第三章~黄道十二聖龍~

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 彼らに危機を知らしめた最初のモノは、バリンと、ガラスのような何かが割れる音だった。 「ん――なんだ?」  最後尾を歩いていた雷羅が、ふと音がした空を見上げ――。  言葉を失う。    彼の魔力にただならぬ恐怖が溶け込むのを感じ、入里夜たち残りの四人も思わず振り返った。 「――え?」「……なに、あれ?」  絞り出された入里夜と梓の声は、かすれていた。    彼らの視線の先。魔界の空に、ぽっかりと黒い穴が開いている。  そこから、すべてを圧倒するような龍の魔力が吹き込んでいた。 「――うう、なんだ、なんなんだこの、龍の魔力は!」 「――ッ! 雷羅、しっかりしろ! オウカさま、すぐに戦闘準備を」 「あ、ああ、分かってる!」  戦慄が走り、ケルトは白銀の鎧を装備。すぐ隣で戦慄する友の肩を揺すって彼を正気に戻し、その間にオウカも魔力を解放する。  ケルトの声掛けで雷羅も何とか自分を取り戻し、だが恐怖を押し殺したような険しすぎる形相で、(いかずち)(まと)う魔龍神剣を構えた。 「何なんだ、この……押しつぶされるような圧力は!」 「分からぬ、分からぬが、何かとんでもないものが来る!」  雷羅とケルト。彼らともあろう勇者ふたりが、戦闘態勢を取りながら全身の震えを全力で抑制している。  ――そこにいた五人全員の身体が、否応(いやおう)なく、これから来るであろう何かとの戦闘を必死に拒絶していた。  その本能的なものを抑え込み、その場に立ち続けられるのは、彼女たちであったからこそだろう。  だが、魔界の空に空いた穴から、ひとりの男が姿を現した瞬間、全員が生存本能に従った。 「――逃げろ‼」  ケルトが放った、渾身の絶叫。  それが決定的なものとなり、全員が脅威とは逆方向に走り出す。  すぐにだれ言うことなく皆が翼を展開し、魔力によるブーストをかけ、最高速度で飛び去ろうとした――。 「……ほう、一応は弁えているか。――自分たちが狩られ、搾取される側だと」  魔界の時空壁を貫き、侵入してきた、金髪・金眼の男。  その口から、威圧そのものと言える言葉が流れ出たかと思うと、男は左上腕から手の爪までを、金に輝く装甲で武装する。  何よりも驚くべきは、男の左手が金の光に包まれると、手首から先が変容を遂げたことだ。  人の手と変わらなかった男の手は、手の甲までを金のガードが覆い、五本あったはずの指は、四十センチはあろう三本の爪と化している。  そして、男の視線が飛び去ろうとする五人に向けられ、武装した左手の爪が男の頭上へと振りあげられた。 「さあ、堕ちろ」  威厳すらある低い声とともに、男は頭上の左手を、入里夜たちが飛ぶ方角に振り下ろした。  直後、空に巨大な三本のかぎ爪で生み出されたような空気の刃が現れて、それは勢いをつけて大地へと向かい――。  直後、広い草原に三本の巨大な爪あとが掘られる。  一秒前まで空を飛んでいたはずの入里夜たち五人は、激しい土煙を巻き上げ、草原に叩きつけられていた。 「うぐう……」「――かはっ! ね、姉……さん」 「な、なんだ! 何が……起きたっ!」  巫女たちが悶絶する横で、オウカも全身に走った激痛に表情を歪ませる。 「――マズい……。これは!」 「ああ、ミスったな。これは、ファンタリーテちゃんとは別次元の相手だ。勝負云々の問題じゃない。俺の本能が言ってる。生物としての、格が違うと」  険しい表情で何とか立ち上がるケルトと雷羅は、致命的すぎる判断ミスを、心底悔やんでいた。  ……そもそも、迎撃しようとした時点で、彼らは詰んでいたのだ。その暇があるなら、ケルトの力でもって月界へテレポートすべきだった。  それ以外に、彼らが生きる道などない――。 「雷羅、呼べるだけ神龍を召喚しろ。俺も、魔力を全開放して天使たちを召喚する」 「ああ、もうやってる! だが、ヴァンドールとフェルメール以外の龍が応えてくれない」 「……それほどの相手、ということか! オウカさま、入里夜さまと梓さまをよろしくお願いいたします」 「はい!」  ケルトに応じたオウカが、巫女ふたりを守るため彼女たちに近づこうとしたとき、少年の腹と口から、鮮血が溢れた。 「――‼ な、なにぃ……うぐう」 「「「――ッ⁉」」」 「――いやああああっ! オウカああああ!」  ケルト、雷羅、梓が衝撃で言動を封じられ、入里夜だけが涙とともに絶叫する。 「勝手に動くな。下郎」  それを聞くだけで全身が強張る。  そんな驚異的な声で言葉を放つ男。  彼が、いつのまにかウグイス色の髪をもつ少年の真正面に瞬間移動し、その左手が、オウカの腹から背を貫通していた。 「――ぐうう! て、てめえ……ガアアアアッ⁉」  苦痛に顔を歪ませ、敵を睨んだオウカの口から、次の瞬間、噴水のように血しぶきが吹き上がる。    金髪の男は、オウカの身体に突っ込んだ左手の爪を開き、乱雑に引き抜いたのだ。  さらに彼は、血を振りまきながら足もとに倒れた精霊族の少年の腹部を、とがった長靴の底で踏みにじる。 「ぐわあああああああああああッ! うああっ!」 「いやああああああああああっ! やめてええええええ――えっ?」  腹の傷を踏みにじられ、叫び声をあげるオウカ。泣きながら彼に駆け寄ろうとした入里夜は、途中で絶叫をやめた。  ……自分の腹部に、激痛を感じたからだ。  彼女が視線を真下に向けると、三十センチはあろう金のかぎ爪が、自分の腹にぐさりと突き刺さっていた。 「ごふっ! な、なん――で」  目でそれを確認した瞬間、さらに激しい痛みが全身を襲い、血を噴いて倒れる入里夜。  それを目の前で見たケルト、雷羅、梓の表情が、恐怖からそれを上回る怒りへと変わった。 「「き、きさまあああああああ‼」」  まず、ケルトと雷羅が、天使と神龍の召喚を中断して金髪の男に斬りかかる。  ふたりは激怒しても、最低限の冷静さをかろうじて保っていた。  視線を交わし合い、敵の正面背後から息を合わせて同時に斬りこむ。 「はああっ!」「くらえ!」  が、その感嘆すべきみごとな連携攻撃は、敵に届くことすらなかった。  ケルトと雷羅の魔剣が、金髪の男の胸を前後から斬りつけんとした刹那。  男の右腕が左腕同様に武装され、同時に、先ほど入里夜の腹に飛ばしたと思しき左手の爪が生える。  いや、生えるというよりは、再装填と言うべきか。男は、長大な三本のかぎ爪を、その手から高速で射出できたのだ。  武装を整えた彼のもとに、魔剣を構えた龍使いと天使がいよいよ迫る。 「そのような(なまく)らで、この身を傷つけられると思うか」  男は、冷笑とともに両腕を胸のまえでクロスに構え、根本から先まで十センチほどだった両手の爪を、約三倍ほどの長さに伸ばした。  そして、正面から斬りかかるケルトの斬撃を右手の爪で払いのけ――。右足を後ろに勢いよく振り上げて、背後に迫った雷羅を蹴り飛ばす。  直後、魔剣を払われて態勢を崩され、大きく体を開いたケルトの横腹を引き裂くように、左腕を斜め上に一閃させた。 「ぐわっ!」「おわっ!」  男の前後で、天使と龍使いから苦痛の声が上がり、大地に転がる。 「ぐうう……。メタトロンの力を解放したこの俺の身体的防御力を、こうも容易く上回るだと?」 「痛っ! おい、大丈夫か、ケルト!」  腹の傷を回復しながら、敵の攻撃力に戦慄するケルトのもとに、親友である龍使いが、重すぎる蹴りを食らった腹を抑えながら駈け寄る。 「――ッ!」  友の傷を見て、雷羅は表情を強張らせた。  メタトロンとしての力を持ついまのケルトは、大体の攻撃ではそう簡単に傷つかない。  それこそ、暦の舞ぐらいであれば、無傷で受けられるだろう。  しかし今、その天使の右わき腹から左胸のすぐ下あたりにかけて、痛々しい三本の爪痕が刻まれ、鮮血が細い血の川となって流れ出ていた。  が、ケルトは回復力もまた優秀で、友の肩を借りて立ち上がる間に少なくとも見える傷を治す。  その間にいちおう入里夜とオウカもそれぞれ傷を回復し、月界陣はなんとか集結した。 「貴様、いったい何者だ。なぜ我らを急襲した?」  ケルトが未知の敵に訊くと、金髪の男は少しの沈黙を置いてから、右手のかぎ爪を入里夜と梓に向ける。  反射的にケルト、雷羅、オウカが迎撃態勢を取ったが、攻撃は飛んでこなかった。 「……我が名はレオドール。  天に輝く星の力を宿し、最強の龍として目覚めし十二の使途。その名も『黄道十二聖龍(ドラゴ・ホロスコープス)』その一角に君臨する者だ。そこの巫女どもを、頂きにきた」
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