第四節~入里夜の舞~

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 足もとに倒れこんだ煌帥に冷ややかな視線を落としていたレオドールは、ふと何者かの気配を感じて視線を斜め後ろに動かす。 「――も、もう、やめて……」 「ほう、目覚めたか。存外早かったな」  そこには、震える両手で桃色の日本刀を構える入里夜が立っていた。  煌帥の断末魔に近い絶叫で意識を取り戻し、その瞬間、視界に飛び込んできた信じがたい光景に思わず反応してしまった。 「こ、煌帥さまから離れて! 『月宮・お色直し(ドレスアップ)』!」 「ククク、巫女よ、それほど身を震わせる恐怖に耐え、再び我の前に立てたことは褒めてやる。だが……」  レオドールは、巫女に向けた視線を自らの足もとに横たわる朔夜と煌帥に移した。 「このふたりですら、我を傷つけることは叶わなかった。それが現実だ。無駄な苦痛をあえて味わう必要もなかろう。さあ、そこに転がる貴様の妹を連れてここへ来い。それで他の者はこの場は生きながらえ、貴様たちはこれ以上苦しむことなく生贄となれる。どうだ? 悪くない提案だと思うが?」  つまるところ、ここでどんな選択をしようと、結局入里夜たちの生贄も、残る者たちの死も変わらない。  せめて龍我の到着まで、この場を持たせなければ。  入里夜は言葉を飲みこみ、ふるふると首を左右に振る。  あまりの恐怖で身体がバラバラになりそうだった。逃げることも、最大限の抵抗も、そして、すべてを晒した命乞いですらも効かぬ。まさに土壇場で首筋に刃を突き付けられているような心地である。  だがそれでも入里夜は、震える手で構える桃色の宝刀に魔力を込め、舞の態勢をとった。  少女にとって、この場にいる大切な人がひとりでも傷つくことは、何よりも恐ろしかった。自分がどんな目に遭わされるのかを想像するよりも、ずっと。 「はあ、はあ……『望月幻想看破・舞姫ノ救済(もちづきげんそうかんぱ・まいひめのすくい)』!」  乱れ切った呼吸をどうにか整え、入里夜は詠唱と共に舞った。桃色の魔力を纏い、それが舞姫となって巫女と同化する。  それを見たとき、龍頭の兜の内側でレオドールからふと笑みが消えた。  ――あの力は危険だ――  男は、自分の本能がそう告げるのをはっきりと聞いた。  対峙する巫女の内から恐怖が消えたわけでもなければ、魔力の総量が増えたわけでもなく、むろん相手が急に強くなったわけでもない。  だが、恐怖とはほど遠いとしても、彼の本能がこの巫女は危険だと、必死に警告していた。  それに従い、思わず一歩さがりかけた左足をかろうじてその場に留め、レオドールは両こぶしに魔力を集中させる。  そして、無言のうちに大地を蹴り、舞姫と同化した入里夜に最速の攻撃を仕掛けた。  煌帥ですらも対応できなかった、亜音速の動き。今なお、恐怖から来る体の震えを懸命に押し殺す小娘に、この一撃が躱せるはずもない。  レオドールはそう確信し、入里夜の腹を殴り、彼女が吐血とともに崩れるビジョンを見た。  だからこそ、全魔力を込めた左拳を前へ突き出したのだが、決着の瞬間は男のイメージの範疇を超えることはなく――。  まさに華麗な舞と言うべき動きで、入里夜は跳躍と同時に身をひねり、攻撃を躱した。そして素早く一回転して態勢を整え、宝刀を横に一閃させる。  それはレオドールの鎧の横腹あたりをわずかにかすめた。ふたりはそのまますれ違い、再び数メートルほどの距離を置いて向き合う。 「――なにっ⁉」  ここで初めて、レオドールから驚きの声があがった。彼の全身を覆っていた、龍の甲冑が金の粒子となって解除されたのだ。  むろん、レオドールはそのようなことをしたつもりはない。男は再び第二形態へと変わろうとしたが、魔力を甲冑に変換できなかった。 「……貴様、なんだその怪しい舞はァ! 我に通用する力は、我が主と同格の相手が行使する究極の力のみのはず。なぜかすった程度で、我が武装が解けた!」  その答えを、入里夜は知っていた。今回の旅に出る直前に、これまでずっと聞かされなかった彼女自身の舞について、母である暦に伝えられたのだ。 「……『望月幻想看破・舞姫ノ救済(もちづきげんそうかんぱ・まいひめのすくい)』。  この舞は、お母さんですらも使えない、長女として生まれた私だけの、特別な神楽。私が叶えたいと思う平和な世界。そこへの到達を阻むモノすべてを浄化し、無害な存在へと帰す舞。殺すのではなく、その存在を消し去るのでもなく、ただ認め、諭し、導く力よ」  それを聞き、レオドールのこめかみに激しく筋が入る。 「そうか、いかにわれが神龍の絶対的高位を持とうとも、この世界そのものと比べれば下位の存在。世界が存続しようとする限り、その舞を防ぐことはできぬというわけだ」 「わ、わかったら、早く魔界から出ていって」  再び舞の構えを取り、入里夜は精一杯の勇気を振り絞ってどうにか言葉を吐き出した。  しかし次の瞬間には、レオドールの顔にあの恐ろしい笑みが戻っている。 「ふっふっふ……ハハハハハハハハハハッ! ――寝言は寝てから言うものと、母に教わらなかったのか? 貴様の舞が我に効くからと言って、なぜ撤退せねばならん。要はその舞とともに繰り出される斬撃に触れなければよいのであろうが」  吠えるような豪語とともに、レオドールは拳に魔力を込め、素手で入里夜に殴りかかった。  だが、驚かされたのは男のほうである。桃色の舞姫と同化した巫女に、一切のダメージはなく、レオドールは爆ぜた魔力によってはじき返されたのだ。  態勢を立て直し、怒りと共に再び殴りかかろうとしたとき、彼はさらに気づいた。  今しがた入里夜を倒すために魔力を込めた左拳に、魔力を集約できなくなっている。  つまり、舞姫と同化している間に行われた、入里夜が願う平和な世界に反する事象すべてを打ち消す。  レオドールが彼女に対して、いや、世界に対して行わんとする、無慈悲な力による制圧になりうる行為は、一定期間行使不能となる。  その期間というのは、時間にして、巫女がその神楽をやめた瞬間から五日間。
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