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湯気の立つうどんの乗ったトレーを持ったまま、ぐるっと辺りを見回す。昼時という昼に来たせいか、食堂の中は学生でごった返していた。
困ったなぁ、と思っていれば丁度タイミングよく席を離れそうなグループがいて、他の人に取られないうちに足早にそちらへ向かって椅子に座る。
「あの、隣いいですか……?」
横から遠慮がちな声がしてそちらを向けば、どこかで見たような顔の女の子が立っていた。
「あっ、どうぞどうぞ」
「ありがとうございます」
絶対どこかで見たことある。思い出せ、思い出せ……と自分の記憶の引き出しを探って、やっと思い出した。
「あ、あっきーの……」
「矢田俊介くん……、だよね?私、秋月加奈子って言います。亜希くんとは小、中学校が一緒なんだけど、矢田くんも亜希くんと仲良いよね。よく話聞きます」
グラウンドで亜希と話していた、あの女の子だ。近くで見ても、やっぱり可愛い。亜希の彼女かもしれない人。そう思うと逃げ出したいような気持ちになったけれど、何故逃げる必要があるのか、自分でもよく分からなかった。
でも、なんだか胸が苦しい。
「今は実は矢田くんと一緒で、美術学科なんだ。前からお話してみたかったんだけど、上手くタイミング掴めなくて……。でも、今日話せて嬉しい」
「えっ……、あ、そうなんだ、気付けなくてごめんね……!」
道理でグラウンドで見た時もどこかで見たことがあるような気がした訳だ。うちの学科は百人いるかいないかくらいしかいないはずなのに、無頓着すぎて同じ学科にどんな子がいるのかすら把握していなかったのがすごく恥ずかしいし、申し訳ない。
勿論多少は誰がいるのか分かるし、友達もいる。それに、よく話しかけてくれる女の子は沢山いたから、そのせいでなんとなく一通りみんなの事を知っている気になっていたのだ。
「ううん、気にしないで。でも、もし良かったら仲良くしてくれると嬉しいな」「勿論、こちらこそよろしく」
それから大学のこと、亜希の事、共通点を探して色々な話をするうちに打ち解けてすぐに仲良くなる。加奈子の親しみやすく朗らかな性格も手伝い、身構えたり逃げ出したいと思っていたことが恥ずかしくなるくらいには親しくなれた気がした。話題が一か月後に行われる予定の大学祭の話に移り変わる頃、丼の中入っていたうどんも汁一滴残さず食べ終わって、手元に集中する必要が無くなったせいで俄然話に花が咲く。
「大学祭、楽しみだね。矢田くんは何かするの?」
「んー、俺はゼミで食べ物出すみたいだからキッチン担当かな?長い間火使ってないから練習しないと」
前に海奈が来た時も、昼は姉が海に持たせた弁当を食べたから料理はしなかったし、夜は亜希が作ってくれたしで結局作らず仕舞いだった。あまり気にしていなかったが、もう実家を出て一年が経つから、もしかしたら最後にまともに料理を作ったのも一年前かも知れない。
「矢田くん料理もできるの?かっこいいね」
「ありがとう。できるって程じゃないけどね。あっきーには適わないよ」
「亜希くんも上手だよね。でも、私は亜希くんの料理食べたことないなぁ。矢田くんはあるの?」
「うん、何回か」
意外だった。そして、すごく嬉しかった。
彼女……かどうかはまだ分からないけれど、少なくとも自分より遥かに長い付き合いの加奈子さえ食べたことのない亜希の手料理を自分は何度も食べたことがあるのだ。そう思うと心は弾んだし、誇らしかった。
「へぇ、どうなの?美味しい?」
「うん、煮物が一番美味しかった」
唐揚げとかパスタとか、誰でも好きそうなメニューにしてくれることが多いのだが一度だけ得意料理作ってとリクエストしたことがある。煮物とはまた渋い料理が出たなと思ったけれど、さすが得意料理と言うだけあって、今まで食べたどの料理よりも段違いに美味しかった。食べ物に執着はない方だけれど、珍しくまた食べたいと感じたのが記憶に新しい。
「へぇ、私も食べてみたいな、亜希くんの料理」
その言葉を聞いて、ほんの少し嫌だ、と思ってしまった気持ちを悟られないように胸の内に隠す。亜希の美味しい料理が色んな人の口に入ることはきっと亜希にとっては喜ばしい事のはずなのに。それでも自分は素直に喜べなかった。
「お互い頑張ろうね、学祭。私は多分サークルで接客に回るんだけど、接客業なんてしたことないから心配だな」
「そうなの?でも、今日知り合ったばっかりでもこんなに話せるようになったのって絶対加奈子ちゃんのおかげだし、この調子でいけば絶対大丈夫だよ。頑張って!」
綺麗事なんかじゃない、本心だ。加奈子が照れ臭そうにはにかんで、ありがとう、と言って笑った。それで何故だか、亜希の笑った顔を思い出して苦しくなって、加奈子に不思議そうな顔をされて慌てて顔を作る。
そろそろ行くね、と席を立った加奈子に手を振り、姿が見えなくなったところで一つ、大きなため息を吐いた。
ため息の理由は、なんだかよく分からなかった。
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