第四節~入里夜の舞~

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「ああっ! 何をするのよお!」  一瞬で腹の傷を治した入里夜が声をあげるが、男は彼女を無視して歩き始める。  ……言うまでもなく、捕らえるべき獲物以外の者を今度こそ確実に殺すため。  レオドールはまず、一番近くにいた魔界の始祖であるアイリーンのもとへ歩み寄り、その近くに転がっていた彼女の槍を拾い上げる。 「ずいぶんと死の運命を延ばしたが、所詮は時間稼ぎに過ぎぬ。その悪あがきも今度こそ終わりだ」 「――だめぇ、やめて!」  アイリーンの心臓を抉る槍を、すんでのところで入里夜が宝刀をもって防いだ。  レオドールは邪魔だと言わんばかりに、無言で槍を叩きつけるように振るった。  その猛攻を、入里夜はなんとか受けて凌ぐが、レオドールの魔力が込められた紅い長槍は、その瞬間、他のどんな武具よりも強い神槍となる。  やがてその一撃が巫女の手から宝刀を空へ舞い上げ、得物を失った入里夜の脳天に槍が叩きつけられた。 「あっ! い、痛いいい……」  脳みそが激しく揺れ、その場にぺたんと座り込んで髪の間から血が垂れる頭部を抑える。  その隙に、レオドールがアイリーンに槍の穂先を向けるので、入里夜は彼の足に抱きついて必死に抵抗し続けた。 「お願い、やめてえ! もうやめてよこんなこと!」 「貴様、いい加減にしつこいぞ。我ら『黄道十二聖龍』の一角には、あらゆる傷を修復する力を持つ者もいる。一度貴様を死の一歩手前まで殺して連れ帰り、治癒するというやり方でも良いのだぞ!」  そんな脅しに耳も貸さず、断固として離れない入里夜を、レオドールは蹴り飛ばし、手にした槍の先を彼女に向ける。 「あ、やめて!」 「だまれ、この我にここまで歯向かった報いだ。この場で一度死に晒せ!」  怒りに満ちた咆哮にも近い怒声とともに、槍が少女の胸を狙ってくりだされる、まさにその瞬間だった。 「そこまでだ、レオドール」  若さの中に威厳も備え、それでいて妖艶な響きすらもある。そんな女性の声が、レオドールの手をピタリと止めた。  朔夜でも煌帥でもなければ、アイリーンやリューリアでもない。  入里夜はその正体を知りたい一心で首だけを起こし、レオドールの背後へと視線を移す。  同時に、朔夜たちも正体不明の女性の気配で意識を取り戻し、レオドールを除く全員の視線がそこへ集中した。    そこにいたのは、少しウェーブがかった、紅紫色の長い髪と、色香がある鋭い同色の瞳が特徴的な女性。  黒基調に、赤紫色と金で装飾がなされたワンピースの衣装と、豊満な胸元、腹部、脚など、露出度の高さも相まって、その妖艶さがさらに際立つ。  だが、煌帥や朔夜、リューリア、それに雷羅は、彼女の妖艶さなどに構っていられなかった。その美しさでも隠し切れない強さや威厳が、彼女たちを圧倒したのだ。 「――っ! なんだよ、この押しつぶされるような魔力は」  雷羅が雷の魔龍神剣を握りしめて叫ぶと、魔界の大魔法使いも魔導書を構える。 「ええ、あの女性、間違いなくレオドールと同じ、『黄道十二聖龍』のひとりだわ」 「これはいよいよ万事休すってところね。レオドール一人をこの人数で相手取ってこの有様。さらにひとり増えたとなれば、正直言ってどうしようもないわ」  月界において、月宮の巫女を除き龍我の次に強いとされる煌帥が言うと、甚だ絶望的である。 「――こうなっては仕方ないわね。何とかして、子どもたちだけでも……」  朔夜が苦い表情で言い、全員が覚悟を決めかけたとき。 「レオドール、いったいこれはどういうことだ。さっさと帰るぞ」  紅柴色の女性が、同僚と思われる男にそう言い放ったのだ。入里夜たちが意外過ぎる展開に唖然としていると、レオドールが鋭い視線でもって同僚を見据える。 「……なんだと? 貴様、この我に指図するか。我が行いは、すべて主の御ため。それを阻むことは貴様であっても許さぬぞ」 「その主がおっしゃられたことを忘れたか? 事が最終段階に移行するまでは、不要な波風を立てるな。そう仰せられたはずだが?」 「それに背いた覚えはない。我は巨龍再臨のためのエネルギーとして、巫女を使えると判断した。ゆえに数匹捕えて帰島する」 「余計な部分までしゃべりすぎだ。今回貴様に与えられし命は、我ら『黄道十二聖龍』誕生が龍脈にあたえし影響の調査だったはず。それを無駄に暴れ、魔界に大穴を開けたあげくに、月の始祖まで呼び寄せるとは。これを波風と言わずしてなんとする」 「ならば予定を早めて月界、魔界を滅ぼし、完全に我らの拠点とすればよい。それに神々が気づいて動こうとも、我らと主の力ならばおそるるに足らぬ」  レオドールの瞳が、鋭く輝いた。 「まだその時ではない。驕り高ぶる者こそ、望んで破滅の道を辿るものだ。なんにせよ、私は主より貴様を連れ戻せと仰せつかってきた。これ以上は謀反とみなすぞ」  彼女がレオドールに負けぬ圧でもって言い切ると、男は露骨に舌打ちをしてアイリーンの長槍を投げ捨てた。そして、激しい視線を入里夜たち一人ひとりへ向けると。 「ふん、貴様ら命拾いしたな。我らが主のご意思とあらば、直ちにはせ参じなければならぬ」  男はそう言って同僚の女性のもとへ歩み寄り、なにか思い出したかのように振り向くと、入里夜に目を付けた。 「そこの巫女。貴様、名は何という?」 「――っ、い、入里夜……」  びくりとしながらも彼女が応じると、男は凄まじい殺気を向ける。入里夜が思わず近くにいた煌帥の後ろに隠れた。 「入里夜か。どれほど恐怖を与え、痛めつけようとも他人のために足を止めぬ気概、そして、我にすらも届くあの舞。面白い。貴様もいずれ我らによって殺される命に過ぎぬが、その時まで、その名は覚えておいてやろうぞ」  男が言い終えたとき、もうひとりの黄道十二聖龍である女性が、手にした長 い魔杖を一振りした。  彼女とレオドールの頭上と足もとに桃色の魔方陣が現れ、それらが引き寄せられて空中で合わさったとき、ふたりの姿は消えていた。  舞い散る無数の羽毛と、紅柴色で一瞬描かれた、おとめ座の輝きを残して……。  こうして入里夜たちに襲いかかった前代未聞の危機は、どうにか過ぎ去ったのである。
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