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 小学一年生の頃、オレは三日間行方不明になったらしい。  自分のことなのに「らしい」というのは、その三日間がオレの記憶に残っていないからだ。ばあちゃんが言うにはいわゆる神隠しにあったんだとか。馬鹿馬鹿しいとは思うが、これが完全に否定できないのが怖いところだ。というのも、その行方不明事件以降、オレの視界におかしなものが映るようになった。言っておくが幻覚じゃない。一般的には妖怪と言われてるそれらが、日常的に見えるようになってしまったんだ。  もちろん最初は怖かった。形を留めてないどろどろした何かとか、河でこっちをずっと見てる何かとか。けどその生活に慣れてみれば、妖怪はあっという間に日常の一部となった。彼等は人に対してささやかな悪戯をする程度で楽しそうにしているし、無視をしていればこちらにちょっかいを出してくることもない。危なそうな場所、いわゆる心霊スポットなどに近づかなければ生活圏内でヤバそうな妖怪を見ることもなかった。大人達からしてみれば、当時のオレは何もない所を指さして何かの存在を主張する不気味な子供に映ったことだろう。ごめんね父さん母さん。  そんな、ちょっと変なものが見えること以外は普通に育ったつもりだ。いや嘘だ。185㎝という身長だけは自分の力ではどうしようもなかった。どうしてそんなに伸びたんだ。ステータス値偏りすぎだろ。もうちょっと顔面偏差値に割り振っとけよ。高身長というと羨ましがられるが、ここまで伸びると実際そうでもない。なにしろ目立つ。色んな所に頭をぶつける。日本人規格では生活が不便すぎるのだ。もういっそのこと将来は海外で暮らしたい。海外に行ったら海外の妖怪…いや妖精?魔物?とかを見られるんだろうか。  ともかく、今年の大学進学に際して上京し一人暮らしを始めたオレこと藤沢龍弼(ふじさわりゅうすけ)は同じ大学に進学していた高校時代の先輩に誘われ、なんの集まりかわからない飲み会に来ていた。もちろん未成年なのでアルコールは断っているが、この調子だといつノンアルと嘘を付かれるかわからない。大学こえーな。 「藤沢、お前彼女いんの?」  まず誰なんだこの人。隣に座って馴れ馴れしく肩を組んで、ありがちな質問を投げかけてくる。いねーよ。生まれてこのかたその様な存在はオレにいたことはございません。身も心も清い藤沢です。 「いるように見えますか?」 「いや、まったく」  ふざけんな失礼だな。真顔で首を横に振るなよ。ていうかこの人ほんとに誰なんだ?年上?先輩で合ってるよな?オレをこの飲み会に呼んだ先輩はどこへ行ってしまったんだ。 「じゃあ私とかどう?私も今フリーなんだよね~」  馴れ馴れしい先輩の反対側から猫なで声で近寄ってきたのは、これまた馴れ馴れしい先輩だった。ていうか、えっ、近くね? 「藤沢君て背が高いし、私タイプだな~」  パステルカラーのワンピースから伸びる白い腕をオレの腕にくっつけてくる。なにこれ?噂のボディータッチってやつ?大学、こえーな。 「いやお前この間(さなき)先輩が本命とか言ってただろ」 「ちょっと余計なこと言わないでよ!…鐸先輩は別なの、あの人は皆の触れるアイドルだから」 「意味わかんねーよ」  どうでもいいけどオレを挟んで不毛な会話をしないでくれませんかね。 「ん?あぁ、お前は鐸先輩知らねーよな」  これは呆れている視線です、先輩。 「すっごいイケメンなの」 「男から見てもイケメン。そんで男女関係なく食うって話」 「仮に寝ちゃってもガチな恋しちゃダメだからね、藤沢君。あの人、少しでも自分に恋愛感情が向けられると豹変するって有名だから」 「それに関してはヤバめの噂もあるくらいで……。ま、普通に先輩としては良い先輩なんだけどな~、面倒見も良いし」  両隣の名も知らぬ先輩方よりも先にイケメン先輩の名前と性的傾向を知ってしまった。  せめてもの自分への慰めにと、ぬるくなってきたジンジャエールの入ったグラスを傾ける。少し背を反らしたせいで居酒屋の入り口が音を立てて開くのが横目に見えた。  次の瞬間、  ぬ る り、  ”なにか”がこの空間に入ってきたのがわかった。  オレは慌てて姿勢を戻し、”それ”から目をそらした。  なんだ、あれは。  いや、駄目だ。オレが気が付いたということに気付かれてはいけない。いつもみたいに、無視、いない、何もそこにいないんだ。 「あれ?そういえば今日来るって言ってなかった?」 「あ~、多分…あっ来た来た、ほらあの人だよ」  平常心を保とうとして日常会話に集中したオレは、そして失敗した。  馴れ馴れしい先輩が指さした先で、オレははっきりと”観て”しまったのだ。  息を呑む。  蜘蛛、百足、角、目玉、口、手足、毛髪、羽根、蹄、水、炎、男、女___あらゆる存在がいくつも重なり合って倍増され凝縮され混ざり合い、それでも人間の輪郭を取っている。  到底人間が許容できる範囲のおぞましさではない。  逃げよう。目をそらせ。関わってはいけない。でも身体が動かない。 「鐸せんぱぁ~い!」  アイドルとか言ってた先輩が大声で叫んだせいでアレがこっちを向いた。  目が合った瞬間、胃の底から迫り上がる恐怖が血脈に乗って体中を駆け巡り血管を膨張させ三半規管と思考能力さえ狂わせた。  どうしてこんなところにあんな妖怪が、そもそもあれは妖怪か、どうして皆平気なんだ、なぜそれに笑顔で駆け寄れる、まさかあれがただの人間に見えてるっていうのか、馴れ馴れしい先輩の嘘つき、あれがイケメンなものか、あれはオレが観たどの妖怪よりも、 ―――醜悪だ。
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