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漸く涙が止まるころには、借りたハンカチはびしょびしょになっていた。
「すみません、これ…洗って…」
「いいよいいよ、あげるって言ったろう。」
「でも、こんな良いハンカチ…」
こんな良いハンカチ、上等な洗濯石鹸で丁寧に優しく洗い皺をしっかり伸ばしてから返すべきなのだろうが、マシューが使える石鹸など知れている。
いよいよ困ってしまい耳を垂れさせてどんよりと落ち込んでしまったマシューに、男は苦笑した。
「…じゃあ、一つ頼まれてくれるかな?」
マシューはパッと顔を上げた。
自分にできることならなんでもしたい。
途端に目をキラキラ輝かせたマシューに、男は頬をぽりぽり掻いてこう言った。
「えっと…迷子なんだな、実は。メインストリートに行きたいんだけど、連れて行ってくれないかい?」
───
小さな街だ。目的のメインストリートは然程遠くない。
リチャードと名乗った男は物珍しそうに辺りをキョロキョロしながら色んなことを話して聞かせてくれた。諸国の名産品を見て回るための旅行が趣味だというリチャードはあちこちの国に度々旅行に行くらしく、土産物を買い過ぎて怒られるとか、旅行先でも興味が先行してしまっていつも連れと逸れてしまい毎度怒らせてしまうのだとか。
「だからさー、この前ついに言われちゃったんだ。今度逸れたら首輪してリードに繋ぐぞって。アイツならやりかねない…」
「…怖い人?」
「怖い怖い。頭から食われるんじゃないかと何度怯えたことか!」
頭から食べるなんて、余程大きくて怖い獣人なのだろうか。さっきの八百屋の店主のような熊の獣人とか、或いはもっともっと怖いライオンとか。
そういえば、とマシューはチラリとリチャードを見る。この人は何の血を引く獣人なんだろう、と。
獣の血が濃いほど姿形は人間から遠ざかる。マシューのように耳や尻尾しか残っていない者もいれば、獣が二足歩行しているに等しい者もいる。獣の血が薄い者がリチャードのように頭にターバンを巻いていると、頭部から生える耳が見えず何の獣人なのかが判断できない。
度々外国に旅行しているらしいし、さっきのハンカチも相当良いものだろう。もしかしたら、かなり地位の高い人なのかも。αなのかもしれない。
マシューが少しだけ身構えたその時、大地を揺るがすような低い咆哮が響いた。
「リチャード様!!!」
マシューだけではなく、道行く人の誰もが振り返った。
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