リンドウの嗤う日々

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リンドウの嗤う日々

僕には恋人がいる。柏木凛瞳(りんどう)という穏やかながら華やかさを持つ、まさしく竜胆のような少女だ。名前の由来は母親が竜胆の花が好きだったことと、『凛とした瞳を持った子になりますように』っという願いが込められているらしい。何事も平々凡々な僕にはもったいない、最高の彼女だ。 「なーつきっ」 不意に後ろから鈴の音のような可愛らしい声で僕を呼ぶ声がする。僕が振り向くより早く、凛瞳は僕の腕に自分の腕を絡ませていた。 「おはよう凛瞳。今日は珍しく早起きだね」 「今日は新しい髪型したくて頑張ったんだよー! ね、うまくできたと思わない?」 そう言って凛瞳は頭を軽くプルプルと振る。高い位置で結んだ長い髪が揺れた。その仕草は朝から今日の運を使い果たしてしまったのかと思うほどの可愛さで、僕は思わず彼女を抱きしめた。 「ちょ、夏希⁈ ここ学校前だよー!」 モゴモゴと喋る凛瞳が可愛くてますます愛おしくなったが、周囲の目もあるので僕は腕を緩める。……顔を上げた凛瞳の目は少し淀んでいた。僕は慌てて凛瞳の目線に顔の高さを合わせ、涙目になった。 「ごめん、こんなところで嫌だったよね。本当に、ごめん……」 消えいるような声で謝ると、凛瞳はいつもの可愛い笑顔で僕の頭を撫でた。 「大丈夫だよ。私は夏希の彼女なんだから。だからそんなに悲しまないで?」 「……ありがとう、凛瞳」 僕がうっすら滲んだ涙を袖で拭うと、凛瞳は僕の腕をくいっと引っ張った。 「大丈夫、私はそんな夏希が大好きだから。さ、学校遅れちゃうよ?」 公道で泣き出すような彼氏になんて優しいんだろう。僕はこの幸せを噛みしめながら、凛瞳に引っ張られて校門をくぐった。 「なーつ……き?」 下校時刻、先に下駄箱で待っていた僕に気づいた凛瞳は、自分の下駄箱の前で棒立ちになっている僕に違和感を覚えたのか窺うように後ろからそっと声をかけてきた。 「どうしたの夏希?……っ!」 凛瞳は突っ立ったままの僕の背後から顔を出す。……その目に映ったのは、紙くずと画鋲、その他のゴミが放り込まれた僕のローファーだった。 僕は黙って紙くずの一つを開く。そこにはナイフのように鋭い文字でこう書いてあった。 『凛瞳ちゃんと別れろ!』 僕はそれを下駄箱に戻すと、次々と紙くずを開いた。 『朝からあんなことして気持ち悪い』『凛瞳が可哀想』『早く別れろ。ていうか死ね』 最後の一枚に手をかけた時、その手を咄嗟に凛瞳が掴んだ。 「夏希、もうやめよう……?」 大丈夫だよ、と返すつもりだったのに、凛瞳の目に涙が浮かんでいるのを見て、たちまち僕の涙は堰を切ったように溢れ出した。 「よしよし、もう大丈夫だよ。こうやって見えないようにしておくからね」 そうして僕は背の低い凛瞳の胸に顔をうずると、小さな子供のように嗚咽を漏らした。 僕がようやく落ち着いた頃、隣でココアを飲んでいた凛瞳が、独り言のように言葉を落とした。 「……ごめんね。私のせいで辛い思いさせちゃって。……こんなことが続くくらいなら、もう」 「嫌だっ!」 凛瞳の言葉を遮るように僕は叫ぶ。 「確かに嫌がらせは辛い。でも、だからって凛瞳と別れるなんて、それが一番悲しいに決まってるよ……」 そう言って再び泣きそうになる僕を見て、凛瞳は優しい笑みを浮かべる。 「ごめんね。私も夏希の『そういうところ』が大好きだよ。……これからもずーっと一緒にいようね」 そういって凛瞳は小さな身体をめいいっぱい使って僕を抱きしめる。僕はその言葉にコクンと頷いた。 凛瞳はよくこうやって、僕の為に別れを切り出そうとしてくることがある。そのこと自体はとても悲しいことだけれど、僕を想ってのことだと思えば、それすらも愛おしく思える。 世界一優しい凛瞳。彼女が居なければ、僕はこんな幸せな人生を送れなかっただろうな。
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