100回目のありがとう

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 ***  物心ついた時から、私は本能的に理解していた気がする。自分は生まれついての“物書きである”と。  誤解なきように言っておくが、私は何も自分自身に小説家としての才能があるなどとは微塵も思っていない。これはあくまで能力的な問題ではなく、性質的な問題である。物書きをするのに向いている気質かどうか、という問題だ。向いているか向いていないかは才能とは全く別の問題である。全く向いていないし好きでもないのにとんでもない天才という人も世の中にはいる。私はその逆だ。とても簡単に言ってしまおう、“下手の横好きも極まれり”である。向いてはいるが、上手いわけではない。ここをうまく解説するのは正直難しい。  初めて筆を取ったのは、幼稚園の頃だったと思う。  もちろんその頃から小説を書いていたわけではない。平仮名を覚えて最初に書こうとしたのが“詩”であったという、それだけのことである。元々歌が大好きだった私は、替え歌を作ることも非常に好んでいた。好きな歌の歌詞を勝手に変えて遊ぶような子供であったのである。多分、幼い頃からピアノを習っていたのも影響しているだろう。残念ながら究極の練習嫌いであったこともあり、ちっとも上手くはならなかったのだが(しかし、ピアノを習っておくのは後で非常に役に立つ。なんせ譜面が読めるおかげで、音楽の授業で困ることが大幅に減るのだ。それにちっとも練習しない不真面目劣等生であっても、多少程度に音感は身につくのである)。  小説らしい小説を書いたのは小学校二年生くらいであったはずだ。今読み返すと、ひきつり笑いが出るほど酷い出来である。文体が一定しない。カッコの前にキャラの名前を書くことは最初からしていなかったようだが、おかげで台詞が無駄に多くてト書きが乏しいこと乏しいこと。おまけに書いたのが当時読んでいたとある漫画の影響で、ミステリーもどきときている。何故一番最初にまともに書いた小説が、そんなハードルの高い内容なのだろう。当然、死人は出るし犯人もいるが、トリックらしいトリックも何もない。これで本人的にはミステリーを書いたとご満悦であったのだから笑うしかあるまい。  ただ、そうやってノートで文字を遊ばせる行為が、それくらいの頃から私の日常ではあったのである。  気がつけば当たり前のように小説を書いていた。何かを書くのが本気で楽しい、と“目覚めた”のは高校生くらいになってからであったとは思うが(丁度その頃、WEBサイトなるものの存在を知り、ネット小説を読むようになったというのが大きいだろう。なんせ私の世代では、家にパソコンが来たのもそれくらいである。携帯電話だって、高校生の途中になってからやっと持てるようになったのだ――ということを言うと、年がモロにバレそうなのだが)。  いつの間にか、友人の助けを借りて自分の小説サイトを持つようになっていた。  そして己の小説をネットで発表するようになったのである。私の創作、自己表現の場がノートからネットに変わったのはこの時だった。やがて時代はWEBサイト中心で小説を発表するよりも、大型SNSに投稿する方向に切り替わっていくことになる。私も自分のサイトと大型SNSの両方に投稿するようになっていく。とはいえ、たまに公募用に一次創作を書くことこそあれ、大半は二次創作ばかりをやるひびであったのだが。  人に読んで貰えるか貰えないかを、そうそう気にしたことはない。二次創作の方が読んで貰える確率は高いが、それよりも自分の大好きな漫画やアニメなどのジャンルの魅力を、己の手で新たに昇華(人によっては劣化だろ、と揶揄されそうな気がするが)させるのが楽しくて仕方なかったというのが本当のところである。
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