第四節~入里夜の舞~

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「……煌帥ちゃんが、キレた」 「この私にあらぬ罵詈雑言を浴びせた当然の報いよ」  煌帥は恐ろしい笑顔でそう言い、しかしそのすぐあと彼女は表情を引き締めた。 「それより朔夜、一旦引くわよ。私の封印でも、いつまでもつか分からない」 「う、うん。でも」 「分かってるわ。このまま私たちが撤退すれば、レオドールが魔界を滅ぼしてしまう、でしょ」  朔夜がこくりとうなずく。 「今回の事態、龍我に伝えるため、すでにレンが式神を放っているわ。すぐに魔界へ向かってもらうようにね。レンの式神も龍我も速いから、一刻とかからず来てくれるわよ」 「それじゃあ……」 「ええ、私と私の式神であいつを何とかして一刻ほど抑えるから、朔夜はここにいる全員を連れて一度月界へ撤退して」 「ちょ、ちょっと待って。いくら煌帥ちゃんでもひとりでは」 「大丈夫よ。私は月界で最強の式神使い。鬼神でも四天王でも四聖獣でも、或いは異世界の邪龍でも。私の手札は出していないだけで無限に等しいわ。龍我が来るまでの間、絶対にあいつを抑えてみせる」  朔夜は、親友の自身と覚悟に満ちた表情に応え、力強くうなずいた。ふたりの間を繋ぐ信頼は永い年月をかけて築き上げられたもので、そのぶん絶対的なものである。 「それじゃあ急ぐわよ」 「うん!」  彼女たちは、手分けして四方に散っている八人を集めた。全員を朔夜の力で一斉に月へ飛ばすため。  みながしっかりと気絶しているため多少時間はかかったが、いよいよ魔界組ふくめ全員を朔夜の近くに集結させた。 「よし、それじゃあ朔夜、あとは……」 「ククク、それほど容易く予定通りに行くと思ったか?」 「「――ッ!」」  空に浮かぶ岩石。その中から絶望の声が響き、朔夜と煌帥は表情を険しくする。岩の球体に凄まじい速さで亀裂が生じ、それが全体に波及していく。 「くっ、もう⁉ いくらなんでも早すぎる! 朔夜、急いで!」 「わ、分かってる!」  叫ぶように応じた朔夜の足もとに巨大な金の魔方陣が徐々に浮き上がり、その存在が確立されていく。 「よしっ、間にあった! それじゃあ煌帥ちゃん」 「ええ、一刻後、龍我とともに帰るわ」  式神召喚の護符に魔力を流しながら煌帥がうなずき、朔夜の魔方陣がいよいよ発動する。  入里夜たち全員が魔方陣の上に乗り、月界の始祖は詠唱を――。 「月宮の掟・緊急使用。幻想の魔方陣よ、我らを常世の楽園へ導き給え!『亜空間超速移動(リーズヴェリー)――』きゃああッ!」 「さ、朔夜っ!」  魔法が発動する刹那、空に浮かぶ岩が爆破され、その破片のひとつが朔夜に命中した。  それは直径にして五十センチを超えるもので、枯れ葉を飛ばすが如く彼女を吹き飛ばした。  煌帥が思わず駈け寄ったとき、朔夜は頭から血を流して意識を失っている。   「うそでしょ! 朔夜、朔夜しっかりして」  彼女を介抱しながらふと傍に転がる岩を見た煌帥は、すぐに理解できた。飛んできただけの、ただの岩石が、朔夜の防御すべてをいとも簡単に貫通したその理由を。 「……この岩、貴方の魔力が込められているのね」  鋭い視線で彼女が睨む先に、岩石の封印より解き放たれたレオドールの姿がある。 「そうだ。時間かせぎを考えたまでは良かったが、方法を誤ったな。我が魔力を込めたものはその瞬間、神器や魔龍神剣よりもなお強き武具となる。そうなれば、月宮の結界も巫女の防御力も、あって無いようなものだ」  巨大化させた拳を構え、金の男は嘲笑めいた笑みを湛えた。覆しようもない詰みが確定した獲物を、視線でもってなぶるかのように。 「さて、どうする? こうなっては最後の策ももはや使えぬ。大人しく捕まるというならこの世界も、そこな悪魔どもも生かしておいてやっても良いが?」 「……私たちを捕えて、どうするつもり?」  再び五つの陰陽魚を周囲に浮遊させ、左手には四聖獣の式神の護符を持って、煌帥は、もっとも気がかりだったことを聞いた。  返答いかんによっては、この場は敵に捕らわれて魔界の危機をひとまず払しょくし、龍我の救出を待つ、という最悪の選択も考慮できる……かもしれない。  だが、そんな最後の淡い期待がまったくの無意味であると、彼女はすぐに理解することになる。 「ククク、ハハハハハ! 決まっておろう、生贄だ。我らが誇る最強の眷属、それを生み出すための苗床といったところか。月宮の巫女や貴様は、実に強く、そのうえ無尽蔵とも言える魔力を内包している。それが四匹もいれば、あるいは十万の眷属を生み出すこともできるだろう」 「――っ!」  語られた、死よりもさらにおぞましい結末と、舐めまわすような舌なめずりの音は、月界最強の式神使いに、人生初となる真の恐怖を植え付けた。  煌帥のくびすじを冷たい汗がつたい、全身の細胞が泣き出したかのように震えだす。 「――う、うあああああああああああああっ! 青龍、白虎、朱雀、玄武!」  生まれて初めて感じたその恐怖に耐えきれず、少女は絶叫とともに式神を召喚しようとしたが、 「遅いぞ、小娘」 「―――え? うぐっ⁉」  式神の護符が効力を発揮する前に、魔法使いの視界から一瞬男の姿が消え、ゼロ距離に現れた。  その右腕がさがろうとする彼女の肩を掴んで後退を完全に封じ、左手が力強く握りしめられて無防備な腹を殴りつけた。  煌帥の手から護符がパラパラと舞い落ち、その小さな身体に鋼鉄を纏う拳が幾度となく撃ちつけられる。  胸への一撃ごとに肋骨が砕け、腹への一撃ごとに何かが潰れるような不快な音が生まれ、少女の口から血が吹き上がる。  やがて大きな痙攣を伴って彼女は脱力し、周囲に浮いていた陰陽魚が地面に落ちると、レオドールは掴んでいた小さな肩を放した。
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