シンプル

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彼の言葉を聞くと同時に、遥か昔の記憶が蘇った。 『鈴鳴、また和巳君にゲーム借りたの? お父さんに知られたら怒られるわよ』 幼い頃、短期間だけど和巳さんと一緒に暮らしてたことがある。互いに両親は共働きで、帰ってくる時間が遅い。俺もまだ幼かったから、それならいっそ家が近い和巳さんが俺の家で過ごす方が安心だろう……というのが父の意向だった。 でも和巳さんが家にいる間は特に、父は厳しかった。何に関しても和巳さんが一番。和巳さんとゲームをして遊ぼうとしたらすごく怒られたことを覚えてる。まぁあれは単純に彼の宿題の邪魔をしてしまったからだと思うけど。 和巳さんの為にならない事をすると父は怒る。それが怖かった。だからあまり和巳さんに近付けなかったんだけど、彼はまた優しすぎた。 俺が父に怒られて泣いてると寄り添って慰めてくれる。 それを見た父に何泣いてるんだ、とまた怒られる、その繰り返し。 和巳さんは優しい。けど近付くことが、話しかけることが怖かった。彼に縋れば今度は父に嫌われてしまう。 でもある時気が付いた。和巳さんの“為になる”ことをすればいい。一緒にいても、彼の役に立っていれば父から怒られない。むしろ褒められる。 唯一の逃避、泣くことも、成長すればさすがに減る。少し背が伸びれば心まで強くなった気がして、彼の役に立てるよう心掛けた。ご飯を作ったり、部屋を掃除したり……それで和巳さんが喜ぶ。父が喜ぶ、と思えば……そんなに苦ではなかった。 むしろ嬉しかった。許された気がしたんだ。あの「家」にいることを。 でも和巳さんが留学して、俺は解放されたと共に、さらに空っぽな存在として見られた。和巳さんがいなくなったことが寂しい。悲しいから、当時は勉強も家事もあまり集中できなくなった。 そんな俺を見て、父は呆れたように言った。 『……お前は彼がいないと本当に何もできないんだな』 違う。……否定したかった。和巳さんがいないと何もできないわけじゃない。 今だけだ。今が悲しいだけなんだ。どうしてそれが伝わらないのか。 親なのに、家族なのに。ここまで俺が和巳さんに尽くすようになったのは、貴方に褒められたかったからなのに。 それを口に出せない俺も、本当に臆病だった。 和巳さんがいてもいなくても、分かり合えるとは思えない。だから俺は、高校卒業とともにあの家を出た。
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