750人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
「高遠?」
2人きりの時とは違う、翔琉からのビジネス上での他人行儀な呼び方に、否が応でも酷く距離を感じる。
いつもだったら、そんなことは一切気にせず、却って名前で呼ばれた方が鬱陶しいとさえ感じる程なのに。
ささくれだっている今の俺の心は、何気無い少しの変化でも酷く敏感となっていたのだ。
「はい、何でしょうか」
接遇が厳しいカフェのバイトで培った営業スマイルで、今の心中を悟られないようすぐ様表情を作る。
多分、翔琉には気付かれていないはず。
「大丈夫か?」
だが、俺へと耳打ちをする翔琉に心の内を見抜かれてしまったことに焦りを感じるのと同時に、目の前の飛海の眉が僅かに釣り上がるのも運悪く目撃してしまう。
だが、あちらも翔琉には劣るが人気俳優。
すぐ様、とびきりの笑顔にわざとらしい甘い声で話し掛けてくる。
「翔琉さーん、良ければ明日の2人きりのシーンの読み合わせ……今夜、付き合って頂けませんか?長丁場になりそうなので、NG出してご迷惑をお掛けしたくないんです」
翔琉が断われないよう、最もらしい理由を付ける。
「……いいだろう」
少しだけ沈黙した後、翔琉は感情を出すこと無く答える。
「では、後ほど宜しくお願い致しまーす!」
そう嬉しそうな声で答えた飛海は、マネージャーと共にその場を立ち去る。
「龍ヶ崎様、俺……今夜は電車で帰りますので」
まだ何も言っていない翔琉へ、俺は敏腕マネージャー風に俳優を気遣い先手を打つ。
確かに、2人の絡むシーンは多く派手なアクションシーンの立ち回りが多い。
世間へこのキャスティングが発表された時点で、華やかな人気俳優2人の絡みをファン以外にも待ち望んでいる声は多く聞こえていた。
それを本物のマネージャーから聞いていた俺には、2人の読み合わせを邪魔する訳にはいかない。
たとえ、個人的な時間で行ったとしても……。
「は?何言ってんだよ。颯斗、お前今夜俺の家に泊まれ。ここのところ、ちゃんと休めてないだろ?」
小声でそう話す翔琉は、いつも通りの名前で俺を呼ぶ。
「そんなこと言ったって、龍ヶ崎様の方がもっとお休みになられてないはずじゃ……」
「そう思うなら、余計……だ。天王寺なんかに気を遣うな。アイツだって、プロの端くれならそんなことをしなくても良いものが創れるはずだ」
深夜遅くに撮影から帰宅した翔琉は、台詞を覚えまたすぐ遠方に住む俺を迎えに出掛ける。
俺が運転できれば、翔琉だって2時間以上は絶対に睡眠時間が確保できているはずだ。
「でも、明日は大事なシーンですよね?」
周囲には聞こえないよう小声で俺は尋ねる。
「いいか、すぐに本読みを終わらせるから俺の家で寝てろ。そもそも、最初からこうすれば良かったんだよな。お前の意見を尊重しすぎた俺がバカだったな」
一部の隙もない男は、そうブツブツ独り言を呟きながらスタジオへとさっさと入って行ってしまう。
少しだけ遅れて翔琉の後を着いて行った俺は、自分の存在がどれ程までに翔琉に負担を掛けていたのか気が付き、余計泣きたい気分となる。
お金を稼ぐどころじゃない。
こんな迷惑ばかり掛けて……
今更ながら翔琉の仕事へのプロ意識を目の当たりにした俺は、自身のくだらないプライドで翔琉のことを全く考えていなかったことを深く反省する。
そう、これが頂点を極めた者のホンモノの仕事なんだ――
そう認識した俺は、頭をすぐに切り替え翔琉に対して、今何ができるのか必死で脳内を巡らせたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!