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序章
一人の少女が生気の無い虚ろな瞳で、冷たい煉瓦作りの壁を眺めていた。
銀色の、背中を覆うような長い髪を無造作に垂らし、冷たい床にか細い膝を立てて座り、エメラルドのような深い翠色の瞳は、動く事も無くただ一点を見つめ続けていた。
辺りは暗く、壁の上の方にある小さな窓から漏れる僅かばかりの外の灯りだけが少女の顔をぼんやりと照らし出していた。
少女は囚われていた。冷たい煉瓦の部屋は彼女の監禁するための牢屋だった。
少女の名前は「12」と言った。
正確には名前では無く番号である。
12は自分の身に何が起きているのか理解出来ず、ただただ茫然としていた。
なぜ理解出来ないのか。その答えは簡単で12に過去の記憶は無かった。
この世界の記憶があるのは、僅かばかり前に目覚めてからの事だけである。
どの位の時間が過ぎただろうか。暗く冷たく、音も無い部屋で過ごす12には時間の感覚が無かった。
「お前は誰だ」
突然聞こえた地響きのような低い声。その声に驚いて12が虚ろな瞳を声のする方にゆっくりと動かすと、暗闇の中にうごめく大きな物が視界に入った。
しばらく見つめていると、それは大きな体をした人のように見え、暗くてよくは見えないが、黒い大きな瞳がこちらを見ているように感じた。
「お前は誰だ」
12が何も言わずにいると、その低い声はもう一度同じ言葉を言った。
しかし、12には答えようが無かった。自分自身ですら自分が誰なのかはっきりしない。
返答に詰まった12は、問いに対し同じ問いを返した。
「お前は誰だ」
低い声の主は、自分の投げかけた問いと同じ問いを返してきた事に驚いたのか、少しばかり唸ってから返答してきた。
「俺は、19だ」
その返答に12は困惑した。
「19」は自分と同じで番号である。期待していた答えはそれでは無かった。
そのため12は問いの内容を少し変えて、もう一度言った。
「名前は何だ」
低い声はまた少しばかり唸った後に答えてきた。
「名前は19だ」
12は驚き、思わず「えっ」と声を上げてしまった。
12の驚きをよそに、間を置かず19はまた同じ問いをしてきた。
「お前は誰だ」
12は自分が12と呼ばれている事は知っていた。自分を捕らえた者たちがそう呼んでいたからだ。
低い声の主が19だと名乗ったので、自分も12と返答すれば良いという事に気付いた12が答えようとすると、19が先に口を開いた。
「お前は12」
12が気付いた時には19はその大きな体をゆっくりと動かし、その大きな顔を覗き込むように12の方に向けていて、12の元に差す僅かな光で19の顔が少し見えた。
大きな黒い瞳の視線の方向、12の胸元あたりに自身も首を曲げて視線を落とすと、そこには12と書かれた木のような物で出来た大きな札が首から紐で吊り下げられていた。
「そう。俺は12」
そう答えると、19は柔らかく微笑んだ。
しかし、その顔はお世辞にも美しいとは言えなかった。
僅かな光で見える容姿は、ぎょろっと大きく見開いた瞳に大きく分厚い唇、低くて小さな鼻にゴツゴツした顔。髪は薄汚れた黒で短くぼさぼさで、肌はどす黒く汚れていた。
12の小さな顔とはあまりにも差のある大きな顔。
12は少しばかり19の容姿を不快に感じたが、そのまま瞳を逸らさず話を続けた。
「俺と19はなぜここにいるんだ」
素っ気ない言葉遣いで12は聞いた。
19は大きな顔を引っ込めて、最初にいた暗い場所に元通り座り、答えた。
「俺と12は、売られる」
その言葉を聞いて12は19から目を逸らし、また元通り何も無い壁の方を見つめた。
「売り物」という言葉から脳裏に浮かぶ事はただ一つだった。
恐らく自分と19は奴隷として売られるのだろう。
そう考えると12という名前も首から札を掛けられている事にも納得がいった。
しかし納得出来ない事もあった。
それは、そもそも自分が誰でどうしてこの世界にいるのか。
考えてみても何も分からなかった。
ただ、時間だけが静かに過ぎた。
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