってのは大体そんなもんだぞ』って誤魔化され続けて。でもあの二人はちょっと異常だと思うんです。須田さんの前にいた事務員さんたちだって、みんな、泣きながら退職したじゃないですか」
「……」
「僕ももう限界です。耐えきれない事態になったら、何とかしてくださるって約束ですよね? でも、それは被害を受けた人間を異動させることじゃないはずです。これ以上の被害者を出さないためにも、いい加減本腰を入れて何とかしてください。お願いします」
「じゃあ、どうすりゃいいと思う?」
それを考えるのが仕事なのに、妹尾マネージャーは職務放棄に近いセリフを吐き出してしまった。
「いくら説教したところで自分が悪いとは欠片も思っていないから蛙の面に水、しまいには逆ギレして終わりだ。薬局業界はいつだって人手不足で、薬剤師が足りていないから、クビにされることはないって、あいつらも分かっている。だから横柄な態度を平気でとるんだ。二人をバラバラに異動させたところで、被害が拡散するだけで何の解決にもなりゃしないし」
妹尾マネージャーの言葉に、さくらはぽかんとしてしまった。
「え? まさか被害者を減らすためにあの二人を一緒にしているんですか?」
心底驚いたが、実はそれこそがこの事態を作り出した真相だったのだ。
下山先生は、2年前まで働いていた店舗で、他のスタッフたちから『もう無理です』と涙の訴えがあったのがきっかけで異動することになった。
そこで、当時のマネージャーらは同じように十川先生の横暴に耐えかねていた丘町店の薬剤師と入れ替えるという手に出たのだ。
ところが丘町店を運営するには薬剤師が三人、どうしても必要。そこで、最後の一人には地獄を見てもらうしか手が無い、ということになってしまった。
「そんな……」
さくらは絶句した。つまりマネージャーは被害を拡散させないため、篠原先生を差し出し、その他の店舗を守っていた。彼は鬼婆たちを丘町店に押しとどめておくための生贄だったのだ。
「そんなの、おかしいです」
何も知らずにこの店での勤務を希望してしまったさくらもまた、生贄の一人にされていたわけだ。許せる話ではない。
「横暴な人を野放しにして、周りが我慢するだけなんていう構造、おかしいですよ。なんでこんなことに……」
「おかしい……そうだよ。おかしいんだよ、須田さん」
開き直る、というよりは諦めと苦悶の入り混じった表情で妹尾マネージャーは頷いた。
「でもそのおかしい話でもまかり通っちゃうのが、この薬局業界なんだ」
「……」
「この業界は本当におかしい。これもみんな、人手不足だからって薬剤師が偉くなりすぎてるせいだ。今から約40年前に国が医薬分業を掲げて以来、薬局の数だけボンボン増えて、薬剤師の需要と供給のバランスがおかしくなってるんだよ。いっそのこと、この枠組みごとメチャクチャに壊れちまえばいいって、俺は本気で思うよ」
自らも薬剤師であることを忘れたかのように、妹尾マネージャーは忌々し気に吐き捨てる。
さくらはそんな彼に深い失望を覚えた。薬剤師の世界が壊れようが壊れまいが、さくらにとってはどうでもいいことだ。
要するに、このまま働いても誰も助けてくれない、ということだけがはっきりと分かり、さくらは目の前が真っ暗になるのを感じたのだった。
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