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 三度目に小野寺家を訪れた時、知希と光希君にその話をしながら、僕はローテーブルに頭を押し当てていた。もうどうすればいいのか分からなかった。  知希も大体の話は聞き及んでいたが、僕から更に詳しい事情を聴いて憤慨していた。知希自身、福園杏那に好印象は持っていなかったものの、ここまで酷いとは思わなかったらしい。それでも、僕はもう福園杏那にされたことを気にしていなかった。僕の代わりに知希が怒ってくれた。それだけで今の僕には十分だった。 「俺が潰せたら一番良いんだけどな」 「それ絶対、余計ややこしくなる。あーほんと嫌だっ」  唸る僕を見て、光希君が悲しそうな顔をする。 僕は罪悪感に駆られるが、今はどうしても溜まった鬱憤を吐き出したかった。知希を僕の不安や弱さから生まれる愚痴の捌け口にしている自覚はある。でも、知希に向かって話した後はとても気持ちが楽になるのだ。どうしてか自分の性別について考えなくなるのだ。それはそれで困るのだが、思考が沈まないのは有難かった。  それを考えると知希は本当にすごい。はじめは気に食わない奴だったが、今は僕を一番救ってくれる人だ。まるで麻薬の沼に溺れてしまった中毒者みたいだと思う。知希の存在はそれだけ僕にとって貴重だった。 「もういっそのこと、累が男のフリしてその合コンに乗り込め!」 「バレたらどーすんだよ……」 「最初俺にバレないって言ってしらばっくれようとしたのは累だろ!」 「そ、それは、そうだけどっ。僕が乗り込む意味がないだろ!」 「腹いせに合コンをめちゃめちゃにすんだよ!」 「それじゃあ加奈子が可哀想じゃん!」  あーだこーだ言いながら言い争いをしていると、微かに階下から物音がした。気のせいだと思っていたが、違ったらしい。数分後に僕たちの居る部屋のドアが勢いよく開け放たれた。 「誰っ⁉」  押し入ってきた女の人が掃除用のモップを僕に向けて叫んだ。  僕は状況に思考が付いて行かず、固まってしまった。 「お母さん!」  光希くんが女の人の胸に飛び込む。  彼女は僕から光希君を隠すように抱きすくめた。  それから「光希!この人は⁉一体誰なの⁉」とヒステリックに叫ぶ。 「累ちゃんだよ~」 「累?」  疑惑の目を向ける彼女に知希が笑いを堪えつつ、僕のことを彼女に説明した。但し、性別については一切触れなかった。ややこしくなるのが目に見えているからだ。 「え、知希のお友達?光希と遊んでくれてた?まあまあ!」  知希の説明を聴いて、彼女は感動しているようだった。 唐突に僕の手をギュッと握って、感謝の言葉を言われた。僕はびっくりしたけど、この家に来るのを認められて安心していた。 「そうだ、母さん。今度の祭り、累もいれば光希連れて行ってもいい?」 「えっ。それは光希が喜ぶでしょうけど……。累くんに悪いわ」 「僕は構いませんよ」 「ほんとーっ!僕、お祭り行っていいの⁉やったああ!」  飛び跳ねる光希君を見ていると僕まで幸せな気分になるから不思議だ。 感動を抑えられなくなった光希くんが僕に抱き着いた。光希君は、ほんのり紅潮した頬を僕の頬にすり合わせた。本当に可愛い。僕はそう思った。  光希君は嬉しさのあまり興奮し過ぎたせいで、貧血を起こしていた。光希君が寝るのならば、僕は帰った方がいい。いつもより早めだが、僕は帰ることにした。 「なんか光希より累の方が嬉しそうだな」  僕には、見送りに来た知希も少し興奮しているように見えた。 「そう?」 「ああ。見たことないくらいの笑顔だった」 「うわ、恥ずっ」 「可愛かったぜ」 「おい知希、それ男の僕に言うの?」  僕が呆れた口調で言うと知希はニヤッと笑った。僕は一瞬ドキッとして、顔を逸らす。 「あ、そうだ。やっぱり福園の件は俺に任せといて。解決しとくよ」  知希が反論を許さない口調で言った。僕は躊躇いつつ頷いた。  次の日の放課後、私はいつも通り荷物をバックパックに詰め込んでいた。 今日はまだ誰にも悪口を言われていなかった。冷やかしも、からかいもない。本当に知希が解決させたのだろうか。疑問に思っていると、 「累居るー?」  突如、聞き慣れた声が教室の入り口からした。私がそちらを向くと案の定、知希が居た。途端に教室中がざわつく。私は雑音を無視してのろのろと知希の所に向かう。 「何」 「ちょっと来てー」  知希は私を連れて廊下の端の角にやってきた。傍から見るとカツアゲに見えるかもな、と私は呑気に思っていた。今日の知希に特に変わった所はなく、今から深刻な話をするようには見えなかった。 「あのさー、その累に相談というか、お願いというか……」 「簡潔に言って」 「光希が累の浴衣姿が見たいんだって」 「!」 「あと、で、出来れば女物で、お願いしたいです……」  私は人目を憚らず、壁に頭を押し付け項垂れた。 これは安請け負いしていい話じゃなかった、と今になって後悔した。 学校の外で女の格好?いやいや有り得ないって。沙苗と会う時だって、ほとんど男の格好なのに。 「累が嫌ならいいんだけど、光希がどうしてもって聞かなくて」  そう言われると私は断れない。  光希君の願いは私に出来る事なら、なんでも叶えてあげたい。私は真っ青な顔で知希に了承の意を伝えた。  そのテンションのまま、私は教室に帰る。明らかに出て行った時と違う私に加奈子が心配して声を掛けて来たが、私はそれを躱した。今の私にとって祭りは憂鬱でしかなかった。理由を訊かれれば、何と答えればいいのか分からないが兎に角、女物の浴衣を着るのが嫌だった。何度も重い溜息を吐いた。  校舎から出るとグラウンドでサッカー部が練習もせず、じゃれているのが見えた。誰かのスマホを奪い合っているらしい。私はそれを横目に見ながら駅へと急いだ。  今日の私はいつもの電車に乗って帰宅出来た。家で制服を脱いでいる時に、知希に嫌がらせが無くなった理由を問うのを忘れていたことを思い出す。  私は若干後悔しつつ、夕飯を作っている最中の母に浴衣の在り処を問う。これで見つからなければ勝ちだ。だが、浴衣は簡単に発見され、私はそれを着て祭りに行くことになった。 「累がお祭りなんて珍しいわね」  普段あまり私に話し掛けて来ない母が私に声を掛けて来たのが驚きで、私は数秒の間固まる。 「……まあね」 「あら、もしかして彼氏?」 「累に彼氏なんかできるわけないだろー」  久々に家に帰って来ていた兄がビール片手に野次を飛ばす。イラっとしたが何事もなかったかのように無視した。 「まさか。友達とその弟くんと行くの。弟くんまだ小学生だから」 「ならいいわ。あまり遅くならないようにね」 「分かってる」  私は気怠そうに返事をして、部屋に今度こそ戻った。
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