#2その窮屈な世界

1/3
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

#2その窮屈な世界

 早く大人になりたかった。  煩わしい全ての事柄を捨てて、この窮屈な所から早く抜け出したかった。    小学校六年の冬、両親が離婚して、母親からの締め付けがきつくなった。締め付け、という表現はどうもおかしいな、期待ってやつだ。一人っ子だし仕方がないのかもしれないが、俺にとってそれは煩わしい、以外の何者でもなかった。 高校も三年になって、終わりが近づいた。つまり、「子供」でいる期間はあと少しだ。さて、どうやって抜け出そう。 「お母さん、彬君の成績ではこの大学はちょっと・・・・・・」  三者面談のその日、母は自分の息子のレベルも省みず、担任に進学希望の旨を勝手に熱く語りだした。解ってはいたが、ここまでくると笑うしかない。俺はまるで他人事のようにそれを聞き流し、ずっと窓の外を眺めていた。  母がどうするのか、どうしたいのか?と形ばかりの問いを投げかけてくるので、俺は席を立ち、母親を見下ろして言ってやった。 「就職。俺、働いて家出るから」  驚いた顔の母親を残し教室を後にした。廊下を歩きながら笑いが止まらなくなる。あの、母さんの顔。思い出しただけで、気分が爽快だった。    翌日、登校すると朝一で担任に呼び出された。まあ、当然だろう。あの後、担任の新島がどう母さんを宥めたのか、じっくりと聞いてやろうと思った。「失礼します」ガラリと勢いよく開けると、クラスメイトの藤堂とぶつかった。 「あ、悪い」藤堂が先に謝ってきた。  いつもながらヘラヘラとした面構えだ。面だけはいいから、女によくモテる。しかし何故か上手に人の懐に入ってくるから、同性にも友達が多い、そんな印象の奴だ。確か、こいつ未だに進路決めてなかったな、同じく呼び出された口か、と納得した。 「お前も呼び出し?何か今日、あいつメガネを異様に弄るから気をつけろよ?」 何だか訳の解らないアドバイスをして藤堂は去っていった。 (メガネ?弄ると何かあるのか?)藤堂が去っていった方を見ながら、ぼうっと突っ立っていると、中から俺を呼ぶ声がした。 「木崎!!」新島だ。  見れば、明らかに疲れた顔をしている。ああ、センセイご苦労様です、心の中で合掌をして、俺は笑いを堪えるのに難儀した。 「お前、目が笑ってるぞ。・・・・ったく勘弁してくれよ」と眼鏡を直す新島に、あ、バレました?とニヤついてみせる。うんざりと言わんばかりの新島に、俺は早口で一方的に用件を伝えた。 「ご迷惑をおかけしました。俺、就職希望なんで」と、昨日母が貰ってきた、新しい進路希望表を机の上に置いた。 「それをちゃんとお母さんと話し合ったのか?」 「あんなのに言っても無駄ですよ」  そう吐き捨てると、険しい顔の担任と目が合った。これは予想外だ。俺が思う担任は、割といい加減な奴だったのに。こんな面倒臭そうな生徒にも首を突っ込むタイプだったとは。  またも、眼鏡に手をやりながら、「困るよなあ、お前といい、藤堂といい・・・・・・」と溜息をつき、進路希望表を押し付けてきた。 「いいか?木崎。ちゃんと話し合って、もう一度提出しろ」重たい声でそう言うと、今度は眼鏡を外して目頭を押さえた。ああ、成る程、苛ついてるせいか、いつもより眼鏡を弄る癖が三割り増しだな。重要な事を言われているにもかかわらず、どこか上の空で、俺は先程の藤堂の言葉を思い出していた。  確かに、この癖は鬱陶しいな・・・・・・。 「解りました、失礼します」  俺は上辺だけ解った振りをして、職員室を出た。  教室へ荷物をとりに行き、学校を出ると、外はすっかり夕焼けに染まっていた。グラウンドの横を通り抜けると、端の方でグラウンドをじっと見つめたまま立っている女子を見つけた。 「庄野?何やってんだ?こんなとこで」  グラウンドの隅で独り佇むクラスメイトに声を掛けた。  庄野凪子はゆっくりと俺を見て、「陸上部の練習見てるの」と微笑んだ。ああそうか、庄野は確か陸上部だった筈だ。引退しても部活の様子を見に来るなんて、余程打ち込んでいたのか、と少しだけ羨ましくなった。 「引退しても来るなんて、そんなに好きなのか?走るの」 「ううん。私マネージャーやってたんだもん。走るのは苦手なの。でも、みんなのサポートするの楽しかったから、気になって」 「へえ」奇特な奴もいたもんだ、と感心していると、庄野は「スポーツトレーナー」になるのが夢なのだと笑った。  何だか、その笑顔に一瞬ドキリとした。いや、痛んだような変な感覚だ。急に囚われた変な感覚に俺が混乱していると、庄野が覗き込んできた。 「大丈夫?何かぼうっとしてるけど?」 「ああ、平気。ちょっと考え事」と誤魔化した。ふうん、と彼女は不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も聞かなかった。俺は、気まずくなって話題を変えようと進路の事を聞いてみた。 「スポーツトレーナーってやっぱ、専門の学校に行くのか?」 「うん。まあね。医療分野だよ?」 「へえ!凄いな」 「木崎君は?」 「俺?俺は別に、やりたい事がある訳じゃないから、適当に就職。早く、家を出たいんだ」  何も無い自分が今更ながら少し恥ずかしくて、変に笑って答えた。すると、彼女はそんな俺の答えに「仕事するって凄い事だよね。みんな社会に出たら当たり前にやってるけどさ」と頷いてくれた。  そんな風に考えた事等なかった。卒業したら、「進学」か「就職」は当たり前、で就職なんてもんは生活するのにしなければならないから、「凄い事」なんて考えた事が無かった。だからだろうか、俺は母親に感謝した事がない。働くのなんて当たり前だと思っていたから。庄野は・・・・・・ 「庄野はさ、親が働いてくれてるって思う?働いてるのは当たり前だって思う?」  聞いてしまってから、何でこんな事をと思ったがもう遅かった。  庄野は突然の質問に少し驚いて、考える素振を見せると俺に向き直って「感謝してる」と清々しいほどの笑顔で言った。  “当たり前”でも“くれている”でもなく「感謝している」ああ、庄野ならそうだろうなと自然と思えて、なんとなく、そんな庄野に興味が湧いた俺は「番号教えて」と呟いた。「え?」と彼女の声がして間が空く。  庄野が俺を見上げる視線に、変なナンパみたいな事を言ってしまったと耳が熱くなった。彼女は一瞬キョトンと目を丸くしていたが、俺が照れている様が可笑しかったのか、「いいよ」と眉を下げて微笑んだ。  それから、俺と庄野は何となく一緒に過ごす事が多くなった。  昼休み、放課後、帰りも駅までの道を一緒に帰る。こんなに話していて気が楽な女子は初めてだった。 「そういえば木崎君、ちゃんと進路希望提出した?」  学校からの帰り道、庄野が急に嫌な話題を振ってきた。話しやすい良い奴だと褒めたばかりなのに。俺は心の中で舌打ちをした。 「いや、まだ」 「ダメだよ?ちゃんとお母さんと話さないと。呼び出し喰らっちゃうよ?」    わかった?と覗き込んでくる彼女に適当に相槌を打つと、丁度、庄野の家の前に着いた。彼女の家は学校の近くの駅前商店街の中にある、文房具店だ。ここの二階が住居スペースになっているらしい。狭くて恥ずかしいと、初めて送ってきた日に庄野が言っていた。 「じゃあね、木崎君」 「おう、またな」  彼女の姿が消えるのを見届けると、そのまま駅に向かい電車に乗り込む。スマホを取り出すとイヤホンを着け、音楽を流した。俺の最寄の駅までは七駅もある。ドアに凭れ掛かり、流れる景色を眺めながら、今日あたり一応母さんに聞いておくか、と思った。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!