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彼らに危機を知らしめた最初のモノは、バリンと、ガラスのような何かが割れる音だった。
「ん――なんだ?」
最後尾を歩いていた雷羅が、ふと音がした空を見上げ――。
言葉を失う。
彼の魔力にただならぬ恐怖が溶け込むのを感じ、入里夜たち残りの四人も思わず振り返った。
「――え?」「……なに、あれ?」
絞り出された入里夜と梓の声は、かすれていた。
彼らの視線の先。魔界の空に、ぽっかりと黒い穴が開いている。
そこから、すべてを圧倒するような龍の魔力が吹き込んでいた。
「――うう、なんだ、なんなんだこの、龍の魔力は!」
「――ッ! 雷羅、しっかりしろ! オウカさま、すぐに戦闘準備を」
「あ、ああ、分かってる!」
戦慄が走り、ケルトは白銀の鎧を装備。すぐ隣で戦慄する友の肩を揺すって彼を正気に戻し、その間にオウカも魔力を解放する。
ケルトの声掛けで雷羅も何とか自分を取り戻し、だが恐怖を押し殺したような険しすぎる形相で、雷を纏う魔龍神剣を構えた。
「何なんだ、この……押しつぶされるような圧力は!」
「分からぬ、分からぬが、何かとんでもないものが来る!」
雷羅とケルト。彼らともあろう勇者ふたりが、戦闘態勢を取りながら全身の震えを全力で抑制している。
――そこにいた五人全員の身体が、否応なく、これから来るであろう何かとの戦闘を必死に拒絶していた。
その本能的なものを抑え込み、その場に立ち続けられるのは、彼女たちであったからこそだろう。
だが、魔界の空に空いた穴から、ひとりの男が姿を現した瞬間、全員が生存本能に従った。
「――逃げろ‼」
ケルトが放った、渾身の絶叫。
それが決定的なものとなり、全員が脅威とは逆方向に走り出す。
すぐにだれ言うことなく皆が翼を展開し、魔力によるブーストをかけ、最高速度で飛び去ろうとした――。
「……ほう、一応は弁えているか。――自分たちが狩られ、搾取される側だと」
魔界の時空壁を貫き、侵入してきた、金髪・金眼の男。
その口から、威圧そのものと言える言葉が流れ出たかと思うと、男は左上腕から手の爪までを、金に輝く装甲で武装する。
何よりも驚くべきは、男の左手が金の光に包まれると、手首から先が変容を遂げたことだ。
人の手と変わらなかった男の手は、手の甲までを金のガードが覆い、五本あったはずの指は、四十センチはあろう三本の爪と化している。
そして、男の視線が飛び去ろうとする五人に向けられ、武装した左手の爪が男の頭上へと振りあげられた。
「さあ、堕ちろ」
威厳すらある低い声とともに、男は頭上の左手を、入里夜たちが飛ぶ方角に振り下ろした。
直後、空に巨大な三本のかぎ爪で生み出されたような空気の刃が現れて、それは勢いをつけて大地へと向かい――。
直後、広い草原に三本の巨大な爪あとが掘られる。
一秒前まで空を飛んでいたはずの入里夜たち五人は、激しい土煙を巻き上げ、草原に叩きつけられていた。
「うぐう……」「――かはっ! ね、姉……さん」
「な、なんだ! 何が……起きたっ!」
巫女たちが悶絶する横で、オウカも全身に走った激痛に表情を歪ませる。
「――マズい……。これは!」
「ああ、ミスったな。これは、ファンタリーテちゃんとは別次元の相手だ。勝負云々の問題じゃない。俺の本能が言ってる。生物としての、格が違うと」
険しい表情で何とか立ち上がるケルトと雷羅は、致命的すぎる判断ミスを、心底悔やんでいた。
……そもそも、迎撃しようとした時点で、彼らは詰んでいたのだ。その暇があるなら、ケルトの力でもって月界へテレポートすべきだった。
それ以外に、彼らが生きる道などない――。
「雷羅、呼べるだけ神龍を召喚しろ。俺も、魔力を全開放して天使たちを召喚する」
「ああ、もうやってる! だが、ヴァンドールとフェルメール以外の龍が応えてくれない」
「……それほどの相手、ということか! オウカさま、入里夜さまと梓さまをよろしくお願いいたします」
「はい!」
ケルトに応じたオウカが、巫女ふたりを守るため彼女たちに近づこうとしたとき、少年の腹と口から、鮮血が溢れた。
「――‼ な、なにぃ……うぐう」
「「「――ッ⁉」」」
「――いやああああっ! オウカああああ!」
ケルト、雷羅、梓が衝撃で言動を封じられ、入里夜だけが涙とともに絶叫する。
「勝手に動くな。下郎」
それを聞くだけで全身が強張る。
そんな驚異的な声で言葉を放つ男。
彼が、いつのまにかウグイス色の髪をもつ少年の真正面に瞬間移動し、その左手が、オウカの腹から背を貫通していた。
「――ぐうう! て、てめえ……ガアアアアッ⁉」
苦痛に顔を歪ませ、敵を睨んだオウカの口から、次の瞬間、噴水のように血しぶきが吹き上がる。
金髪の男は、オウカの身体に突っ込んだ左手の爪を開き、乱雑に引き抜いたのだ。
さらに彼は、血を振りまきながら足もとに倒れた精霊族の少年の腹部を、とがった長靴の底で踏みにじる。
「ぐわあああああああああああッ! うああっ!」
「いやああああああああああっ! やめてええええええ――えっ?」
腹の傷を踏みにじられ、叫び声をあげるオウカ。泣きながら彼に駆け寄ろうとした入里夜は、途中で絶叫をやめた。
……自分の腹部に、激痛を感じたからだ。
彼女が視線を真下に向けると、三十センチはあろう金のかぎ爪が、自分の腹にぐさりと突き刺さっていた。
「ごふっ! な、なん――で」
目でそれを確認した瞬間、さらに激しい痛みが全身を襲い、血を噴いて倒れる入里夜。
それを目の前で見たケルト、雷羅、梓の表情が、恐怖からそれを上回る怒りへと変わった。
「「き、きさまあああああああ‼」」
まず、ケルトと雷羅が、天使と神龍の召喚を中断して金髪の男に斬りかかる。
ふたりは激怒しても、最低限の冷静さをかろうじて保っていた。
視線を交わし合い、敵の正面背後から息を合わせて同時に斬りこむ。
「はああっ!」「くらえ!」
が、その感嘆すべきみごとな連携攻撃は、敵に届くことすらなかった。
ケルトと雷羅の魔剣が、金髪の男の胸を前後から斬りつけんとした刹那。
男の右腕が左腕同様に武装され、同時に、先ほど入里夜の腹に飛ばしたと思しき左手の爪が生える。
いや、生えるというよりは、再装填と言うべきか。男は、長大な三本のかぎ爪を、その手から高速で射出できたのだ。
武装を整えた彼のもとに、魔剣を構えた龍使いと天使がいよいよ迫る。
「そのような鈍らで、この身を傷つけられると思うか」
男は、冷笑とともに両腕を胸のまえでクロスに構え、根本から先まで十センチほどだった両手の爪を、約三倍ほどの長さに伸ばした。
そして、正面から斬りかかるケルトの斬撃を右手の爪で払いのけ――。右足を後ろに勢いよく振り上げて、背後に迫った雷羅を蹴り飛ばす。
直後、魔剣を払われて態勢を崩され、大きく体を開いたケルトの横腹を引き裂くように、左腕を斜め上に一閃させた。
「ぐわっ!」「おわっ!」
男の前後で、天使と龍使いから苦痛の声が上がり、大地に転がる。
「ぐうう……。メタトロンの力を解放したこの俺の身体的防御力を、こうも容易く上回るだと?」
「痛っ! おい、大丈夫か、ケルト!」
腹の傷を回復しながら、敵の攻撃力に戦慄するケルトのもとに、親友である龍使いが、重すぎる蹴りを食らった腹を抑えながら駈け寄る。
「――ッ!」
友の傷を見て、雷羅は表情を強張らせた。
メタトロンとしての力を持ついまのケルトは、大体の攻撃ではそう簡単に傷つかない。
それこそ、暦の舞ぐらいであれば、無傷で受けられるだろう。
しかし今、その天使の右わき腹から左胸のすぐ下あたりにかけて、痛々しい三本の爪痕が刻まれ、鮮血が細い血の川となって流れ出ていた。
が、ケルトは回復力もまた優秀で、友の肩を借りて立ち上がる間に少なくとも見える傷を治す。
その間にいちおう入里夜とオウカもそれぞれ傷を回復し、月界陣はなんとか集結した。
「貴様、いったい何者だ。なぜ我らを急襲した?」
ケルトが未知の敵に訊くと、金髪の男は少しの沈黙を置いてから、右手のかぎ爪を入里夜と梓に向ける。
反射的にケルト、雷羅、オウカが迎撃態勢を取ったが、攻撃は飛んでこなかった。
「……我が名はレオドール。
天に輝く星の力を宿し、最強の龍として目覚めし十二の使途。その名も『黄道十二聖龍』その一角に君臨する者だ。そこの巫女どもを、頂きにきた」
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