colorful

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 霜が下り始める。  吐く息も白くなり、歩いての通勤が辛くなる季節がやって来た。 「寒い‥‥‥」  悴む手をダウンコートのポケットに入れ、夏は夏でしんどいと愚痴を零して歩いた道を、瀬戸厚志はこの日の朝も、黙々と駅を目指して足を動かしていた。  駅が近づくにつれ、人の波が大きくなる。その波に厚志も紛れ足早に階段を上がって行く。  定期をポケットから取り出すと、改札を通り抜けた。変わらない毎日。そう、変わらない毎日になったんだな、と入ってくる電車を目で追いながら、厚志は漠然と思う。  去年の今頃は、まだこの電車に彼女と乗っていた。別れてから一年。やっと、独りで通う毎日が当たり前になったのだ。 (慣れるもんだな)  満員電車に揺られ、見るとも無しに窓の外へと視線を移す。  すると、反対車線の電車に乗っている女の子と目が合った。制服を着ている、どこの学生だろうか。  びくりとしてお互いに戸惑う。  こんな事があるのかと、厚志は目をしばたかせた。気まずくなって瞳を逸らした瞬間、電車が動き出しほっと息をついた。  途端に何だか可笑しくなった。今までこんな事があっただろうか?もう何年もこの電車を利用しているが、始めての体験だった。 (ドアに押し付けられて可哀想だったな‥‥‥)  会社の最寄り駅までは後8駅、吹き出さずにいられるか厚志は不安になる程だった。  面白い体験をしたものだ。  今日の朝はそれまでの重たいグレーとは違い、景色が明るく見えた。それからというもの、厚志は何となく電車に乗る時は反対側のドア付近で立ち止まる事が多くなった。  そんな偶然は一度切りだろうと思っていたし、実際あれから会う事もなかったのだが、習慣付いてしまった。 「お前、それヤバいだろ」  昼休み、同僚の相澤真についこの間の事を零してしまってから、厚志は内心後悔した。 「だよね、俺もそう思う。女子高生と目が合ってちょっと楽しくなるって悲し過ぎ」  こうやってストーカーが出来上がるんだな、などと笑われ溜め息が出た。 「そんなんじゃないよ。ただちょっと癒やされたっていうか‥‥‥」  言えば言うほどドツボに嵌る感じがして、厚志が肩をガックリと落とす。視線を落とせば味気ないコンビニ弁当が目に入った。 「何だよ‥‥‥まだ引きずってんのか?去年までは彼女の手作りだったもんな」  相澤に指摘され、厚志はそのまま手の中の弁当を、何とはなしに眺める。「いや、引きずってはないなぁ」  不思議なもので忘れていたのだ。いつの間にか、少しずつ彼女との思い出に浸る事が少なくなったように、手作り弁当の思い出にも、遠に蓋がされていたようだ。 その時の厚志の顔がことのほかさっぱりとしていたのだろう。相澤がククッと愉しげに笑った。 「よし!!今度合コンでも高橋あたりに用意させるか」 「ああ、そうだな」  そろそろ歩き出そう、自然とそう思えて前を向けば、いつもぼんやりと見ていた風景がはっきりと視界に広がり出す。まるで、いま夢から覚めたかのようにスッキリとしていて、厚志はずっと度の合わないメガネをしていたみたいだと思った。 「どした?」相澤がじっとして動かなくなった厚志に疑問符を投げかけた。厚志はハッとして笑い出す。 「何でもない。高橋にメールしようぜ」  そう笑顔で答えると、厚志は残りの弁当をかき込んだ。  その日は残業も無く、と言うよりは気分が良かったので、ほったらかして帰ってきたのだが、定時で上がる時間はこんなに電車が混んでいる事を久々に実感した。 (しまったな‥‥)  ホームまで人で溢れかえり、せっかくの良い気分が台無しだ。滑り込んできた電車に、人の波を押して乗り込む。  もみくちゃにされながら、やっとの思いで釣り革に掴まると厚志は8駅の辛抱だと、息をついた。  毎日見る同じ光景。似たような顔ぶれ。組み込まれた自分。そんな当たり前の日常生活に、こんなに色があった事を久々に思い出した。  彼女と別れてから全てが灰色だった筈なのに‥‥‥ (人間って凄いな)  もっと劇的な出来事でもあって、こうした実感に繋がるとばかり思っていた。  例えば次の恋に出会うとか。でも実際はこんなものだ。それはそれで少し寂しい気もしたが、今は気分が良い。 (ま、いいか)  8駅分我慢をして最寄りの駅に着くと、否応無しに人の波に押し出された。ホームへ降り立ち、電車が去るとふと反対側のホームへ目が行った。  皆が一様に家路へと急ぐ忙しないホームの上で、そのベンチだけが時間から取り残されているように見えた。  ベンチに独り静かに座る女の子。 (あの子‥‥‥) 厚志の足は意識とは裏腹に、反対側へと続く階段へ向かっていた。
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