#2その窮屈な世界

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   昼休みになると、俺は早速庄野を呼び出し、昨日の晩の事を相談した。相談と言うと少し違うかもしれない。俺の中ではこの決定事項は覆りそうにないからだ。では、何を聞きたいのか、そういわれると困ってしまうが、とにかく庄野の意見が聞きたかった。 「それってさ、ちゃんと話した事にはならないんじゃない?」  全部聞き終わった後の彼女の第一声。まあ、想定内だ。庄野には俺がどこか投げやりに見えるらしく、事ある毎に心配していた。 「いいんだよ、どうせ反対されるんだから」こんな言い方をすると、また投げやりになっていると思われるかな?と少し思わなくも無かったが、そう言い切って彼女を見た。 「そうかなあ、木崎君がちゃんと就職したいって理由を説明すれば、納得してもらえると思うけどなあ。私は一応ちゃんと納得してもらうまで話したよ?一人娘だし、家は商売やってるしさ」  そうか、庄野の家は文房具店だ。特に跡を継がなければいけないような商売ではないにしろ、親としては少しは期待していたんじゃないだろうか。親が元気なうちはいいとしても、ゆくゆくは跡を継ぐ、なんてのはよくある話だ。 「そうか、じゃあ、いずれは跡継ぐのか?」 「ううん。うちはお父さんはそういうのはいいって。始めは何となく継いで欲しそうにしてたけどね・・・・・」 「ふうん」 「でも、スポーツトレーナーになりたいって一生懸命説明したの」  大変だったろうなと思う。スポーツトレーナーって大体、女の人がなってるイメージがない。居るんだろうが、知識も無い一般的な人間のイメージなんて、皆似たり寄ったりだろう。それを説得したんだから、庄野は強い奴だ。  自分には説得するだけの材料も、根気も無いななんて考えていると、新島が慌てた様子で教室に飛び込んできた。どうしたんだろうか?まだ休み時間の筈だ。  新島は、教室をぐるりと見渡して、俺達の方を見た。いや、正確に言いうと、庄野を見ていた。 「庄野!ちょっと」 「はい。なんだろ、ちょっとごめんね」  庄野はそう言って、小走りに担任の元へ近寄っていった。俺は何か嫌な予感がした。 新島に呼び出された庄野は廊下へ出ると、何かを耳打ちをされ、そのまま新島と一緒に消えた。  ・・・・・・何かあったのだろうか。チラリと見えた彼女の顔は血の気が引いて、真っ青だった。  それから、何日か彼女は学校を休んだ。メールをしてみても返事は無く、俺は酷く心配になった。  彼女の家に行ってみようか?迷惑だろうか・・・・・・けれど、この時の俺は、彼女の顔が見たくて仕方が無かった。  帰りに寄った彼女の家は一階の店は閉まっていて、全体の雰囲気も暗く沈んでいるように見えた。外から二階の窓を眺める。人が居るような気配が無かった。ここまで来て、帰るわけに行かない。  俺は意を決して、足を踏み出した。隣の店との間、細い路地を抜けて裏側へ回る。すると裏通りに出て、彼女の自宅の玄関が現れた。  インターホンを押す。誰も居ない部屋に響き渡ったような、虚しい静けさが辺りを覆う。もう一度押そうと、手を伸ばした所で庄野の声がした。 「木崎君?」声のする方へ顔を向けると、どこからか帰ってきた庄野が、大きな紙袋を抱えて立っていた。 「庄野・・・」  彼女の顔を見た途端に、肩の力が抜けていくのを感じた。ホッとしたのが顔に出ていたのだろう、庄野が柔らかいいつもの笑顔になった。けれど、その次に聞いた言葉に、俺は自分の事のように酷く動揺してしまった。 「お父さんが倒れたの。だから、今ちょっとバタバタしてて・・・・・・」「・・・・・・あ、の・・・」  親が倒れる、現実に起こりうる事だけれど、実際にそういった時に何と聞いていいのか、俺は言葉を持ち合わせては居なかった。なんとも情けない。こういう時に、自分は何と子供なのだろうと思う。  けれど、会いたかったのは事実だ。 「俺、多分庄野の事‥‥好きだ。だから、その‥‥‥」力になりたいと言いかけて止めた。  俺なんかが、なんの力になるって言うんだ。こんな時に上手い言葉を見つける事が出来ない、不器用な性格の自分を呪った。拳を握り締め立ち尽くす俺の手を、そっと庄野の手が包む。  そろりと顔を上げると、頼りなげな彼女と目が合った。 「来てくれて有り難う。明日は学校に行くから‥‥‥学校で話そ」  そう言って、庄野は力なく笑った。  困らせてしまったんだろうか・・・・・・。俺はその日、その後どうやって家までたどり着いたのか憶えていなかった。  次の日、学校へ向かう道の途中、前を歩く庄野の姿を見つけた。 「庄野!」声を掛けると、庄野足が止まり、ゆっくりとこちらを向いた。 「木崎君・・・・・・」その声があまりに小さくて、俺は駆け寄ると、彼女の手を取って学校とは反対側に歩き出していた。  人の波に逆らって、庄野を引っ張っていく。学校近くの公園まで来ると、そこに入った。人気の無い朝の公園、ベンチの前まで来て、漸く彼女の手を離した。「木崎君?」不思議そうな表情を浮かべる庄野に笑いかけると、座ろうと促した。  冷たい朝の空気に晒されて、ただじっと座ったまま・・・・・・。連れてきてしまったのはいいが、何と声を掛けていいのか解らずに、俯いて地面を見ていることしか出来なかった。拳を握り締めて、何と言おうか迷っていると、庄野がポツリと呟いた。 「・・・・・・わたし、跡を継ごうかなって思って」  その言葉に顔を上げ、彼女の横顔を見る。  真っ直ぐ前に向けられたその瞳からは、後悔なんて物は見て取れなかった。「お父さんね、麻痺が残るって言われたの。まだ弟も小さいし・・・お母さんの手伝いしないと」 「庄野‥‥‥」それっきり何も言えなかった。夢を諦める辛さが俺には解らなかったからだ。どう接していいのか解らず、無意識に彼女の手を握り締めていた。返された力に、ハッとする。 「大丈夫、ちゃんと私が自分で選んだの、だから大丈夫・・・・・・」  彼女の手は少し震えていたけれど、自分できちんと選び、決めたその瞳はとても清々しく澄んでいた。  「庄野って大人だな・・・・・・」  俺も、母さんともう一度話してみようか・・・・・。  潔い彼女の心に触れて、自分の中の拘りがすうっと溶け出してゆく。この世界を窮屈にしていたのは、他でもない自分だった。その事に気付けた今日、俺は少しだけ大人になった気がした。 「木崎君。私、嬉しかったよ?昨日、言ってくれた事、それから、力になりたいって思ってくれた事。‥‥‥ありがとう」  微笑んだ彼女の顔がとても綺麗だった。 「やっぱり、大人だな‥‥‥」と彼女の頬に触れ、そっとそのまま引き寄せた。
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