アメジストに願いを込めて

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サスキア王国南部、リニの街。 水も食料も乏しい首都から遠く離れたこの地では王族の遠縁に当たる形ばかりの領主の圧政が横行し、昔々の悪しき習慣が未だ色濃く残っている。強いものが弱いものを搾取し弱いものは泣き寝入りする他なく、豊かな者だけがより豊かになっていく。 その最たるが、奴隷だ。 理性と知能を併せ持つ人間を頂点に、力の強いライオンや虎の血を受け継ぐ獣人が人間に仕え、それらは鳥類や熊を従える。そして兎や鼠といった力もなく知恵もない獣人はヒエラルキーの最下層で這いつくばって生きていくしかない。兎や鼠の獣人は生まれながらにして奴隷として生きることが運命(さだめ)であった。 しかしその奴隷制度も、15年前に世界最大の領土を持つラビエル王国で廃止されてからは各国で奴隷廃止運動が盛んになり、このサスキア王国でも5年前に廃止され法律上奴隷の売買は禁止された。 だというのに、未だこの地には多くの奴隷商が存在し、名目が奴隷から使用人に変わっただけで多くの獣人が奴隷として人間や地位の高い獣人に飼い殺しにされている。 しかし、中には人間の奴隷もいる。 「いやっ!いやよ、離して!!お父様、お母様ぁ!!」 美しいブロンドを振り乱して悲痛に泣き叫ぶ人間の少女を部屋に押し込み南京錠をかける。中の少女が力任せに扉を叩く衝撃にマシューはビクッと飛び上がり、そそくさとその場を去った。 マシューが一直線に向かった先は、キッチンだ。とっておきの酒樽から一杯の葡萄酒を用意し、こぼさないように細心の注意を払いながら一番奥の部屋へ向かうと、深呼吸して控えめにノックした。 「主人(あるじ)様…」 煌びやかな調度品に囲まれ毛皮のコートに身を包んだ狸の獣人は、上機嫌でマシューを迎え入れた。 「マシューか。いやはや、今日は素晴らしい日だ。まさか人間のΩが手に入るとはな。それも、女の。」 ククッと喉の奥で笑ったこの奴隷商店の主人に葡萄酒を差し出すと、主人は目で楽しみ香りを楽しみ、ゆっくりと口に含んで舌先に転がして存分に味わった。ごくりと喉を鳴らし胡乱な視線でマシューを一瞥すると、その頭部から生えた二つの長い耳を指先で弄ぶ。ひくりと僅かな反応を示したマシューに満足そうに頷くと、グッと顔を寄せ酒気を帯びた息を吐きながらニタリと笑みを浮かべた。 「金貨100枚はくだらんぞ…お前も兎らしく腰の振り方でも習ったらどうだ?うん?少しは商品価値が出るやもしれんぞ?」 ぞくりと背筋に走った悪寒を悟られないようギュッと目を閉じたマシューに、主人はフンと鼻を鳴らした。 「あれに食わせる飯を買ってこい。肉はダメだ、果実にしろ。10種類は用意しておけ。」 ポイと投げてよこされた薄汚い小さな財布を慌ててキャッチしたマシューは、ぺこりと一礼をして一目散に走り出す。敷地を出て最初の角を曲がり数メートル進んだところで脚を止めると、財布の中身を確認した。 中には、小さな銅貨が5枚。 果実を10種類も用意するには到底足りない。マシューは大きな耳をくたりと垂れさせた。 また今日も、盗みを働くことになる。
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