プロローグ

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プロローグ

 土曜日の早朝。僕はひとり電車に揺られていた。  車窓の先には、まだ背丈の低い稲が見える。風が強いらしく、晴れ渡った青空の下で稲が大きく波打っていた。  この電車に乗るようになってまだ二か月。見慣れた景色が次第にちょっとしたビル群になっていく様が気に入っていた。あちこちが色落ちしている電車は、ゆっくりとホームに滑り込む。電車が完全に停止してから開くマークのボタンを押して、通学の時にも使用している比較的大きな駅で降りる。  駅の前にあるバスターミナルをうろうろして、目的のバスを探す。  僕の今日の行き先は小さな映画館だった。なかなか出掛けられないうちに、見たかった映画は上映する映画館が少なくなっていた。血眼になってまだ上映している映画館を探すと、聞いたこともない小さな映画館に辿り着いた。  僕は運よく予定していたバスより一本早いバスに乗り込み、件の映画館の近くのバス停で降りた。バスが排気ガスをまき散らしながら去って行く。  そこから僕はスマートフォンの地図アプリを駆使して、細い道を辿る。決して方向音痴ではない僕でさえ、辿り着くのに十五分を要したその映画館は、営業しているのか怪しいレベルにおんぼろだった。僕は喉を一度上下させて、映画館のドアに手を伸ばす。  次の瞬間、カシャっとシャッター音が鳴る。誰かが僕を呼んでいた。 「村谷さーん」  慌てて振り返る。後ろに立っていたのは、僕よりもちょっと身長が低い男の子だった。 僕の名前を知っているということは、同級生だろうか。でも今の僕を見て、僕を村谷累だと認識出来るなんて。ありえない。 「お、当たった~。なんか空気感がそれっぽかったんだよね」 「はあ」  不快感を露わにしている僕を前にしても、その男の子は嫌な顔ひとつ見せない。 どうやって逃げようか考えていると、先ほどまで薄ら寒い笑顔を顔面に貼り付けていた男の子の表情がすっと消えた。 「でも、俺の知ってる村谷累は女なんだよな。あんたは誰?」  冷たい声。僕は溜息を吐いて、彼の目を見た。怒っているように見えた。 僕はだんまりを決め込む。 「じゃあ取り敢えず、俺とお茶でもしない?」 「は?」 「この写真バラまかれたくないでしょ?」 「別に。僕だと気付く人の方が少ない」 「うわぁ正論~。じゃあ、戦法を変えよう。今から俺とお茶するのを拒否したら、桑原ちゃんに匿名でこの写真を送りつけようかな」  僕は渾身の眼力を込めて、目の前の男の子を睨み付ける。しかし彼に折れる気配は無く、僕は再び、溜息を吐く。 「……分かった」 「良かった。村谷さんが話の通じる人で」  彼はニコッと笑う。僕は彼に気付かれないように舌打ちをした。
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