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ランチ
「もう、やめようと思うんです」
彼女は真剣な表情で俺にそう言った。
仕事と仕事の合間を縫って、彼女とランチを食べていた。個室でコースのランチで、なんだかお尻の座りが悪いリストランテとかいう、小粋なOLさんが集まる店だった。
店を選んだのは彼女だった。深刻な雰囲気で相談があるという話だった。俺は例の話になるのだろうと、たかをくくっていたが俺の予想を上回る発言だった。
「あんなことがあってもう、続けるのは無理だと思うんです。メインエンジンを失ったも同然で、これからどうやってやって行くんですか」
彼女は目に涙を浮かべ必死に訴えた。しんこくな話をするってわかっていた割に、変なピアスをしていた。何かしらの文字のように見える。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ。白瀬さん。ギタリストが抜けたぐらいで、そんなに思い詰めなくてもいいじゃないですか」
「ギタリストが抜けたバンドなんて、私立探偵のいないハードボイルドみたいなものじゃないですか。フィリップ・マーロウはギタリストなんです」
彼女はが白くなるまで強く、両手を組み合わせて、小刻みに震わせている。水が入ったグラスに当たりそうで、気になってしょうがない。
「フィリップ・マーロウは私立探偵ですよ。ロサンゼルスの。ギターを弾くシーンがあったかどうかは覚えてないですけど。白瀬さんのたとえがわかりにくいです」
コースのランチを食べているのがどうやら俺たち二人だけみたいで、店員さんは直接は見えないけれど、話が全部筒抜けのようなきがして、俺は落ち着かなかった。
「じゃあ、こうしましょう。彼は真空管ラジオのヴォリュームのつまみだったと。彼がいなくなったらどうやって、音量を調節するんですか」
彼女は運ばれてきた子羊だか仔ウシだか知らないピンク色の肉に見向きもしないで、力説する。俺は彼女のおかしな例え話を聞かなかったふりをして、少し肉を食べた。うまいのだけど、味が複雑すぎて、醤油かマヨネーズをかけたくなった。
「例え話はやめましょう、白瀬さん。よけい話がこんがらがります。ラジオのヴォリュームぐらい誰でも変えれますよ。それに今時真空管ラジオなんて骨董品屋さんでも探さないと、売ってないです。たしかに彼は古いタイプのギタリストではありましたが」
「私、これからどうしたらいいんです?」
「肉を食べてください」
「焼肉を食べて元気出せっていうことですか。ノボルさんのたとえも面白くないです」
「いや、例え話じゃなくて目の前の、お皿の上にのってる肉を食べてください。美味しいですよ」
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