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 姉はあの日、ピッタリ100ページのノートを買ってきて、日記をつけ始めた。  日記といっても現実に起きたことを書くのではない。夢だ。姉はよく夢を見る人で、リアルな怖い夢を見た夜には、隣で寝ている私に声をかける。起きてる? 私は「うん」と答える。私が六年生になってからは、つまり姉が中学二年生になってからは、週に二回くらいはそんなやりとりがある。私は目覚めるのがほんの数秒だけ早い。  昔から、姉が夢を見ているのが私にはわかった。姉が夢を見た、ということだけを理解しているのだが、姉が見た夢がわかるわけではない。私自身さえ夢を見ていない。ただ漠然と、姉が今夢を見ていて、あと少しで目が覚める、というのが予測できてしまうのだ。  姉妹のシンパシー? シンクロニシティ? 私はあまり夢を見ない。だから姉がうらやましい気もする。でも姉はいい夢を見る才能がないらしい。目が覚めてから数分間は怯えていたり、嫌な顔をしている。私は隣で首だけを姉に向けて観察している。姉が目を開く瞬間、暗闇の中のわずかな光を拾って、蛍みたいに瞳が光る。  起きてる? と訊いてくるくせに、夢の内容を教えてくれることはない。でも何度か夢と現実の区別がつかず、私に襲いかかってきたことがある。髪の毛を掴めるだけ掴んで思いっきり引っ張られたこともあれば、姉を観察していた私と目が合うなり腹を蹴られたこともある。たまには自分の腕をかきむしり始めて、私が止めたらビンタされたり。頻度はそれほどじゃないが、姉は何かの病気ではないかと心配になることもある。  私はたまに思ってしまう。姉は私の夢まで背負っているんじゃないかって。私が姉よりほんの少し早く起きるのも、全く夢を見ない、あるいは覚えていられないのも、姉が私の頭から夢をすっぽり吸い取って、受け止めてくれているのかもしれない。姉は夢の中で私に襲われているのかも。夢の余韻が残った姉は、いつも私を濡れた目で睨む。  夢の内容教えてよ、と頼んだ何度目かの夕方、姉は学校帰りに100ページのノートを買ってきた。「夢百夜」を書くと言う。夏目漱石の「夢十夜」を真似て、夢を書き留めておくそうだ。  買ったその日の夜に一ページ目を書くことになり、夜中に勉強机に座ってカリカリとペンを走らせていた。私が覗こうとすると腕で隠してしまう。姉はちょっと赤みがかった目で、あんたは見ないで、と言う。あんたは、ってことはお父さんとお母さんには見せられるの? と訊くと、あんたにしか見せないけど、100ページに埋まるまでは誰にも見せない、と言った。私は承諾して、姉のペンが滞りなく滑る音を聞きながらもう一度眠った。  私が夜中に目覚めるということは、姉が夢を見たということだ。それを地道に、姉に悟られないように数えていた。今夜、もし夜中に目が覚めたら、それは「夢百夜」の完成ということになる。姉の目は夢の回数を重ねるたびによく輝くようになっていた。ぬらぬらと濡れていて、それは反射というよりも自ら光っているみたいだった。二匹の蛍。その光は姉の目から流れ落ちる日もある。私は理由もわからずそれを観察している。首だけで姉を向いて。  おやすみ、と言いながら姉が電気のスイッチに手を伸ばす。パジャマの裾から、昨日掻きむしって赤くなった手首が見える。私は布団の中からおやすみ、と言った。パチンッと音がして、部屋は暗くなる。いい夢を。私は二匹の蛍を楽しみに目を閉じる。
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