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少し離れた位置から、ジャリ、という砂の音をマシューの大きな耳が捉えた。
「あの〜…」
八百屋の店主が足音に気付く前に聞こえたのは高くも低くもない、よく通る澄んだ綺麗な声。
八百屋の店主はそこで漸くバッと勢いよく振り返る。その視線の先には、サングラスをかけ頭にターバンを巻いた旅人風の怪しげな男。
「…なんだお前、言っとくけどこれは…」
「合意だとおっしゃるおつもりで?どう見ても合意には見えないんですがねぇ…」
静かな声で告げた男はやれやれと肩をすくめ、散らばった果実を一つ拾い上げると裏通りに僅かに入る陽の光に照らした。ツヤツヤ輝く果実の表面がキラリと光る。
余裕さえ見えるその姿が癇に障ったのか、八百屋の店主は大きな身体をわなわなと震わせ立ち上がるとマシューを指差した。
「違う!!このコソ泥がうちの商品を盗みやがったから…!!」
「おや、そうでしたか。そうですね盗みは良くない。でも、あー、私は隣国からの旅行者なのであまりこの国の法には詳しくないのですが、確か窃盗罪は倍額の支払いとプラス銀貨2枚、強姦罪は金貨5枚とかではありませんでしたか?」
男は淀みなく、つらつらと冷静に問いかける。八百屋の店主はグッと押し黙り、怒りに目を血走らせた。
男はフッと不敵に微笑むと、更に八百屋の店主を追い詰める。
「…必ずしも刑の重さが罪の重さとイコールになるわけではありませんが…清算しても、このまま放っておくと貴方の方が罪が重くなるのではないですかね。」
サングラスに隠された瞳がギラリと光った気がした。
八百屋の店主は舌打ちをして、男の足元ペッと唾を吐き出すと、男をジロリと睨んでその場を立ち去った。
男はその後ろ姿を見送ると、あちこちに散らばった果実や苺を拾い集めて袋に入れると、呆然と座り込むマシューに手を差し出した。
「立てるかい?怖かったろう。」
つい先ほど八百屋の店主を言葉で追い詰めたとは思えない優しい声にマシューはすっかり気が抜けて、途端にぶり返した恐怖にブワッと涙が溢れ出た。
「うっ…ふえっ…」
「怖かったね。これに懲りて盗みはやめることだな、うん。ああほら、これあげるから涙を拭いて。」
「あ、ありがとうございます…」
差し出されたハンカチは、今まで触れたどんな布よりもさらりとしている。まるで店に来る貴族たちが身につけるシャツのようだ。ずっと頬擦りしていたいほどに気持ちが良い。
マシューの涙が止まるまで、男は側に居てくれた。
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