紙とペンと「紙」と「ペン」の百年史(副題:宇宙戦艦ムサシ)

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紙とペンと「紙」と「ペン」の百年史(副題:宇宙戦艦ムサシ)

 春風が穏やかに吹く小高い丘の上、大和(ヤマト)タケルは長椅子に座る少女の姿を見つけた。アーレンス(ハルカ)は色の白い頬の横に、美しい長い髪を垂らしながら、風に目を細めている。  タケルは丘の上に続く坂道を一歩ずつ進み、彼女の隣へと腰をおろした。一年間、離れ離れだった恋人の来訪に気づいた遥は、振り返り破顔する。  ――ずっと会いたかった。  やおら、タケルがポケットから何かを取り出して、手のひらの上に広げた。  それは、一枚の紙と、一本のペンだった。  遥は、珍しいものを見るように驚いて、まじまじとタケルの表情を覗き込む。タケルは、紙を広げ、その上にゆっくりとペンを走らせた。  書き終えたタケルは、遥へとその手紙を手渡した。  遥は自らの両手のひらの上に広げられた一枚の紙に、目を落とす。  ただ、一文、書かれていた言葉が、遥の心に突き刺さる。  それは恋文(ラブレター)だった。  人類にとって数十年ぶりの恋文(ラブレター)。  これは、二人の愛の物語。  しかし、それはまた、人類再興を賭けた物語でもある。  ―――― ―――― ―――― ――――   今から百年程前――西暦二〇一〇年代。  紙とペンは急速に使われなくなっていった。  スマートフォンやタブレット端末が急速に普及し、人々は電子端末で文字を書き、読むようになった。紙の書籍の売上げは低下し、電子書籍の売上が緩やかに上昇。  二〇二〇年代に突入すると情報端末の持つ利便性の前に、紙とペンを用いた手書きの文化は優位性を維持できず急速に衰退した。  そして人類は、千年以上の歴史を通して育んできた紙とペンの文明を緩やかに失い始めたのだ。  そして、人々が、少しずつ紙とペンに別れを告げていった二〇二〇年代が終わり、二〇三〇年代に入ると、人類史上最大の革命が起きた。  「紙」の発明である。  二〇三〇年四月、北米最大の情報通信産業の見本市(コンベンション)において、研究者スティーブン・マックガードがステージで観客に見せた「紙」に全世界は驚き、熱狂した。  ――今日、私が皆さんに紹介する「紙」は、人類が千年以上の歴史の中で発明してきた紙の究極型なのです。いわば「紙」は紙よりも紙らしく、そして、紙を超える紙なのです。「紙」は紙が持っている良い部分を全て持ちながら、現在の情報端末の全てを超える機能と性能を有するのです。  「紙」はタブレット端末やスマートフォンの弱点を払拭する画期的なデバイスだった。「紙」は給電不要で、記憶容量は実質無限であり、入力インタフェースを問わず、実質的に何でも書けた。インターネットには常時接続され、タブレット端末で出来ることは全て出来た。しかも、触り心地は昔の紙と変わらず、曲げることも出来たし、手にも馴染んだ。  マックガードが創業者となった「紙」製造企業パピルスは破竹の勢いで成長し、二〇一〇年代から君臨してきた情報産業の巨人達をごぼう抜きにしていった。  巨額の資金を背景に、パピルスはどんどん「紙」を進化させていった。何でも書ける「紙」はこれまでに無かった予測入力機能を備えており、ユーザはほぼ「紙」に触れただけで、自分の期待するものを書くことが出来た。  さらに、三十年代後半に行われた大型アップデートで、あらゆる「紙」には汎用人工知能が搭載された。「紙」は自ら考え、ユーザの意図を先読みし、自らが文字列や図柄を生成していくのだった。  日本の行政府である霞が関においても、「紙」の利用が進み、「紙」に搭載された汎用人工知能を用いずには、官僚も法案や行政書類を書けなくなっていった。  北米発の「紙」が世界を席巻する中、世界を牛耳る二大国家の一角――中国政府は危機感を露わにし、万里の長城(グレートウォール)を張り巡らし、国内での「紙」の利用を徹底的に禁止した。これにより、中国との政治的、経済的結合の強い、ASEAN諸国を始めとする東側諸国に「紙」の普及は進まなかった。  しかし、上海に住むユ・シュエンが立ち上げた新興企業(スタートアップ)チェンピィは、代わりに全く新しいデバイス「ペン」を生み出して中国市場に供給した。  「ペン」は「紙」と打って変わって何にでも書けた。また「ペン」は、書かれた内容を全てインターネット越しのサーバに送信し、記録として残した。また、位置情報や「ペン」に触れる手の指紋情報などから得た個人情報などを記録し、全ユーザの行動履歴はチェンピィが管理するチベットのデータサーバに保存された。  「ペン」は高性能な脳機械(ブレインマシン)インタフェース(BMI)であり、fMRIの一億倍の性能を持つと言われた。「ペン」を持てば人々は手を動かさずとも、念じるだけで、文字列や絵を書くことが出来た。  また、ペン先は一つとは限られず、複数のペン先に拡張可能であった。百本のペン先をBMIを通して操り、一時間で三万字を書く小説家も生まれ、彼らは新人類(ニュータイプ)と呼ばれた。  そして、もちろん「ペン」にも汎用人工知能が実装された。  二〇四〇年代に入っても「紙」と「ペン」の進化は止まらなかった。  「紙」は特にそのハードウェア面で進化し、自らを折り紙のように変化させて様々な形態に変形、かつ機能を獲得することが出来るようになった。飛行機の姿になった「紙」は空も飛べた。  「ペン」が書けるのは文字や絵だけではなくなった。3Dプリンタのように実際の三次元物体を様々な素材を用いて描くことができるようになった。「ペン」は万物を生み出し始めた。  「ペンは剣より強し」という諺があるが、既に「ペン」は何よりも強かった。  二〇四五年。ついに、「紙」と「ペン」は技術的特異点(シンギュラリティ)に到達した。  「紙」と「ペン」の知能は人間を超えたのだ。  人々は気付いていた。もう、自分たちよりも「紙」と「ペン」の方が優秀であることに。そして、人類は主体性を喪失した。  俗に言う二〇五〇年の第一次主体性の危機(ファースト・インパクト)である。  西側諸国は「紙」を、東側諸国は「ペン」を信奉し、さらなる技術進化は進み、世界秩序は変容した。  しかし、二つのデバイスの互換性の低さは人々の間に衝突を起こし続けた。  デバイスへの信仰が心の隔たりを生み、宗教の違いは衝突を呼んだ。  二〇六〇年代に入って、「紙」陣営と「ペン」陣営の対立は回避し難いものとなった。  遂に、第三次世界大戦が勃発し、街という街が破壊された。  山も森も海も燃えて、世界人口は十パーセントまで減り、様々な技術も失われた。  この戦争で、人類は、遂に、紙とペンを作る技術を完全に失ってしまったのだ! それが、人類にとって致命的であると気付かぬままに。  人々は二〇八〇年代に入っても「紙」陣営と「ペン」陣営に分かれて抗争を続けた。  人々は愛を失い、時に自分達が何のために戦っているのか分からなくなった。しかし、戦争で失った肉親を思い出し、減りゆく食料に危機意識を持ち、「復讐のために」「生きるために」と戦い続けた。  人々は「愛の言葉」を忘れていたのだ。  だから、きっと本当の愛を忘れていたのだ。  人類は書くことを汎用人工知能に任せっきりにしてしまっていたから。  人々は、自らの想いを、そのペンで書き綴り、誰かに伝えることを忘れてしまっていた。  人類は、その愛を、自らの言葉で綴れなくなっていたのだ!  なんということだろう!  人類は知らぬ間に退化してしまっていたというのか!  しかし、それに気付いた心ある大人達がいた。  二〇九〇年代、彼らは秘密裏に地球恋文同盟(アース・ラブレター・ユニオン)を結成。  地上を支配する汎用人工知能「紙」と「ペン」の圧政から逃れるべく、レジスタンス活動を展開し始めた。  しかし、その圧政から脱するための重要な道具――紙とペンは、既に地球上から失われていたのだ。  想像に難くないように、地球恋文同盟(アース・ラブレター・ユニオン)の戦いは厳しいものとなった。  その時、宇宙の彼方にある惑星アレクサンドロスから地球へとメッセージが届いたのだ。なんと、失われた技術(ロストテクノロジー)――紙とペンを技術供与可能だと言うではないか!  地球恋文同盟(アース・ラブレター・ユニオン)は秘密裏に汎用人工知能をアンインストールした「紙」と「ペン」と波動エンジンを用いて宇宙戦艦ムサシを建造、アレクサンドロスへと必要な人員を送ることにした。技術供与を得るために。  その、ムサシの乗組員に選ばれた一人が大和(ヤマト)タケル少年だったのだ。  タケルは「必ずここへ帰ってくる」と、手を振る少女アーレンス(ハルカ)(幼馴染)に笑顔で別れを告げる。  そして、二〇九九年、百十四名の乗組員を乗せて船は十四万八千光年彼方のアレクサンドロスへと旅立った。人類再興の切り札――紙とペンを求めて。  一年間の旅の間、もちろん様々な出来事があった。  惑星アレクサンドロスと惑星カーミラの抗争に巻き込まれて、「紙」と「ペン」と波動エンジンで武装した宇宙戦艦ムサシの力で、惑星カーミラを星ごと破壊してしまったりもしたし、この航海で四七名の戦没者を出したりもした。  ただし、その辺りについては、紙幅の都合上、今回は詳細を割愛する。  そして、宇宙戦艦ムサシは、幾多の苦難を乗り越えて、惑星アレクサンドロスへと辿り着き、地球へと帰還したのだ。  ――紙とペンを持って。  ―――― ―――― ―――― ――――   小高い丘の長椅子の上、少女の膝の上で手紙が春風に揺れる。  それは、十四万八千光年彼方アレクサンドロスから持ち帰られた紙に、同じく人類が手に入れ直したペンで書かれた恋文(ラブレター)だった。 『君を愛している』  一年間で少女から女になった遥は、恋文(ラブレター)を読み両手で口許を覆う。  止められない想いが胸の奥から込み上げて、彼女の眦から涙として溢れ出した。  好きな人の手が握るペンで紙に書かれた手書きの恋文(ラブレター)。  それが、こんなに胸を打つものだったなんて!  流れるその涙は、人類が失っていたものを取り戻したことの証左だった。  恋文から上げた少女の視線は、少年の視線とぶつかって、絡まりあう。  二人は引き寄せられるように顔を近づけ、そして、ゆっくりと唇を重ねあった。  唇を離すと、二人は空を見上げる。  春の陽の光が、二人の未来を祝福するように輝いていた。  人類は、もうきっと忘れないだろう。  紙とペンの大切さを!  そして、――それが届ける愛の力を!
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