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あまりにも残酷だ。
ただ一つの夢を見ながら、静かに生きていた俺たち兄妹の上にも、「それ」は容赦なく落ちてきた。
突然だった。
いきなり、空が割れた。
あれは、新宿の方向だったと思う。
灰色の空に、厚く立ちこめた雲を取り込んだ闇が。
得体の知れない欠片をばら撒きながら、「それ」は落ちて来たのだと、後に誰かが言っていた。
想像を絶する大きさだった。
いや、そもそも想像なんて出来るわけもない。
それまでは、誰一人として「それ」が何かなんて知らなかった。
まして、空から落ちてくるなんて。
「それ」が今まで何処に在ったのかなんて、ずっと空の上に在ったのかなんて。
空の下にいた俺たちに、解る筈ない。
新宿の高層ビル群を薙ぎ倒し、地上へ容赦なく倒れ込んだ「それ」は、異常な巨大さを除けば、何となく人間のようにも見えた。
生きているのか、死んでいるのか。
下敷きになって呻き声をあげる人々や、呻くことさえ出来なくなった塊が、阿鼻叫喚でしかなかった。
そして、「それ」はそれだけで終わらなかった。
闇とともに、大量の何かが地上に押し寄せていた。
奴らを何と、表現したらいいのだろう。
異形の者たちだ。
角が生えていたり、牙や爪が異常に発達した生き物だった。
皮膚はドラゴンのように硬く、口から火を噴いたり冷気を吐いたり、目から石化ビームのようなものを出すものもいた。
人間と同じくらいのものもいれば、巨人のようなものもいた。
ただ、人間ではないことは明らかだった。
奴らは、人間の姿を見つけるや否や、物凄い勢いで集り襲い掛かって来るのだった。
捕まえられたら、最期。
食い千切られ、贓物や骨さえも噛み砕かれ、奴らの腹へ収まるのだ。
奴らは、人間を食べていた。
それが、地上の生き物で言う食事であるのかは、謎だ。
空腹でなくとも、奴らは人間を手当たり次第に食べるのだと思う。
今まで捕食の対象にされた経験のない人間たちは、恐れ戦いた。
奴らは外見が邪悪で、嫌悪感を齎すものでしかなかった。
逃げ惑う以外に、成す術がなかった。
暫くの間は。
だが、人間たちも大人しく食われるのを待つばかりではなかった。
生き残る為に、戦うことを決めたのだ。
不幸中の幸いで、奴らの中に飛行タイプのものはいなかった。
そして、奴らにも弱点のようなものが存在した。
奴らは体の中に、人の拳ほどの大きさの玉を持っていた。
必ず、ひとつ体の中心に。
それを露出させて破壊してしまえば、奴らは生命活動を維持できなくなる。
というか、体を保つことが出来なくなる。
どろどろに、溶けてしまうのだ。
問題は、ドラゴンの皮膚並みに硬い体にどうやって傷をつけるのかだが。
それは、とある考古学者の手によって齎されたという。
海底深くに沈んでいた超古代遺跡から見つかった謎の物質。
それを用いて作られた武器のみが、奴らの体を切り裂き、奴らの玉を砕き、奴らを殺せた。
その物質が何なのかは、不明のままだ。
それを分析する間もなく、人間たちは戦うだけで精一杯だった。
超古代遺跡から掘り出され加工されたその武器を、手に出来る人間もまた、限られていた。
奴らの数に対し、圧倒的に少なかった。
命を懸けて、死を覚悟で海底に潜る人間もまた、そうそういたものでもなかった。
戦況は一向に、好転しなかった。
寧ろ、悪くなる一方だった。
このまま皆で死んでしまおうという集団も現れ始めていた。
或いは、総ての人間を平等に生かすことはせず、選ばれた者たちのみが生き延びればいいと考える者たちもいた。
高く高く聳え立つ巨大な壁を張り巡らせ、その者たちは其処に居住した。
選ばれざる者たちは壁の内側に入ることは許されず、盾に使われていた。
俺と妹もまた、選ばれざsる者たちだった。
壁の外で、怯えながら生きていた。
あれから既に、多くの人間が食い殺された。
俺と妹が生き延びているのは、運が良かったわけではない。
壁の外に放置された者たちも、自らを護る為に壁を築き上げていた。
最初に作られた壁の外側を囲うように。
俺は妹を先生に預け、壁づくりに参加した。
その時に、見付けたのだ。
ひっそりと、草の陰に突き立てられた剣を。
それは、奴らを唯一殺せる素材で作られていた。
何故、そんな場所に突き立てられていたのか。
持ち主がいないのは、何故なのか。
食われたのか、それとも・・・・・・。
考えている暇はなかった。
俺は、剣を手に取った。
本当は俺たちも、何処かの集団に加わるべきだっただろう。
けれど、敵は奴らだけではなかったのだ。
別の意味で、恐ろしい敵がいて、そいつらは俺たちを同じ姿をしていた。
見ず知らずの他人を、信じることが出来なくなっていた。
そうして、襲い掛かってくる敵を、俺はもう数え切れないくらいに、殺した。
妹を護る為、ただそれだけの理由で。
背中側で妹が、また激しく咳をした。
本人は隠しているけれど、とうとう妹は血を吐くようになった。
こんな状況下じゃ、薬なんか手に入らない。
こないだの地震で、先生とも逸れてしまった。
このままじゃ、妹はもう数日も持たないだろう。
「ごめんね・・・・・・お兄ちゃん」
「謝らなくていい」
「でも・・・・・・わたしが咳をするから、悪魔に・・・・・・見つかっちゃうよ」
「見つかったら、お兄ちゃんが全部、殺すから」
だけど、俺の方も体力的に限界だった。
もう、何日も飲まず食わずだ。
折角の剣も、振るえなければ意味がない。
それでも、妹の前でこんな姿を見せるわけにはいかなかったから、
「何か、食べられそうなもの、探してくるよ」
俺は、剣をどうにか持って、立ち上がる。
「此処に隠れているんだよ」
「わかった」
と、妹がうっすらと笑った。
その、直後に。
「!?!?!?!?」
俺の体に、謎の衝撃が走った。
何事かが分からず、数回瞬きをした。
痛みは、時間をおいて訪れた。
何が起きたのかを、俺自身が理解した瞬間だった。
「あ゛あ゛あああ゛あぁぁあ゛あ゛ああぁぁあああ゛ああっ!!??」
剣を持ったまま、俺は噛り付かれていた。
辛うじて、まだ体は全部が繋がった状態だった。
奴らだ。
どうして接近に気が付かなかったのか。
妹に気を取られ過ぎていたのか。
今更、答えを知っても遅い。
嫌な音を聞いた。
俺の骨が、肉と一緒に持って行かれる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
妹の悲鳴が上がる。
奴らは、妹も食い始めていた。
「怖い、怖い怖い怖い、怖いよぉ・・・・・・お兄ちゃん」
助けて、と叫んだ。
やめて、と叫んだ。
生きたまま、食われるだなんて。
そんなものを、俺に見せるなんて。
嗚呼、俺はこの世で唯一の大切なものさえも護れないのか。
こんな、最期の瞬間まで、兄に助けを求める妹が、ただただ哀れだ。
死ぬんだ。
俺たちは、今、死ぬ。
死にたくない。
死にたくない。
どうして、俺たちなの。
どうして、こんな世界になったの。
教えて、助けて、誰か。
誰でもいい、ねぇ、誰か。
「答えなんか、無い」
俺の問いに、誰かが答えた。
「強いて言うなら、遠い過去の人たちの過ちが、この事態を招いた」
誰。
俺は問いかける。
返事はない。
「・・・・・・どうすればよかったのか、なんて。どうしていけばいいのか、なんて。分からない」
生き残る為になら、何をしたって構わないのか。
本当に?
「ただ、これだけは言える」
小さな影が跳躍した。
「それは、こんなこと絶対に、許しちゃいけないってことだ」
「!」
俺よりもずっと小さな少女だった。
息を呑むほどに華奢で、幼気な少女。
その少女は、奴らを一匹も残さず木っ端微塵にするまで、十秒もかけなかった。
少女が、
「しね」
というだけで、奴らはただただ死んでいった。
武器なんて、必要なかった。
「まとめてくればいい」
大群の第二陣に、少女は言い放った。
「一匹だって、逃さない。皆殺してやる」
少女の瞳は、如何なるものをも圧し、怒りを滾らせていた。
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