アメジストに願いを込めて

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「リヒャルト様ッ!!」 マシューは、人生で初めて声を張り上げた。 今あの人を行かせたら、一生後悔すると思った。いつからこんなにも貪欲になったのだろう、指輪を思い出にするなんてできない。側にいたい。 自分が側にいたところで彼には何の利もないのはわかっている。もしかしたら害かもしれない。子を成すこともできない男のβ。読み書きすら出来ない、武器なんて持ったこともないひ弱な兎だ。お役に立てることなんて何一つできない。 それでも、一緒に来てくれと、そう言ってくれるのなら。 リヒャルトがマシューの呼びかけに反応して振り返る。美しい紫水の瞳が驚いたように見開かれている。宝石にも負けないその神々しい輝きに魅せられて、その瞳に吸い寄せられるようにマシューはリヒャルトの胸元に飛び込んだ。 「マシュー…」 「リヒャルト様…僕、僕何のお役にも立てません…こ、子どもも産めないし…!でも、それでも一緒に行きたいって、そう言ってもいいんですか!?」 「マシュー、マシュー聞いて。俺は君に戦に出ろとも身の回りの世話をしろとも言わない。世継ぎなんて必要ない。ただ俺が側にいて欲しいんだ。」 マシューの身体をしっかりと抱きしめて、頬を大切に撫でてくれるリヒャルトの瞳がキラキラと光っている。それが月の光なのかリヒャルトの瞳本来の輝きなのか、それとも涙の膜なのかわからない。 その神秘的な美しい色に魅せられて言葉も出ないマシューの唇に、リヒャルトはそっとキスをした。 突然唇に触れた柔らかい感触に目を見開くマシューに、リヒャルトは少しだけバツが悪そうに微笑む。 「参ったな、物分かりのいいカッコいい男として去っていくつもりが台無しだ。…さぁ涙を拭いて。一緒に行こう、マシュー。」 いつの間にか頬を伝っていた涙を親指で優しく拭い目尻にキスを落としたリヒャルトは、呆然とするマシューに手を差し出した。 マシューはその手を取り、しっかりと握ると、少しだけ振り返る。そこにいるのは、力無く座り込んだ奴隷商店の主人だ。 「主人様…」 主人はのろりと顔を上げた。 瞳に光を失い口の端が下方へ垂れ下がった生気のない顔は、マシューが知る主人の年齢よりも老け込んで見えた。 ずっと前から、疲れ切っていたのかもしれない。禁止された奴隷を売る生業に。養っている奴隷を放り出し路頭に迷わせるわけにもいかずやめるにやめられなかったのだと、今悟った。 マシューはリヒャルトの手をキュッと強く握った。優しく握り返して背をさすってくれるリヒャルトに後押しされ、意を決して口を開く。 「主人様、僕…貴方がお父さんだって知らなかったけど…けど、主人様のこと、ずっと本当のお父さんだと思っていました…」 堕胎することも、主人なら出来ただろう。産まれた赤子を捨てることも出来ただろう。それをせずにマシューに名を与え言葉を教え下働きとして生きる場所を与えたのは彼だ。 主人は昔からマシューに辛く当たったが、時折不器用で分かりにくい愛情を垣間見せてくれたことも確かにあった。 「…ありがとう、ございました。」 そんな彼を、マシューは確かに父として愛していた。 ぺこりとお辞儀をして顔を上げると、リヒャルトが優しい微笑みを浮かべて頷いてくれる。マシューがしっかりと視線を合わせて少しだけ微笑むと、何も言わずに手を握り合ったまま歩き出した。 ゆっくりとした歩調、決してマシューを引っ張ったりはしない。それはまるで、リヒャルトがマシューに望むこれからの二人の関係を表しているようだった。 共に歩む、という在り方を。
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