本棚のない書店

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本棚のない書店

 シオリは、見つめられているうちにアンドロイド店員のカメラ代わりの眼で自分の画像を撮られたことが、隠し撮りみたいでちょっと不快だった。予告してくれれば、髪の毛の乱れとか直して、ちゃんとした良い表情で画像を残せたのにと不満に思いつつ、携帯の電話番号を入力。最後に、シャープボタンを長押しした。 「はい、いいです。これで、生体認証が出来るようになりました。これからは、携帯電話番号を入力している最中に自動で指からご本人様であることを読み取ります。では、お名前を」  指先から何を読み取ったのだろうか。指の腹を押していないので指紋のはずはなく、押すタイミングや指の圧力なのかもしれない。そんなことを考えて、シオリは(ため)()いがちに自分のフルネームを伝えた。 「声紋を登録しました。これで、会員登録は完了です。どうぞ、中へお入りください」  後ろに誰がいるかわからないのに、ここで個人情報を登録させないで欲しいと思いながら、シオリは背後を振り返る。幸い、誰もいなかった。  ミキの背中にくっつくくらいの(とも)(づれ)で店内に入ったシオリは、天井から流れてきたBGMに耳を奪われた。これは、ヴィヴァルディ作曲『和声と創意の試み』から『春』の第1楽章の冒頭部分。彼女のお気に入りベスト5の1曲だ。  足を止めた彼女は、天井を見ながら思わず聞き惚れてしまう。  弦楽器やチェンバロが奏でるホ長調の明るい音が全身を包み込み、来客を歓迎する。続いて、ヴァイオリンソロが高音で鳥のさえずりを、2台のヴァイオリンが鳥の掛け合いを表現する。  大好きな曲に迎えられて胸が躍る彼女は、天井から周囲に目を向けると、たちまち目を丸くした。  扉の大きさから、数坪しかない狭い店内を想像し、天井まである本棚にぎっしり本が収められていると思いきや、本棚は何もなく、4面の壁に風景画が4枚掲げられているだけ。天井がやけに高く、大人が大人を肩車をしても全然届かないほどである。  カタカナのコの字に立てられた衝立に、丸テーブルと二脚の椅子が囲まれていて、それが奥に向かって1列に4つ並んでいる。これが、2列ある。合計8テーブル、十六人が座れる計算だ。向かい合う二人以外、周りの客の顔が見えない配慮となっている。  すでに先客が何人かいた。頭を上げてチラッとシオリたちを見て、すぐに下を向く者もいる。  この店は本屋のはずなのに、本棚がない。一冊の本すら置いていないのだ。  どう見ても、ここは喫茶店である。
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