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「ねぇ聞いた?ラビエル王国のリヒャルト王子…たった一夜で一個師団殲滅したって!」
「聞いた聞いた、新聞の取り上げ方すごいもの。」
「もう何回目?本当に恐ろしい方…」
「戦場では紫水の悪魔って呼ばれてるらしいじゃない。あの国の王族は皆紫色の瞳をしているっていうわよね。悪魔の血を引いているのかしら…」
「人間のαっていうだけで悪魔みたいなものだわ!」
「シッ!滅多なこと言わないのよ!」
「でも、…………」
街の大通りに出ると、マシューは大きな耳をピンと尖らせてあたりを見回した。
人の多い所は色々な情報が入ってくる。旬の食べ物から世界情勢に顔も知らない人の色恋沙汰まで。
物心ついた頃からこうして人々の噂話を聞いて得た知識で、今どんな食べ物が安くて美味いのか、どんなイベントのために何が高騰しているのかマシューはよく知っていた。
街で一番安い八百屋をひょっこり覗くと、旬の果実がざっとみただけで5種類はどっさり積み上がって店頭に山を作っている。その中から一番ツヤツヤして美味しそうなものを一つずつ選んだマシューは、店の隅に置かれた真っ赤な果実を目の端に捉えた。字が読めないマシューには値札の商品名が読めなかったが、確か苺というらしい。貴族が好んで食べるらしいその果実はマシューは当然一度も口にしたことがないが、きっと美味しいのだろうと思う。
今朝売られてきた人間の少女は、貴族の出身だ。Ωというだけで両親に売られたのだろう、奴隷商店ではよくある話だ。
彼女も、苺が好きだろうか。
マシューは苺の前を素通りし、熊の血を引く大きな身体でどっかりと古びた椅子に腰掛け新聞に夢中になっている店主に声をかけた。
「あの、お会計…」
「ん?ああ、はいはいすまんな。」
言われた通りの金額を支払い、手元に戻ってきたビニル袋に詰められた色とりどりの果実たち。マシューはそれを大事に抱えて、店を出ようと歩き出した。
途中で再び目の端に入る苺。マシューはチラリと店主の様子を伺う。店主は再び新聞に夢中だ。
そーっと苺に手を伸ばす。一パック手にする。
マシューは再び歩き出した。
あと3歩で店の外。誰もマシューを見ていない。
あと2歩。新聞を捲る音がする。
あと1歩。店主が豪快なくしゃみをした。
店を出たらすぐ右に曲がれば裏道に入れる。店の外はもうすぐそこ───
「おい!!待てそこのチビ兎!!!」
響き渡った店主の怒号に、マシューは背後を確認するより先に走り出した。
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